日中は相変わらずの酷暑、ついエアコンにスイッチを入れてしまいますが、夜はとても涼しい。
ここだけなのかも知れませんが、夜になると必ず風が出てきて、部屋をすーっと吹き抜けてくれます。
手紙を楽しむための情報誌、8月号が届きました。
表紙のデザインは小笠原の父島。 夏休みに旅行してきたことをはがきで伝えようというテーマで、イラストレーターの松鳥むうさんが父島をデザインしたものです。
絵具や丸型定期、付箋などを使った、すごく手の込んだハガキ。
このタッチ(雰囲気)、どこかで見たような・・・と思ったら、 「島へ。」の7月号にも載っていました。
青ヶ島も行かれたらしく、島での見聞記をかわいらしい絵でまとめられています。
同著者の「ちょこ旅 小笠原&伊豆諸島 東京の島でぷち探検」という本も先月発売されました。
伊豆諸島は青ヶ島も含むはずなので、いったいどんなぷち冒険してきたか、この本が届くまで楽しみです!(^^)!
出版社: アスペクト (2010年7月12日発売)
著者:松鳥むう
ISBN-10: 4757218109 ISBN-13: 978-4757218109
定価:1500円(税込)
松鳥さんのように手の込んだハガキは作れませんが、パソコンを駆使し、ご当地絵葉書を作れそうです。
親が日本海側の小さな漁村で暮らしていた頃は、毎年この頃になると素潜りに出かけます。
昭和3、40年代だと木製の盥(タライ)いっぱいになるほどアワビやサザエが獲れたという。
それを毎日、毎日・・・・なので、親戚や知人に安値で売りさばいていた。
年末年始、久しぶりに故郷に帰ると、遠い異国に行ってしまったドックおじさん(父)を待っているかように、木製タライが物置の中で大切に置かれてありました。
「そっか~、わざわざここに持ってきても、使える場所がないだもんなぁ・・・」
このタライはたぶん2代目。私が幼いころからずっと見ていたタライが壊れてしまい、新しいタライを嬉しそうに抱えながら海に出かけたのは平成3(1991)年頃なので、もう20年近く。
あの頃、海に出かけると海面にいくつかのタライを浮かべる光景が見られました。
久しぶりに帰っても漁協組合を脱会しているため、獲ることは禁じられています。
昔は素潜り名人が何人かいましたが、今も伝承されているかどうか気になります。
素潜り名人が減ってしまい、バカでかいアワビがあちこち転がっているかも・・・。
昨日、サル美さんから携帯に1枚の写真が届きました。
それは千葉県御宿町の宣伝ポスターを撮ったもので、昭和30年代の白黒写真。
信じられないようなバカでかいアワビや伊勢海老たちを前に上半身裸の海女さんがはにかんでいる姿。
その土地の伝統行事だし、何も違和感のない写真ですが、海面と海底の水温差が激しいので、5、6枚の古着を身にまとうのは常識。
ウェットスーツは長時間も潜れ、アワビやサザエなどを独り占めにすることが可能になるため、禁じられている漁業組合は多い。
この写真はたぶん、観光宣伝の「やらせ」でしょう??と返事を出したところ・・・・ 今度はこの絵が送られてきました。
どうやら、本当らしいです。
何も着ていないほうが、水の抵抗も少なくなるので、潜りやすいからでしょうか。 昭和36(1961)年3月15日発行の南房総国定公園。
図案は白浜の野島崎灯台。
千倉や白浜からお便りを出すのに最適な「ご当地切手」になるはずですが、使うチャンスは・・・。
その図案も海女さんが描かれています。どう見ても普通。 上の切手とぴったり似合いそうな白浜郵便局の風景印。
切手の図案と同じく、2人の海女さん。
それも普通ですね。
はたして、どっちが真実なんでしょうか。
岩泉線に乗ったのはいつ頃でしたっけ??と切符ファイルを広げてみたところ、1枚も見当たらず。
旅の思い出として、持ち帰ってしまうので、日付を見ただけで鮮明に思い出すこともできるからだ。
岩泉線は秘境路線なので、みどりの窓口に置かれているような端末はないはず。
昔ながらの硬券ファイルに入っていました。
平成12(2000)年1月8日と日付印が押されています。ということは、もう10年前なんですかっ!?本当に早いなあ・・・。まるで昨日のように思い出されます。
初めての岩泉線は往復汽車利用、2回目はマイカーでふらりと出かけたらしい。
千葉から岩手までの距離は600キロ以上もあるはず、これでも「近距離」だと思い込んでいた20代はすごいなぁ・・・。今だったら、600キロもぶっ通しで運転するのに疲れてしまいます。 貫禄のある、岩手和井内駅。
(1942(昭和17年)開業当時から使われていました。しかし、2004年12月に撤去、簡素な駅舎に建て替え)
デジカメの撮影記録によれば、2001年10月6日(土曜日)午前10時50分と出ています。
ちょうど秋の3連休なので、前夜のうちに600キロもドライブ!?体力的にきついはずなのに、あの頃は東京~鹿児島の1500キロでもへっちゃらでした。 改札口。昭和17年開業当時は何両も連なった列車を蒸気機関車が引っ張る風景が見られたかも・・・。
切符を確認するために駅員さんも立っていたと思われる。 岩手和井内駅前の「きくち商店」。
ドアが固く閉じされ、のどが渇いてもジュースを買えなかった記憶はあります。
昭和時代から全く変わらぬの姿、まるで映画のセットのようです。
今も見られるかどうか気になります。 秘境マニアなら誰もが憧れてしまう、押角(おしかど)駅。
駅舎もなく、ただの板張り。
ここにやってくるのに、ちっぽけな橋を渡り、2、3メートルくらいの梯子をよじ登る必要あります。 岩泉線の廃止を免れた理由は、道路。
もし、代替のバスを走らせるとしても、こんな狭さだとすれ違うのも難儀。
国道340号線といっても、この状態は酷道。
この先似たような道が長く続きます。
10月上旬なので、深緑色と紅葉が入り交っています。
(押角~岩手大川間の道路) 岩手大川駅。
押角~岩手大川、9.5キロ。汽車だと長いトンネルなので、ほぼ一直線。
クルマはくねくねとひたすら登り、ときにはジクザク・・・。
今回の事故は長いトンネルを抜けたあたり。
50メートル先の出口に土砂が流出しているのに気付き、急ブレーキをかけたが、間に合わなかったらしい。 浅内駅前の「浅内簡易郵便局」。
秘境路線沿線でも郵便局があるのは、さすがに「全国津々浦々」。
ホームページで調べたところ、なんと今も営業中。
郵便、貯金 平日9:00~16:00
ENEOSの前身、日本石油のマークが懐かしいです。
1日も早く復旧し、多くの方々が岩泉線の魅力を感じられますように。
今日、ポストを開けてみると、珍しい切手が貼られたお便りが・・・。
こういうときに限って、誰からなんだろう?とウキウキしてしまいます。
差出人はヨングクご夫妻。
筆跡はmaimaiさん。
インターネットや携帯電話の時代になっても、昔ながらのハガキでお便りを書くのは流石に筆まめ。
印刷された活字よりも手書きのほうがとても嬉しいです。
ヨングクさんからも私の親宛てにも珍しく手書きでメッセージが添えられていました。
お住まいは江東区なので、なんと!!深川八幡祭の切手が貼られています。
たぶん、筆まめなmaimaiさんが切手を買われたと思いますが、切手収集家でもないし、郵便局めぐりが趣味でもないのに、こんな芸ができるとは思わなかった。
「東京・深川」の無機質な機械印じゃなくて、風景印だったらよかったかも・・・。
でも、風景印をお願いするのに直接窓口に出向かなければならず、ちょっと大変ですよね。(笑)
ありがとう。私からもお気に入りの場所からご当地切手を貼って返事を出しま~す。
キッチンの包丁を使ってみると、古くてちょっとキレが悪くなったような気がする。
こんなもの使い続けても、料理が楽しくないのは確か。
柄がにぎりやすく、さびにくいチタン製を購入。
チタンといえば、沖ノ鳥島を守る金属、頑丈でさびにくいもの。迷わずこれにしてしまいました。
すると・・・・ハン尚宮(母)が職場の同僚からいただいた野菜をシャキシャキ!!
千葉県産ゴーヤーと豚肉のしょうが焼き。
茄子と自家製ピーマンの味噌炒め。
ほとんど頂きものの野菜と庭で育てたもの。
職場の同僚いわく「畑にたくさん一度に実っても、食べきれない。職場のみなさんにおすそ分け」とおっしゃっていました。
大切に真心こめて育てた野菜だというのに、本当にありがとうございますっ!!
都会暮らしだと、野菜をいただいたことは1度もありません。
田舎の醍醐味かな。