あけぼの

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海外日本語教育の目的とアイデア

2008-02-12 20:58:04 | アート・文化

昨年より州立シンシナティ大学の一カレッジで准教授として教鞭をとっている。本物の日本語・日本文化を求めている大学生に言葉の教育で奉仕するのは意義がある、と再びの教師職だ。日本文化を理解してこその日本語学習であるとの考えから私はさまざまな工夫をする。日本の童揺や叙情歌を自分の英訳付きで配布し、教室で歌ったり、自作の英文短編小説を読ませ日本語の短文で感想を書かせる試験も行う。書道等、日本文化を学ぶ日も多く設定し、作品はドキュメント・カメラ等のハイテクも駆使して鑑賞、出来上がったパワー・ポイントは学科長によって学部ニュースとして学内に流される。読む、書く、話す、聞くの4スキル全ての発達とコミュニケーション力の向上を目的としつつ、特に重視しているポリシーは「平等」である。どの学生にも平等にチャンスを与え差別しないことに神経を使っている。(彩の渦輪)


筆者のアメリカ、研究生・教師歴

2008-02-12 00:02:48 | アート・文化

投稿者、彩の渦輪は1990年、52歳のとき夫の転勤に伴いオハイオ州シンシナティへやってきて、着いた翌日大学院の門を叩いた。当初はもたついたが、私立ザヴィエル大学教育学部修士課程に入学、ほぼ200年の歴史を誇るこの大学に日本語学科がないことを知り、関係者に呼びかけ、現代言語学部に日本語科を開設させ初代講師となった。新米教師の熱意と当時の若者の日本語熱とが合致し3年生まで担当、6年間在職した。世界一といわれる企業、GEからも声がかかって教え、駐在員の妻、地域住民、大学院研究生、大学非常勤講師として、忙しく充実した日々を送った。2年半で修士課程を終え、暫くは教えるだけの生活だったが、58歳で州立シンシナティ大学の博士課程に進み、還暦にて教育学博士号を取得した。学び、研究しつつ、多文化・異文化教育やその一環としての日本文化も教え、20年間日米を往復してきた。日本語を教えるに当たっては単に一文化の一言語としてではなく、多文化教育の一環としての日本文化を教える、という心がけでやってきた。専門は平和教育そのものであるグローバル教育、多文化、異文化教育である。持てる国も持たざる国も、強国も弱国もいかに共存するかを教え、学ぶのがグローバル教育、一つの文化が他の文化より優れている、という態度はグローバル教育に反するのである。(彩の渦輪)