今年の干支は「卯」。
年賀状に貼る、干支の駅名遊びは去年から始めました。
去年は「幾寅(いくとら)→北日ノ出 経由:根室線・富良野線・宗谷・石北線」
乗車駅が幾寅なら、下車駅もそれにふさわしい駅名にしなくては「縁起切符」とは言えぬ。
付近の路線図をにらめっこしたところ、「北日ノ出」が目に留まりました。
「幾つかの寅が初日の出にお参り」という意味を込めて発券。
JR東日本の「えきねっと」は自分の好きな駅から好きな駅までの乗車券を申し込み、指定席券発売機またはみどりの窓口で発券できます。
今年は「卯」なので、JR四国の卯之町駅に着眼。
下車駅は、今年1年間は「喜びが山ほど多くありますように」という意味をこめて「喜多山」にしました。
素直に買うと、卯之町 → 喜多山 経由:予讃・内子線 ¥740円。
「八多喜(はたき)」、「喜多灘(きたなだ)」を通って、「喜多山」。喜びをいっぱいゲットできますようにと大回りにしたのに、経由欄は「予讃・内子線」で終わり。 大回りの乗車券であることが一目で判別できるように、分岐から最初の駅名になる「五郎」を挿入すればよかったかも。
「経由:予讃・五郎・内子線」と印字されるかと思いきや、期待外れ。
東北新幹線経由で札幌に行くときは特急の走る、いわゆる「海線」の室蘭線にしてしまうので、「東京・新幹線・新青森・奥羽・海峡・函館線・静狩・千歳線」といったように、室蘭線に分岐して最初の駅名の「静狩」が入ります。
(「山線」の函館本線は1日7本しかなく、すべて鈍行) これも縁起キップ。
八 多 喜 → 喜 多 山
駅名と見た目の漢字がよいです。これをお守りに定期券ケースに忍ばせておけば、「喜び」がいっぱい入るかも?(笑)
このシリーズは来年も続きます。来年はどんな切符ができるか、お楽しみに。
夕方6時頃、生家の自宅に到着すると、伯母が夕食の準備中。
大皿に刺身などがてんこ盛り。
水道水は凍えるほどの冷たさなので、入浴に適したお湯を張るのに時間がかかってしまいます。 クルマで10分のところの日帰り天然温泉施設の「いのゆ」があるし、せっかくレンタカーを借りているので、山口に滞在している間は連日のようにそこに行こうということになりました。
1回の入浴料はワンコインの500円。
(東京都の銭湯は都内どこでも400円。ワンフロアのアパートを借りたときはトイレとバズタブ一緒でした。これだとお風呂に入った気分がしないので、たまに近所の銭湯に行っていました。当時は385円、今は400円。しかし、千葉県はあまりないようです。) アルカリ性単純湯でした。
檜原村内の温泉と同じタイプですね。
青ヶ島村の「ふれあいサウナ」(東京都最南端の温泉)も地熱の噴気の大部分は水蒸気であり、温泉法第二条の温泉に適合するとのことです。
しかし~、夏の間はすごく熱くて熱くて湯船に浸かっていられないほどなんです。今だったら、天然暖房のようでポカポカなんですけど、夏の間だけは不便。
湯船が熱くて、水を出そうと思っても、水も地熱で熱しているのか、お湯でした。
エアコンも何度か故障したとか・・・。
夜は非常に寒く、窓を閉めていてもすごい強風のせいか、カーテンがゆらゆらと揺れてしまいます。
その寒さに負けないように天然温泉で充分暖まってから帰宅。
東京都の奥座敷、奥多摩町も「小河内」という地名があり、読みは「おごうち」。
近所の「小河内温泉」も読みは「おごうちおんせん」と思いきや、さっきネットで調べてみると、「おおこうち」でした。
奥多摩のは「おごーち」、山口は「おーこーち」ですかい!?「小河内」という漢字は同じでも、読みや発声が違うなんて、そんなのあり!? ここでは日常茶飯事の「新鮮な刺身」。
伯母いわく「”えんがわ”って知ってますか?」
寿司のネタに「エンガワ」の文字を見かけたことはあります。
「えんがわは、ヒラメやカレイのヒレを動かすための筋肉。1匹から「えんがわ」の部位を取るのは非常に少ないので、寿司屋では高級ネタとして取り扱われているのですよ~!」と写真には写っていませんが、エンガワだけ取っておいたお皿も持ってきてくれました。
寿司屋で食したと同じように、コリコリとした舌触りです。
「エンガワ」って、いったい、何の魚なんだ!?と思いきや・・・ヒラメやカレイでしたか!?
田舎に帰った日の夜は新鮮な魚三昧でした。
ドックおじさん(父)は大喜び、いろんな魚をおつまみにして晩酌。
伯母いわく「二見に帰るのを非常に楽しみにしているのは、お酒ですかい!?向こうでは監視下に置かれているので、ここに来て深酒ですかい?」と心配そうに見つめる。
レンタカー屋さんでクルマを借りると、「このタイヤはスタッドレス(積雪路や凍結路向け)なので、雨に弱いです。気をつけてください」とのこと。
去年借りたときは、積雪の残る美祢市内を走行するときに夏タイヤのままでヒヤヒヤしたことがあるので、今回は安心。
それにしても、山口県はまるで雪国!?
横殴りの大雨のさなか、出発。
財布の中に予備用のETCカードを忍ばせてあるのを思い出し、セッテイング。
出発前にマイカーに挿入しているETCカードを抜き取るようにしているのに、どうしてもそれを忘れてしまいます。
予備用のETCカードを作っておいてよかった~。
スタッドレスタイヤは夏タイヤみたいに爽快な走りではなく、ちょっと重たそうだけど、ハンドルは安定しています。
小郡インターチェンジから高速に入り、美祢インターを出た。
しばらくすると市街地に入り、美祢線の線路も見えます。
確かに去年の年末に見たときの光景とまったく同じだが、線路の色がちょっと変。
まるで廃線のように線路が赤く錆びています。
「ついに美祢線も廃線?でも、最新版の時刻表を見たときは、長門市から厚狭までちゃんと線が敷引かれて、空白じゃなかったような?」と頭をよぎった。
谷に眠る終着駅と言われていた、美祢線大嶺支線(南大嶺~大嶺 2.8キロ)も今から14年前の1997年3月31日に廃線。
何もない秘境っぷりの雰囲気が好きだったので、東京からマイカーで帰るときに必ず大嶺駅に立ち寄ったほど。
携帯電話で調べてみたら、「美祢線は2010年7月の集中豪雨により、鉄橋が流されたため、現在は代行バスが運行中です」とのこと。
・美祢市役所からのお知らせ
美祢市を抜けると、今度は「ここから下関市」という標識。
このあたりは旧豊浦郡豊田町。
のどかな田園風景が続くので、「下関市」と言われてもあまりピンと来ません。
山口県有形文化財の殿居郵便局前通過。
歴史的な洋風建造物です。
ゆうちょ銀行の記帳するスペースがなくなり、田舎に帰ったら通帳更新と思っていたけど、早く二見に帰りたさで寄らずに通過。 小郡を出て、ここまでたどり着くのに大雨、雪、曇り・・・・天気がコロコロと変わってばかりなのに、故郷に近づくと晴れてきました。
空気もマイナスイオンたっぷり、とても美味しいです。 24時間営業のローソン滝部店。
もともと個人経営の酒屋でしたが、2000年ローソンとして開店。
「豊北町内で初めての24時間営業のコンビニです!!開店記念に粗品を差し上げます」という新聞折り込みチラシを見て、物珍しさもあってドックおじさん(父)が開店早々駆けつけたみたい。
ずっと昔・・・父が東京まで来てくれたとき、「真夜中だというのにお店が開いているぞ!!」とビックリ仰天。
「コンビニエンスは24時間営業」と少し説明してあげたような記憶がします。
最近は銀行ATMも設置されているので、こんな田舎でも都市銀行のキャッシュカードでも※手数料無料で引き出せるようになりました。
(※みずほ銀行の場合はマイレージクラブに加入し、条件が合っていれば手数料が無料になります)
夕方5時だというのに、まだまだ明るい。
千葉だととっくに日が暮れて真っ暗だというのに・・・。
千葉の自宅を出て10時間後、故郷の生家に到着~!!
新幹線利用でも10時間で田舎に着けるのは昔だと到底考えらないことです。
のぞみ「N700系」の速度が上がった恩恵は大きいです。
昔の「0系」は時速200キロ、今の「N700系」は東京から新大阪までの東海道は270キロ、新大阪からの山陽は300キロで疾走。
今度は時速500キロのリニアモーターカー、山口まで飛行機と変わらぬ2時間という時代がやってくるかも知れません。
今回の往路は鉄道、復路は空の旅。
鉄道の場合は乗車駅の改札口から下車駅の改札口まで。
飛行機は空港の搭乗口ゲートから目的地の出口ゲートまで。
自宅から駅まで徒歩7分程度の距離なのに、ドックおじさん(父)は田舎に帰るのが非常に楽しみにしているのか、発車30分前に出かけてしまいました。
私は後から駅に行ったわけだが、駅員さんともめていたらしい。
話を聞けば、1人なのに2枚は売らないとのこと。
メモを見せると、目的地、枚数は間違いなく書かれています。
なぜか駅員さんが駅事務室ではなく、出入口で私が来るのを待っていました。
2人であることを確認し、やっと発券。
自宅最寄りの駅員さんは昔からすごく頑固なので、車内で車掌さんからキップを買おうと改札を素通りしたら、「アンタ、切符買うてないんでしょ!?」と呼び止められたことがあるので、ちゃんと窓口で申請したら、この有様。
1872(明治5)年、新橋から横濱間が官営による鉄道開通。
当時の駅員は「乗せてやるんだぞ、ありがたく思え!!」という高慢な態度だったらしい。
自宅最寄りの駅員さんも官営鉄道並みだな。 五井駅も特急は止まりますが・・・・・
東京駅まで52.3キロ。
特急券は50キロを少し超えただけでも、2倍近く跳ね上がってしまいます。
五井から買うと900円。
400円がもったいないので、普通電車で蘇我まで。
五井の隣、八幡宿は50キロ以内なので、特急料金はワンコイン(500円)になるはずです。
五井を通過し、八幡宿に止まってくれればいいのにと以前からずっと思っています。
特急で東京駅まで急いだ理由は・・・東京駅銘品店で売られている、小笠原諸島産の「東京ラムボンボン」を山口へのお土産にしようと思っていたのに、どこで売られているのか見つけられず。
「東京駅インフォメーションで聞けばわかると思いますよ」と店員さんに言われたとおり、そこに行ったのにお譲さんは首を傾げながら「わからない」と言う。
インターネットで調べてみたら、「モロゾフTOKYO」だった。
東京駅インフォメーションのお譲さんよ、エキナカのスイーツをすべて把握したまえ!!
今度は東北・山形・長野新幹線改札口付近のJR東日本の「みどりの窓口」へ。
東海道新幹線の特急券を購入したのはJR東日本の武蔵五日市駅なので、同じ会社の窓口にしたほうが気楽。
「3人席のA,B席だと、通路への出入りがあまりできなくなるので、2人席のD,E席の空席ありますか?」と聞いたところ、マルス(指定席券発券端末)を操作。
「品川から名古屋まで満席(自由席)、名古屋から新大阪、新大阪から岡山、岡山から新山口は指定席」とメモ。
席替えであちこち車両を往来するのが面倒なので、そのままにしてしまいました。 小湊鐡道からそのままJRに乗り換えたため、入場記録がありません。
「入場記録がありません。駅係員にお回りください」と改札機の扉が閉まった経験があるので、新幹線の自動改札を通らず有人改札。
別にキセルを企んでいるわけでもないのに、JR東日本の改札機は入鋏がなければ不正乗車と見なされるほど厳しい。
目的地を「小野田港」にしたのは、新山口まででも運賃が同じだから。
めでたいの「目出(めで)」駅までにしようかと思っていたけど、2011年も港から島旅ができますようにと願いを込めて「港」の付く駅名にしてしまいました。
昭和8年製造の老兵クモハ40が2003(平成15)年まで現役で頑張っていた、小野田線本山支線の「長門本山」行きにしようと思っていたが、運賃がワンランク上がってしまうので、断念。
そこまで計算しているのは、「駅すぱあと」のおかげ。 のぞみ25号 10:10 博多行き。
30分後の10:40発も博多行き。
1000キロ離れた田舎に帰るのに、数分おきに出る電車みたいに・・・。
東京駅八重洲口は開発中。
年末とは思えないほどの暖かさでした。
しかし、これから向かうところは強風、大雨、雪らしい。
東京を出て、わずか4時間半後には新山口。
飛行機は羽田から山口宇部までのフライト時間は1時間半。搭乗手続きなどの時間も含めるとおよそ2時間。
飛行機の2時間と、新幹線の4時間半。差はわずか2時間半。さほど変わらないような??
指定席券に1番後ろの15号車と印字されているので、改札口からテクテクと歩く。
普通は真ん中の7、8号車から席が埋まるわけだが、15号車は席取りゲームみたいにギリギリセーフなわけです。 名古屋を過ぎたあたりはちょうど正午。
前の座席下にしまいこんだ駅弁を取り出そうとしたら、目が点。
駅弁の上にゴミが散らかしていました。
つまり、座席の下にゴミをポイッ、ポイッ。
ホンマに非常識なヤツだな、顔を見てみたいもんだ!と上から覗き込むと、80を過ぎたおばあちゃん。その隣に息子とおぼしい50代の男性。
杖に「千葉県野田市」と書かれています。同じ千葉県民、本当には恥さらしなことすんなってば。
東海道山陽新幹線のご当地駅弁。
沿線の名産物を弁当箱に詰まっています。
C席は学生とおぼしい若い女性でした。熱海を出たあたりからずっと寝ていたため、たたき起こすのは気が引けてしまいます。
お手洗いに行きたくても我慢していたら、広島の手前でやっと目覚めてくれました。
広島で降りて行かれたので、故郷は広島でしたか。
広島まで来れば、新山口まであとわずか。
ところが・・・新岩国を出たあたりに雲行きが怪しくなり、空が真っ黒。そして、暴風雪、大雨。
山陽区間を時速320キロで飛ばしていたのに、急に徐行運転。
10分遅れで新山口駅到着。
予約しておいたレンタカー屋で手続きし、故郷の生家へGO!!
かつては商店が3軒あったのに、今は「泉屋」のみになってしまいました。
駅前の商店はタバコも販売していたので、ホームサイン(我が家だけ通用する手話)は「タバコ+お店」。
「泉」という手話はちゃんとあるのに、聾学校の太っていて、インパクトのある泉先生のサインネームはなぜか猫のようなヒゲ。「泉」が猫のヒゲなんて、全くのでたらめなんですが、我が家だけは通用。
漁業組合は「魚」+「場所」。
駅前の商店は、店主のおばさんがもう歳をとってしまったのかお店をたたんでしまったようです。
タバコの自動販売機も撤去されているし、二見でタバコを買えるところのない、禁煙地帯になってしまったかと思いきや、漁業組合所で販売中。
青ヶ島に行くと、必ず立ち寄ってしまう十一屋商店は、タバコの販売なし。ご家族のみなさんはタバコに興味なさそうなので、わざわざ販売許可証を取得するとか考えていなかったみたい。島の男性は1日に何箱も吸うタバコが大好きなはず、店内入り口横のふれあいコーナーにも灰皿が置かれていませんでした。
菊池商店横にタスポ仕様の自動販売機あり。しかし、タスポカードがなくても買えてしまいます。
青ヶ島の子供たちは、街と違ってとても真面目なので、非行に走ってしまうような恐れはなさそうです。 私が子供の頃、「ごえんがあるよ」5円チョコ、「10円チロル」、「ベビースターラーメン」などの少ないお小遣いから駄菓子ばかり買っていたのは覚えているのに、今はそういった駄菓子類はありませんでした。
ノートや折り紙、のり、鉛筆などの学用品ショーケースもあったのに、今はありません。
女将さんが私の顔を見るなり「久しぶりですね~。昔とあまり変わらないね~」。
女将さんも私が子供の頃見たときとあまり変わらないですよ。
すると・・・「これでも飲んでいきなさいよ」と昔懐かしいコーヒー牛乳をいただきました。
コーヒー牛乳は砂糖たっぷりですごく甘いだろうな~と思ったら、甘さ控えめ。
昔はすごく甘かったのに、今の時代は糖分控えめになっているようです。 街の大型スーパーだと、選ぶのに迷ってしまいほどいろんな種類があるのに、ここではシンプルに野菜、肉、魚、調味料、コーヒー、缶詰、飲料類、乳製品、日常雑貨など最低限のものをコンパクトに所狭しと置かれています。
新鮮な野菜類はどれも1個だけ。
ホウレンソウも1束だけ。
どれも1つだけ、売れてしまえば、その日は売り切れになってしまうかな。
売れると、再び補充しているかも知れませんね。
どれも1個限定だとすると、売れてしまうとその日は入手するのが難しくなるかもとつい買ってしまいます。
酒屋も2軒あったのに、今はなくなってしまいました。
お酒の販売に許可証が必要なので、ここでは取り扱っていません。
リクエストを出せば、酒類も取り寄せてくれるそうです。
女将さんいわく「あなたのお父さんはしばらく見ていないけど、元気ですかい?」
父も二見にいた頃の買い物は泉屋なので、女将さんも懐かしくて会ってみたくなるのですねぇ・・・(笑)
12月31日付の記事に「30日はずっと船が来ない場合の予備日らしいだけど、果たして来てくれたかな。正月用品を届けるために無理を承知し、就航?」とアップしたところ、今日、青ヶ島からのグリーティングカードが届きました。
いつも、コメントの代わりに楽しいお話盛りだくさんのメールありがとうございます。
結局、還住丸の就航は12月21日が最後で、それ以降ずっと欠航です。
27日は還住丸が近くまで来てくれたのに、港の状態が悪く引き返してしまいました。
「あ~、今年は結局船が来ないまま年越してしまうのかな~?」なんて、島民のみなさんが残念がっていたところ、28日の村内放送で急きょ「黒潮丸が入港するとのこと」。
27日に引き返してしまった還住丸の荷物を黒潮丸に積み替えているので、なんとか青ヶ島のために頑張ってくれたそうです。
港も波がかぶっていて、クレーンを操作する職員たちの作業がとても大変だったそうです。
29日以降はずっと欠航のようですが、無事に正月用品が届いてよかったです。
日本海の荒れている海を見て、青ヶ島もきっと同じなんだろうな~と案じていたところ、無事だったようで安心しました。
※還住丸 (旅客45名+ゆうパック、宅急便、雑貨、食料品などの日常的な荷物)
黒潮丸 (大型家電具、自動車、バイクなどの貨物専用。旅客はどうしても、という場合には乗せてもらえそうです)
昭和時代の正月3日間といえば、調理をしなくていいように3日分のお節料理がふるまわれていたのに、時代が変わり、お正月でも調理です。
お店も3日間はどこでも休みだというのに、新聞折り込みのチラシを見ていると、「元日から初売り!」「開けて楽しみ!福袋!」「新春お買い得!1000円セット、3000円セット・・・」の文字がにぎわっています。
結局、家にあるモノでもう十分、どこも出かけませんでした。
伯母の家では、1品料理を大きな皿に盛って食卓に並ぶので、お腹がパンパン膨れてしまうほどの量でした。
ここではハン尚宮(母)が分量を考えているので、「あれ?昨日よりは少ない?」と錯覚してしまいそうです。
チラシ寿司は伯母のお手製、ヤリイカ(山口では「ミズイカ」)のフライは伯母からのお土産に入っていたもの、エビフライも山口県に住む母のお友達から。
明けましておめでとうございます。
2011年が明けてしまいました。
本年もよろしくお願いいたします。
健やかな1年を過ごせますように。
2005年8月20日、小笠原からの帰りに旅の備忘録のつもりでブログを開設。
気が付けば、あれからもう6年。
開設時の日本語がめくちゃくちゃおかしくて読みづらい面もあり、今読み返してみると、ちょっと恥ずかしいですが・・・(笑)
昨日(12月31日)までは波が高く、荒天続きの山口県の日本海側にいました。
故郷を午後1時に出発、午後7時半頃自宅到着。
伯母の鮮魚や野菜などで発泡スチロール2箱、段ボール4箱も・・・。
飛行機は箱の数や大きさに関係なく、1人20キロまでなので、2人合わせると40キロまで無料。重さを測ったところ、31キロでした。
空港のカウンターも荷物の量に驚かされたかも知れません。
もし、JRだったら・・・・縦、横、高さあわせて250センチまで、重さ30キロまで。
重量は許容範囲だが、大きさはちょっと超えてしまいそう。
JRはモノを積めるカートが常設されていないので、持ち運びにちょっと大変。
行きはあまり荷物がないので、格安な新幹線、帰りは飛行機が正解だったかも知れません。
いつも帰るたびに多量のお土産、本当にありがとうございます!!
当分の間、野菜や魚を買わなくて済みそうです。