西山公園とめがねMuseum小川地球村塾によく日帰りで参加してくださる福井県鯖江市在住の純子先生が今年は超多忙で参加不可能、ならばこちらから出かけてお会いし、ついでにJ-Angleに鯖江周辺を紹介しよう、という思いつきで連休に越前地方へ。福井県へは学生時代、親友と永平寺や東尋坊を訪れてから半世紀も経っていた。素敵なご夫君に丸々2日半、歴史と現代の織りなすお祭りや博物館へと東から西へ北から南へ、福井県のみならず石川県の一部もご案内、そして小松空港まで運転していただいた。純子先生の勤務先も訪問、モルモットのルビーちゃんと遊び、子どもの小学校時代を思い出して懐かしさひとしお。日本歴史公園百選に入る西山公園は日本海側随一のつつじ名所、5万株が満開で咲き誇っていた。春祭りには人出が多く駐車不可能ということで早朝の散歩としゃれたが、つつじもシバザクラも圧倒される美しさ。めがねミュージアムのビルは真上から見てもめがねの形だとか。日本のメガネの96%、世界の20%を製造とか。約100年前に実際に使われていた道具や有名人眼鏡コレクションが面白い。紙祖神(紙の神様)、岡太(おかもと)神社・大滝神社は福井県無形民俗文化財で写真のごとく「幾重もの波が寄せあうような屋根-パンフより-」しっとりと美しい。永平寺の勅使門を作った大久保勘左衛門の手になる。越前和紙の里、紙の文化博物館・卯立工芸館やうるしの里会館、山車会館・職人工房で実演中の人々はジョークが上手く(「禿野禿男で~す」等、笑顔が爽やかだった。特筆すべきは、なんと、ご案内頂いた純子先生のご夫君、善弘さまの祖先、善左衛門は石田縞の元祖だった!郷土の社会科副読本にも載った石田縞の創始者、高島善左衛門は文政年代(1818~1829 今から約200年くらい前)、貧しい村人を救うため縞木綿織物を美濃国に習いに行き、工場を建て、農家の婦女子を集めて始めた。石田縞は小学校や女学校の制服にもなり大正時代が最盛期、県内外で好評、海外にまで輸出され、福井県は繊維王国として発展していった。その子孫、善弘さんは畠山みどりの話題から筆者の学生時代の親友のご親戚と判明、点と点が線に繋がったが、轍の長い線も描いて福井県中を運転してくださった。(彩の渦輪)
紙祖神、岡太神社、紙の工芸館やうるしのさと会館