職場からの眺め。
ずっと昔、今の職場に赴任した頃は、青い田圃の広がる田園風景でした。
平成19(2007)年の10月から駅前開発と称して、着工。
ところが・・・予算がないだとか、燃料が高騰になったからと工事が難航してしまい、砂漠の状態でほっかたらし。
最近、少しずつ公園に形成しつつあります。
真ん中に見える工事中の建物はイトーヨカドーになるかなと思いきや・・・ケーズ電気でした。向かいにPC DEPOTがあるので、液晶テレビやパソコンの販売に関してはライバルになるかも知れません。
このあたりに大きなスーパーがないので、イトーヨカドーができていれば嬉しいですけど・・・。
スーパーの鮮魚コーナーでおいしそうな6種類の刺身が・・・!!
思わず買ってしまいましたが、水っぽくで美味しくありませんでした。
キッチンペーパーで水分を吸い取ったにも関わらずです。
こんなのまずいの出せるな!と思えるくらい。
ここは海に近い房総半島のはずなのに、身が引き締まっていない。
腐ったようなにおいが出ていないので、鮮魚に変わりないはずです。
もしかすると、さばき方がヘタなのかも?
山口県の日本海に住む伯母からよく送られてくる鮮魚、青ヶ島をはじめ伊豆諸島、そして房総半島南部・グルメ派の宿政右ヱ門(まさえもん)の味覚を知る者にとっては、スーパーの刺身なんてまずいです。
もう2度と買うもんか!と心の中で誓ったのでありました。
ハン尚宮(母)いわく、生の刺身だとおいしくないけど、加熱すればおいしくなるかも?とのこと。
日本はいろんなモノであふれています。
スーパーに行けば、いろんな食料品。
買わなくてもよかったかも?と思えるほどの商品を買ってくるし、毎日のように無駄使いばかり。
この本を読めば、おのずと節約に心がけるような魔法の本。
「カードはただで使わせない」のページを開くと、納得してしまいました。
昔はクレジットカードをたくさん持ちすぎてしまいました。
年会費無料もあれば、数千円のカードも。
使わずに眠らせたままでも、年に1回年会費が引かれてしまいます。
某カメラのハウスカードを使えば、何パーセント割引、しかも付与するポイントも多いとかつられて加入。
たくさん持ちすぎると、それぞれの管理が大変になってしまいます。
メインカードはANAカード、サブはJR東日本ビューカードの2枚に絞り、あとは解約。
そのおかげもあってか、沖縄や北海道に行っても家族全員分の航空券は無料。
タダで沖縄に行けるのは、複数のクレジットカードで支払うよりもANAカード1枚に集約したため、陸(おか)マイラーとして次々とマイルを貯められます。
「スーパーへは虚心坦懐で行く」のページも納得。
○○円で詰め放題!!なんて売りものにしているところもありますが、詰め放題でたくさんゲットしても、日持ちが持たなければ腐って捨ててしまう。
詰め放題は確かお得感がしますが・・・食べきれなかったりすると意味がありません。 目から鱗が落ちる項目ばかり!!
無駄使いばかりしているので、これで実践!!
スーパーで「少量パック」のシールが貼られている野菜や肉類があります。
使い切りなので、冷蔵庫に余計なものを貯めこまなくて済むメリットあり。
買い物するときは「少量パック」を優先したほうがよさそうです。
小笠原での勤務経験を持つカナちゃんから久しぶりにメールが入りました。
何事かと思ったら・・・小笠原が世界遺産に!という内容でした。
今のところ「登録の見通し」になっていますが、今年(2011年)6月頃決定される見込みです。
一般人の行ける(※)、東京都最南端の小笠原村母島南崎は小笠原諸島のなかで1番好きなところ。
2009年7月(オリンパス μTough8000 1200万画素 で撮影)
2005年7月(ソニー サイバーショットT9 600画素で撮影) さらに・・・
2000年9月(コダック DC290 230万画素で撮影)
いずれ、同じアングルで撮っていますが、1番美しいのは1番下の画像。
1番古いデジカメだというのに、画像がくっきりしています。 南崎小富士からの眺め。
何回も南崎に来ているのに、さらに400メートル先の小富士まで登るのは大変だからとパスしていました。
2009年、やっと達成!!
ここまでたどり着くのに、都道最南端の入り口から徒歩1時間20分くらいかかります。
東京から週1回出る船で25時間半、さらに母島まで船旅で2時間半。
同じ都内の移動とは思えないほど、時間と大変な労力がいります。
小笠原が世界遺産に登録されると、観光客も増えるようになるかも知れません。
しかし・・・多くの人が押し掛けると自然が破壊してしまわないか、ちょっと心配です。
(※)日本国最南端は小笠原村沖ノ鳥島。人が1人立っていられるほどのスペースなので、近くに高床式の海上観測施設あり。(人が住んでいるかどうか不明?)
硫黄島も自衛隊が住んでいる有人島ですが、一般人の上陸は不可なので、母島南崎が最南端になります。
静岡県御前崎市にある浜岡原発を全て停止するよう菅直人首相が6日、中部電力に要請しました。
テレビで空からの浜岡原発を見ましたが、海岸沿いにあります。福島原発の環境によく似ています。
首都圏や関東圏に電気を送るために東北電力エリアによそものの東京電力の原発が置かれ、双葉町や富岡町、浪江町など原発から30キロ地域の住民たちが避難を余儀なくされるなど、甚大な迷惑をおかけしている状態が続いています。
今は節電モードに入っていますが、震災が起きる前までは福島原発の恩恵にあずかっていたかも知れません。
今日のニュースでタイから電力不足を補うために発電施設まるごと貸与を受けたとニュースに出ていました。これで東京電力管内の24万世帯に相当する24万キロワットを確保できそうです。
今後起こりうる大きな地震や津波に備え、浜岡原発も運転を停止してしまうと中部電力管内も東電みたいに計画停電や節電を求められるようになるかも知れません。
東京電力管内の工場がフル稼働できなくなったため、西日本に引越しした企業もあると聞いています。
中部電力エリアといえば、トヨタ自動車工場のあるところです。浜岡原発も停止となると日本経済が混乱してしまいそうです。
原発を使わずに火力や水力、風力・・・・さまざまなエネルギーに代替しようとしていますが、莫大な費用がかかってしまいます。そのため、電気代が数百円値上げするかも知れないと報道されています。
今回の教訓を得て、原発に頼りすぎにない日本に変えたらいいなと思っています。
図書館で面白い本を見つけてしまいました。
日本十進分類法(NDC)は726.5なので、芸術-絵画・書道-漫画・挿絵に分類。
切手に関することなら、産業-通信事業の693。
日本十進分類法をすべて暗記しているわけではなく、毎日いろんなジャンルの本と接していると、この本はどの分類に属するかなんとなく把握してしまいそうです。 日本全国どこでもコンビニでも買える、変哲のない80円普通切手。
2007(平成19)年10月1日、郵便局が民営化された初日に発売。
最初に見たときは斬新なデザインだと思っていたのですが、むしろ、前の80円切手(緑色のヤマセミ)のほうが配色がカラフル。 私は絵が得意ではありませんが、この本に書かれている内容を真似るだけで面白みのある封筒に出来上がり。線を引くとか、簡単なものばかりです。
これだけではなく、いろんな切手のデザインをうまく生かした、ストーリー性のある絵封筒の作り方なども出ています。
80円キジバトに羽や足を付け加えたりすると、見違えるほどのアクティブ。
ソフトバンクのお父さん犬ファンなら2円秋田犬の切手を使えばよいかも。
でも、カイくんは白い北海道犬。ハチ公と同じ秋田犬と一緒にするのはけしからんという声もありそうですが、2円切手はモノクロトーン、犬の部分は白く描かれていますし・・・。
秋田犬の2円切手は2種類あり、黒いのは1953(昭和28)年8月25日発行。
消費税導入に伴い、封筒の料金が62円に改定されたのは平成元年4月1日。
消費税対応として、デザインはそのままで濃いネイビー色にNIPPONの文字が入ったものが発行されました。
宛先は山口県、サイズ60、重量600グラム。
ゆうパックにすると、第3地帯なので800円。
少しでも料金を安くしたいときは、全国どこでも均一料金の定型外郵便。
600グラムは、580円。
(距離と重量により、ゆうパックのほうが安くなるケースもあります)
ゆうパックのメリットは・・・速達扱いで365日配達。お問い合わせ番号により、先方に届いたかどうかネットで確認ができます。荷物の中身が壊れたり、事故により紛失してしまった場合の補償あり。
定型外のメリットは・・・ゆうパックだと割高なエリアでも安く送れます。デメリットは箱状だと航空機に積めず、遠方でも陸路または船便で運ばれるので、配送日数に時間がかかります。紛失しても補償がない。
首都圏から北海道、沖縄宛だと、手紙、はがき、品名記載のあるレターパック、ゆうパックは航空機輸送。新東京支店羽田分室を経由し、翌々日配達。
ところが・・・品名記載のないものや、航空機に積めないモノ(リチウム電池、デジカメ、パソコン、スプレー、携帯電話等)があると、北海道宛ては大洗(茨城県)から苫小牧行きのフェリーに積みます。
沖縄宛は、熊本北支店、鹿児島支店までずっとトラック便。鹿児島からはフェリーに積んで翌日、那覇。宛先が八重山諸島宛てだと、さらに船便。
暖かくなってきたし、1991年5月31日発行の第2回郵便切手デザインコンクールの100円切手はちょうど「ちょうちょ」。
沖縄に思いをはせ、2007年6月1日発行のふるさと切手沖縄県版のジンベイザメ、ハタタテダイ、カクレクマノミ、ルリスズメダイ、マンタ連刷の沖縄魚に1975年7月19日発行の沖縄国際海洋博覧会記念(沖縄舞踏+紅型+地球とアクアポリス)
2010年発行のチーバくんが載っている第65回国民体育大会、「飛」のイメージを表す1969年の第24回国民体育大会の「ラクビー」、翌年の第25回も「馬術競技」。
つまり、「今年は千葉から沖縄へ飛んで行きたい」というテーマの「切手で遊ぼう」です。
集配を行う、最寄りの支店へ。
シャッターの向こうは郵便局株式会社。
日本郵便事業の支店は年休無休で開いています。
支店窓口担当者は4月の人事異動で変わったのか、初対面の方でした。
顔見知りだと、回転式のローラーではなく、その場でシャチハタの消印で丁寧に押してくれたのですが・・・(笑)
あの震災以降、久しぶりにBSチャンネルを見ようとしたら・・・・真っ黒のまま。
地上デジタルは問題なく受信できるのに、衛星のアンテナ感度は以前に比べるとかなり低下していました。(アンテナレベル16)
3月11日の大きな揺れにより、衛星パラボナアンテナの向きが少しずれていたかも知れません。角度2度以上ずれていると、映らなくなるらしい。
マンションやアパートの共同受信施設なら、管理者が直してくれるけど、戸建の家では屋根の上までよじ登るのはかなり危険。
衛星放送はアンテナが少しでもずれていたら受信できないほどのシビアだったのですか。今まで知らなかった。
4月28日の夕日がとてもきれいだったので、載せます。
田舎町では早くも田植えが始まっています。
ここは房総半島内陸部なので、丘に沈む風景。
今まで京葉道路から小松川線に入ったところの右側で目立つように建っているのがよく見えました。高速道路なので、ちらっと見る程度ですが、今回は電車で行ったのでじっくりと眺められました。
武蔵の国にちなみ、高さは6(む)3(さ)4(し)メートル。
ここは房総半島内陸部の田舎とはいえ、地上デジの電波は東京タワーからギリギリ拾っています。
電波を増幅させるブースターに接続すると問題なく映りますが、ワンセグはエリア外。
2012年の春、開局すると関東全地域カバーできるようになるはずなので、どこでもワンセグが見られるようになります。
ツカイツリーの電波が伊豆諸島まで届くか、現時点ではまだわかりません。
届くとしたら、130キロ先の利島あたりまでかな? 関東の駅百選に選ばれた、東洋初の地下鉄・浅草駅。
日本一古い地下鉄は1927(昭和2)年開業の浅草~上野間の2.2キロ。
この地下鉄入り口の建物も開業時当時のまま保存されています。
昔の日本人は背が低かったせいか、日本一古い銀座線の天井は他の路線に比べると低くなっています。
浅草からそのまま京成線の千葉までつながっているのに気づき、帰りは京成線経由で。
東京都のイチョウマークがついている都営の車両に千葉県の「印西牧の原」行きがやってきました。
京成高砂を出ると、次は新柴又。さらに次は矢切。「矢切の渡し」という言葉は聞いたことがあり、柴又と松戸の間に流れる江戸川のこと。松戸とは、千葉の反対方向。
路線図をもう1度よく見ると、また間違えて乗ってしまいました。
反対方向に乗り換え、青砥へ。行先は「特急 成田空港」。
路線図で確認すると千葉に行くのに途中の京成津田沼で乗り換え。
どうやら、京成電鉄は社名のとおり「東京」と「成田」を結ぶのに便利な路線。
千葉だと途中で乗り換えしなければならないので、ちょっと不便かな。
JRは節電のため、明るい時間帯は全部消灯だが、京成は車内一部の蛍光灯が抜かれている歯抜け状態。
今日のニュースで知りました。皇居は計画停電の対象外だというのに、計画停電が発表された3月15日から4月30日まで毎日被災者たちへの思いを馳せ、皇居で第1グループの停電時間に合わせ、自主停電に取り組んでいたことが明らかになりました。
国民と同じ目線で取り組んでおられる天皇陛下に頭が上がらない思いです。
今日は5月2日。2日と6日に有給休暇を入れれば、4月29日(金曜日)から5月8日(日曜日)まで10連休になってしまいます。
しかし、皆さんがお休みになるホリデーは仕事なので、明日から出勤。
今日は平日の週休日なので、休み。
この機会にずーっと使わないまま放置してあるモノを処分。
・1997年製造の小型冷風機
当時、熱が上にこもりやすいワンルームのロフトに設置。40万ウォン(≒3万円)の大金を果たしたのに、機械の後ろから熱風が排出するので、閉めきった部屋では不向き。
すぐリサイクルショップで売れば、少しはお金が戻ってきたかも知れないが、14年前の製品だし、捨てるしか・・・。
エアコンと同じ原理を持っているので、家電リサイクル法に則り、クリーンセンターでは引き取ってくれないかもと思っていたのですが、粗大ゴミ扱いで縦、横、奥行きの長さ150センチ以上は有料。持ち込んだのはそれより小さかったので、無料でした。
(※市町村により異なる場合もあります)
・文字放送チューナー 2台
我が家に地デジのテレビが入るまでアナログ放送の字幕表示でお世話になった機器。
・2001年の古いパソコン本体
パソコン本体にリサイクル料金が含まれるようになったのは2003年発売以降。
(「PCリサイクル」のラベルが本体にあれば、無料でメーカーに引き取ってもらえます)
それ開始以前に購入したパソコンは、「回収再資源化料金」の負担が必要になり、1台およそ3000円。
パソコンを捨てるのにお金がかかるのはもったいないと長年も放置していたのですが、最近、パソコンを無料で引き取ってくれる業者が増えているようです。
壊れていても、着払いOKのところに送ってしまいました。
・こまごまとした 不燃ゴミ(山ほど)
今日は月曜日なので、空いているかと思っていたのに、長い列をなして並んでいました。
せっかくの連休なので、長年も眠らせているモノを処分しようと皆も同じようなことを考えていたかも知れません・・・。
この展示会は・・・世界どこでも瞬時に届くインターネットの電子メールや携帯のメールよりも赤いバイク、軽トラック、輸送車、航空機・・・などに積んで運ばれる手紙の良さ、いろんなデザインの切手を集める楽しさを多くの方々に知ってもらうために年1回の切手趣味週間(4月中旬~下旬)にあわせて開催されます。
全国の小学生から大人までの切手コレクションを自作のアルバムでまとめたものを展示されています。 4円切手、1963(昭和38)年5月15日発行。
2002(平成14)年頃まで、旧東京中央郵便局で普通に売られていたときにたくさん買い置きしてしまいました。
ところが・・・使い道がないままずっと眠らせています。
1953(昭和27)年7月10日発行の10円観音菩薩像。
法人や企業のダイレクトメール等で1ヶ月まとめての支払いに切手シートが使われたようです。
ローラー消しではなく、わざわざ手押しで・・・。
1円切手でも有価証券とし、法的に有効。しかし、全面前島密氏(1円切手の図案)の顔だらけだと受取人はさすがにビックリするかも知れません。
いまどきの子供たちは切手に興味なさそうと思っていましたが、思っていたよりもたくさんいるようです。
大日本帝国時代の台湾と朝鮮で日本の消印が押された手紙。
昔は左からではなく、右から読むので、「山釜」は韓国のプサンと読めます。
切手遊びの作品。(作者は内尾夕子さん)
切手絵柄の続きを描いているので、どこかに切手が隠されているかようです。
実際に郵便物として差し出すと、郵便屋さんは切手を探して押すのに苦労してしまいそう??(笑)
これは1991(平成3)年7月5日発行の「第11回世界ろう者会議」の図案。
「世界をつなぐ」の図案を拡大し、その真ん中にホンモノの切手。
62+3+3+1+1=70円。
国際郵便はがきの料金に該当しますが、消印は国内向けになっています。といういうことは10円不足!?
これも切手アート。消印が押されたからと用済みではなく、そのようにリサイクルできていれば嬉しい。 前島密LOVE。
1円切手の意匠は・・・「郵便」「切手」「はがき」の名称を定めた郵便制度の父である「前島密」氏。
端数の出る郵便料金は第三種しかなく、1円の需要がないです。それなのに、新デザインの1円切手が発行されました。
なるほど・・・既製品のぼち袋よりも、そっちのほうが喜ばれそう。
郵便物ににぎやかな切手を貼りたがる気持ちがよくわかります。
7階フロアは切手商各社が珍しい切手を販売中。
郵便に使う古い切手は、「額面通り」「額面割れ」で多量仕入れ。
プレミアムのついている切手は買わないけど、額面以下だと割安感がするのでついまとめ買いしてしまいそうです。
今回もまた大昔の切手ばかり原価で買ってしまいました。
郵政省(~2001年)または逓信省(~1949年)の切手でも原則として、今の日本郵便事業に引き継いでいるはずなので、使わせていただいています。
夕刊トップページの片隅に載っている「よみうり寸評」はほとんど読まないのに、今日はなぜか「青ヶ島」の文字を見つけてしまいました。
常に情報収集のアンテナを張っているので、「青ヶ島」を検出してしまったかも知れません。
青ヶ島のモーゼとは、このお方です。
小中学校前の道を少し上がったところの保育園側にあります。
青ヶ島最大の天災は1785(天明5)年の大噴火。
新聞記事に書かれていませんでしたが、当時の島民は334名。
中央部の丸山が噴火してしまったので、避難口は北部の神子の浦でした。
断崖絶壁なので、急こう配の険しい斜面を下りて海岸に出たそうです。
202名は船でお隣の八丈島へ避難することができましたが、残された132名は残念ながらお亡くなりになりました。「天明の別れ」とも言われています。
名主佐々木次郎太夫氏の尽力により、ほぼ半世紀後の1824年には全員帰島が達成。
3月11日の東日本大震災と原発事故により、今でも13万人の方々が避難生活を送っています。
大噴火により、半世紀も無人島だったというのに無事還住を果たし、今の青ヶ島があります。
これと同じように、津波が来ても完全防衛できるように高台に移したり、原発も早く収束に向かい、一刻も早く被災地市町村の「還住」が叶えるようにお祈りしています。