あけぼの

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3年後に飲める梅酒を作る意味はある?

2014-06-16 19:45:37 | アート・文化

Dscn1176 息子の立川高校入学を記念して庭に植えた一本の梅の木、当初はその紅梅を鑑賞するだけだった。ワイフは新島襄の言葉、「真理は寒梅に似たり 敢えて風雪を冒して開く」を口ずさみながら寒中開く梅の花とそこにやって来る鳥たちを楽しむのが常だった。だがあまりにも多く実をつけだしたので勿体なくて「花だけでなく実も愛でよう」と梅酒造りを思い立った。過去25年以上、アメリカに住んだ20年間でさえ、梅雨に帰国しては造ってきた。市販のものは甘すぎるので我が家に丁度良いかすかな甘味にし、梅は多め、手前味噌ながら大変美味だ。ワイフは梅酒造りには無関心だったがTastingには年中つきあってきた。この梅の木、枝葉が茂ったので「来年はさっぱりと坊主にするぞ、梅酒造りは今年が最後かも」と言ったら、ワイフが梅を洗ったり干したりと、作る時から手(ちょっかい)を出してきた。理解に苦しむなあ。(自悠人) 梅酒は最低3年は寝かさなければ美味にならないと自悠人が言う。梅の収穫が多く5瓶も作ったが、「いいお年」の夫と「既往症あり」の妻が、床下にまだ沢山瓶があるのに、今また5瓶も作る意味は?はてさてこの梅酒、頂くときがあるのかな?と、砂糖を計量しつつ、我ら夫婦の命も天秤にかけた。(彩の渦輪)