歩くことで一日の運動を補っている。8月初旬、中旬は太陽が昇らないうちに家の周辺を40分間、季節の自然を楽しみながら歩くが、じっとり汗をかく。この時期にはよくミミズが土から這い出して死んでいる。どうして土用の朝、死ぬために出てくるのかな?「土用になったら這い出して死ね!」と神様に教えられたと聞いたことはあるが、本当かな?死にきれないのかまだ動いているミミズもいる。が、死ぬ運命にあることは間違いない。10匹ぐらい出会う日もある。ミミズはカラスからスズメまで鳥たちの朝食のご馳走だ。周辺の木々には蝉の声がうるさい。今は羽が茶色な油ゼミと羽が白いミンミンゼミだが8月20日ごろには早秋を告げるツクツクボウシが鳴き始める。場所によってはカナカナ蝉(ヒグラシ)も哀愁を込めて鳴く。誰かに別れを告げているのかな?朝早いと死んだセミ・・・裏返しになっている・・・や怪我したセミに会う。 涼しくなれば筆者の散歩距離も伸び速度も速くなって本格的に運動量も増える予定だ。まだまだ88歳の同世代にも1桁年下の人たちにも負けないつもりでいる。(自悠人) 写真:熱暑で乾燥しちゃったミミズ君と裏返しに転がっていたセミ君
50年愛用した植木剪定バサミを無くした。松のある現地、福生の空き地で失ったと思い探しに行ったが見つからなかった。木の上から落としたか、仮に置いた場所を忘れたのかと、何度探しに行ったことか。使い易くて便利なハサミだった!松の木の剪定には機能面で優れたハサミで、特に使い慣れたハサミ、これ以上便利で気に入ったハサミはなかった。軽いので上方の枝では特に使い易く、切れ味と安定感は最高。構造的にも、全体は小さく、指を入れて掴む手の部分は大きい。旧式で現今は市場では買えない。最近のハサミは刃物部分が重視され、大きくてよく切れるが重いのが欠点だ。木に登っているのだからネ。この愛用バサミ、私の寿命に合わせてお先に失踪したのか?米寿まで使えたことに感謝した。それにしても物忘れの進行が早まって来たようだ。
オー、お気に入りのハサミ、見つかった!!!記憶通り福生の空き地だった。今までいくら探しても見つからなかったのは、通常ハサミを置く左奥の鉄棒の付近ではなく、手前の右側、駐車する附近の地面に張り付いているのをワイフが発見した。錆びてはいたが問題ない。消息不明の我が子に会えたように愛しい気持ちに駆られた。親愛なるハサミ君、まだ縁は切れていなかったネ。有難う!
写真:左が愛用のハサミ
たまに微熱36、9度があり咳はなかったが都立医療センターで検査してもらった。心配の原因だが、マスク無しで買い物に行ったりし、結構な年齢でもあるので、この熱はコロナに関係があるか知る必要があった。若い医者が半信半疑で検査を引き受け、検査場所は外だった。鼻から検査棒を入れて検査、3日後に電話で連絡するということで、約束の日に「陰性!」の電話を頂いた。気分良し。支払い請求書は後ほど郵便でくるとのことだった。ところでコロナの検査体制だが、自ら希望した場合お粗末だと思った。筆者は保健所に身体の状況を話して申し込んだが、総合的な受け入れ態勢がないのか、私の年令を考えたのか、家の近くの内科らしき医院の名前を3軒教えてくれただけ。一番大きくて行きつけの医院に電話したら、「当院は検査出来ないので府中医療センターに行け」と。この医療センターでは救急扱いで受け付けてくれたのだが、3時間は待って下さいの条件付き。検査は外部に出すのでの結果は3日後に電話すると。「陰性です!」と電話が来てほっとした。ワイフも癌手術後の定期検診は問題なく、ほっと安堵の先週だった。 付言すれば、頼りないのが保健所、聞かれたから返事をするだけという、他人事のような反応、PCR検査を含めコロナ対策は仕方なくやってやるような感じだった。陽性者が増えたら対応が間に合わないのではないか。(自悠人)
お世話になることもご馳走になることも非常に多いお隣様に恵まれ感謝々々の日々だが、なんと昨日はまた立派な鯛を頂き、本日のお昼は鯛の姿焼き、美味しかった!鯛の鱗取りは道具を持っているので簡単、ご馳走様でした!この鯛は鳥取県の泊村(市町村合併で今は湯梨浜町?)からの到来物とか、奥様のKazuko様はいつもPC Workでお世話になるKei君のご母堂だ。偶然にも夫と同じ鳥取県中部のご出身、というご縁だ。特にお世話になるKei君は我が家のPC110番、PC の問題はどんなことでも解決出来る有能・優秀な青年で、PCの定期点検もして頂く。遡れば自悠人の郷里の、今は亡き義姉も、住居がKazuko様のご母堂、Hiroko様のご近所だったとかで、何かとお世話になったようだ。このHiroko様は92歳でご健在、1人でお住まいだ。最近、Hiroko様からの到来物、スイカの名産地、鳥取県の西瓜をご馳走になったが、この鯛もHiroko様からかもね。ご郷里からの到来物にしょっちゅう舌鼓打たせて頂き、何かと助けて頂いて、と、お隣様に感謝の日々だ。 先頃、当BlogでYoshiさんのご母堂、姿勢が良く料理上手でなかなか真似の出来ない素敵なシニアをご紹介したが、もうお1方、Hiroko様を思い出してここにご紹介する次第だ。ご年齢やご姿勢だけでなく、「人にご馳走したり手を貸したりする喜びを持つシニア」の生き方を学ばせて頂き、こういう風に年を取りたいものだと願う。「おんぶにだっこ」状態でお世話になる素敵なご1家がお隣さん、というご縁に感謝し、芽出鯛(めでたい) 生き方モデルの素敵なシニアお2方を思いだしてまた感謝。(彩の渦輪)
大相撲7月場所が終わった。筆者は相撲ファン。我が家にTV は無いので、夫と★家にノンアル・ビール&おつまみを持参し、★先生と3人でTV前に陣取った。筆者は郷里鳥取県出身の石浦やお隣の島根県、隠岐ノ島出身の美男、隠岐の海のファンだが、夫、自悠人はモンゴル出身、照の富士のファンだ。照の富士は元大関だったが、怪我や肝炎、糖尿病などを患い、「引退したい」と何度もお師匠さんの伊勢ケ浜親方に申し出たそうだが、その都度この親方さんが踏みとどまらせ、本人も思い直し、何とかリハビリや病院に通って持ちこたえ、今場所優勝したのだ!!!幕下まで落ちた人が優勝するのは44年振りだそうだ。師匠の伊勢ケ浜親方は、「勝ち越して怪我もなく終わればいいとみていた」そうだ(東京新聞)が、なんと幕尻の愛弟子が優勝し、涙をこらえるため天を仰いでいる時、この親方さん、伊勢ケ浜親方はお目目ウルウル、涙をぬぐっておられた。照の富士の優勝インタヴューでの挨拶がまた良かった。「親方さんや周りの人に恩返しをしないと、と思って頑張った」と。伊勢ケ浜親方は審判部長でもあり、照の富士に優勝旗を手渡す係りだ。優勝旗を受け取る照の富士より伊勢ケ浜親方さんの方がもっとハッピーだったのでは?と想像できるほど幸せそうな表情だった。おめでとう、照の富士と伊勢ケ浜親方さま!(彩の渦輪)最後の写真が伊勢ケ浜親方さん