写真1.通りかかっただけで突然ごちそうしてくれた家族、ムンク君やお母さんと
2.ウギー湖で釣れたこんなでっかい淡水魚
かつてモンゴル帝国の首都が置かれカラコルムと呼ばれていた世界遺産のハラホリンへ4WDを調達し日帰りを試みた。工事中が多く道なき道もあり、前後左右上下に身体を揺すられ、腰痛と既往症持ちの夫婦には13時間振動続きの行程は酷だったが、通りかかったウギー湖で疲労が霧消した。湖畔でピクニックをしていた親子から「息子が英語を話します。一緒に食べましょう!」とご招待にあずかったのだ。ムンクゾル(愛称ムンク)君は国際高校の生徒とか、礼儀正しく英語は流調で会話力に富み、家庭教育が偲ばれた。何とウギー湖で釣ったばかりの魚をすぐ調理し、搾りたての馬乳と共におもてなし。初体験の馬乳は酸味がありこれも美味だった。
「世界遺産より人間遺産!」という我ら夫婦の信条通り、今回は出会い中心の報告だが、モンゴルでは大変家族の絆が強いことや密度の濃い家庭教育を実感した。2組の麗しい親子に馬乳で乾杯!(彩の渦輪)
鶴竜の父君は学部長、同時に思慮深き教育者
1来日した時こんなに痩せて可愛かった鶴竜 2.父上が学部長のモンゴル国立科学技術大学受付 3.晴れの卒業生と両親 筆者は相撲ファン。相撲は裸一貫、丸腰で戦い、技能、頭脳、努力、忍耐力が物を言うスポーツで体躯の小さい力士が巨漢を転がすことも大きな魅力だ。新横綱の鶴竜は小柄だが努力家、常に冷静で頭脳的な相撲が多い。どんな家庭教育をされたのか父君に会ってみたいと思っていた。ブルガリアでは琴欧洲のお父さんに会って記事にしたので「こんどは鶴竜だ!」と。だが急に決めたモンゴル行き、面会予約も出来ずに出かけた。入国してからもチンギスハンゆかりの遺跡等、広大な草原の国の探訪が先になり、ついに滞在最後の日となった。とにかく大学へ行ってみることにした。キャンパスの一角にモンゴル・日本センターという立派な建物があり飛び込むと、図書館で働くアザーさんが、彼はモンゴル国立科学技術大学の学部長だと調べてくれ、「行って見ましょう!」と。運良く同じキャンパスだったのだ。7月1日のその日は卒業式、角帽とガウンの学生や家族で溢れていた。学部長室に行ってみたが彼は不在、式典は2回あり、勿論学部長は祝福の辞を述べねばならない。携帯番号を教えて頂き、アザ-さんの努力と筆者の粘りで式典の合い間に会っていただけた。筆者は父上、チメド・マンガラジャラブさんが鶴竜をどうのように育てたられたかを伺った。なおアナンダは鶴竜の愛称だ。
①個性を育てる教育です。アナンダの興味を聞き、彼の好きなことを重視し、それを育てるよう一緒に考えました。アナンダは始めアメリカ留学の夢を抱いていましたが後に相撲が好きになり、彼の目標について親も一緒に考え、目標必達を教えました。②嘘をつかず正直に生きて行くよう教えました。失敗しても親に相談し、失敗の原因を究明し、一緒に考えて解決してきました。③アナンダにモンゴルの秘史を5回読んでもらい、男子の生き方を学ばせました。男子は常に「強くあれ、勇気を持ち、目的に向かって努力せよ」と。
力士にならなかったらアメリカ留学していた鶴竜。TV画面の優しい鶴竜から父の教訓が伝わってくる。愛情に満ちた教育者の父君に面会し、昇る鶴竜が一層好きになった。(彩の渦輪)
米子駅
中学生によるがいな太鼓演奏
米子へ。鳥取県立米子東高校の同期生会出席と他にも目的があった。行きは夜行バスで10時間、帰りはANAで1.5時間。同期生会では恩師のお隣の席、中学生の「がいな太鼓」演奏もあり盛り上った。挨拶の順が回って来た。「アメリカに20年住み、学び、大学で教えました。平和教育、グローバル教育、多文化教育が専門です。今日は皆さまに呼びかけたいことがあります。私たちのバックボーンに米子東高がありますね。人生の荒波を乗り越えてきたエネルギーの源も米子東高校でしょう。その東高に少しでもお返しが出来るかと、若い後輩高校生たちのために海外短期留学支援プロジェクトを立ち上げます。海外で学ぶことは実に大きな自信を齎します。ご興味のあるお方はお声をかけてください」と。母校も訪問し、後輩でうら若い校長先生に会った。母校は60年前と同じ佇まいだった。(彩の渦輪) 米子鬼太郎空港