Kは、第2会社が成功する為には2つの条件を考えて居ります。
一つは新会社が今の工場を居抜きで使う事です。
もう一つは今の受注先を第2会社との取引に変える事です。
特に此れは受注先だけでなく銀行も認めてくれないと、
後で差押などが有れば困ります。
工場は河川の土手際、500坪は自分の土地ですがあとの500坪は、
7軒の地主から借りて居ります。1000坪の土地に、何回も建て増しを
繰り返した工場が有ります。
仮に競売になっても買い手は付かないでしょう。
工場の仕事は機織、詰り、機屋(はたや)です。
大手の紡績会社から原料の糸の支給を受け、布に織って納入する
工賃仕事です。今は6軒ほどが受注先です。どの銀行も受注先を
知っています。会社を変えると解かったら直ぐに差押に入らないかが
心配です。1軒でも差押に入れば、全取引が出来なくなります。
先ず工場を買い戻そう。
買い戻したら直ちに受注先に新会社に口座切替をお願いしよう。
そして、銀行には金利をストップしようと、Kの筋書きは決まっています。
工場だけは買戻すより他、方法はないだろう。
時価3000万と踏んで、その分は以前から用意して居ります。
問題は買戻しを何時どんな口実で切り出すか、其の理由とタイミングです。
そのために切り出しはどんどん遅れています。
Kはたった此れだけの筋書きを決めるのに何年とかかって居ります。
リスケと云う言葉が流行る前からリスケはお願いしてきました。
銀行も時に文句を言いますが、相手は老舗の当主、どの銀行も簡単に
それ以上のことは出来なく、つい、だらだらとした関係が続いて居りました。
そんな中で、Kもいろいろ検討をして居ります。
手始めは民事再生法でした。分社なども検討を重ねました。
その結果、Kの場合は第2会社が一番良い。
其れを進めるのはK以外に居ないと結論付けたのです。
後は其のタイミングだけです。
Kだって簡単に「今月から金利も払えません。」とは云えません。
すまないという気持ちと、怖さが入り混じって居ます。
やがて、再来月からもう金利すら払えないという見込みです。
今まで考えても出なかった口実が、今更出ることは有りません。
事実の通り、息子の会社が買い戻すと云うことにしました。
「息子はKの会社を引き継ぐのではなく、将来は自分でやる積りで、
嫁の里などと相談して会社を作りました。何れこの工場も利用するでしょう。
当分は今の会社で、息子より借りて事業は続けます。」
取ってつけたような口実でも、どの銀行も何も言いませんでした。
第一抵当権の公庫は2000万で担保解除してくれました。
2位以下のハンコ代も安かったです。
機械・設備を問題にする銀行は有りませんでした。
さあそうなれば今度は受注先に対して口座の切り替えだす。
同じ工場で息子が社長になって同じことをやると云うので、
何処も簡単に承知をしてくれました。
以前から息子が営業に回って人望を得ていたのも大きかったですが、
其れよりこの地ではもはや信頼できる機屋が無いことも大きな原因でした。
工賃は20日締めで月末払いです。銀行返済は25日。
21日に一斉に切り替えて、各銀行に25日の金利の支払いも無理のことを
告げました。月末までに仮差がなければ大丈夫です。
この10日間は生涯で一番長かったと、Kは人に漏らしております。
しかし心配した仮差もなく、第2会社は上手く、あっけなく稼動を始めました。
K我借金の整理を思い立ってから、今日までに何年となく過ぎて居ります。
その間に、K自身も随分変わって居ります。
しかしながら、世間はもっと変わって居りました。
此れがすんなり第2会社に移行できた最大原因と思います。
当初はリスケすら厳しかった銀行も、今では企業再生にも好意的な見方を
してくれます。Kの会社も、もう幾らつついても何も取れないだろうと
大分前から各銀行決めて居た節が思い当たります。
銀行もKの整理時期を模索して居た処に、Kの方から飛び込んだのです。
双方にとって最良のタイミングだったと思います。
Kはいろいろ勉強をし、シュミレーションを繰り返しながらこの方法を
決定しました。しかし、それ以上に今回のKが受け入れられたのは、
社会のムードがよりKの希望に合っていた事です。
社会全体の流れ、変える人も居るでしょうが、それに従った方がはるかに楽です。
宜しければ、ホームページもご覧下さい。
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一つは新会社が今の工場を居抜きで使う事です。
もう一つは今の受注先を第2会社との取引に変える事です。
特に此れは受注先だけでなく銀行も認めてくれないと、
後で差押などが有れば困ります。
工場は河川の土手際、500坪は自分の土地ですがあとの500坪は、
7軒の地主から借りて居ります。1000坪の土地に、何回も建て増しを
繰り返した工場が有ります。
仮に競売になっても買い手は付かないでしょう。
工場の仕事は機織、詰り、機屋(はたや)です。
大手の紡績会社から原料の糸の支給を受け、布に織って納入する
工賃仕事です。今は6軒ほどが受注先です。どの銀行も受注先を
知っています。会社を変えると解かったら直ぐに差押に入らないかが
心配です。1軒でも差押に入れば、全取引が出来なくなります。
先ず工場を買い戻そう。
買い戻したら直ちに受注先に新会社に口座切替をお願いしよう。
そして、銀行には金利をストップしようと、Kの筋書きは決まっています。
工場だけは買戻すより他、方法はないだろう。
時価3000万と踏んで、その分は以前から用意して居ります。
問題は買戻しを何時どんな口実で切り出すか、其の理由とタイミングです。
そのために切り出しはどんどん遅れています。
Kはたった此れだけの筋書きを決めるのに何年とかかって居ります。
リスケと云う言葉が流行る前からリスケはお願いしてきました。
銀行も時に文句を言いますが、相手は老舗の当主、どの銀行も簡単に
それ以上のことは出来なく、つい、だらだらとした関係が続いて居りました。
そんな中で、Kもいろいろ検討をして居ります。
手始めは民事再生法でした。分社なども検討を重ねました。
その結果、Kの場合は第2会社が一番良い。
其れを進めるのはK以外に居ないと結論付けたのです。
後は其のタイミングだけです。
Kだって簡単に「今月から金利も払えません。」とは云えません。
すまないという気持ちと、怖さが入り混じって居ます。
やがて、再来月からもう金利すら払えないという見込みです。
今まで考えても出なかった口実が、今更出ることは有りません。
事実の通り、息子の会社が買い戻すと云うことにしました。
「息子はKの会社を引き継ぐのではなく、将来は自分でやる積りで、
嫁の里などと相談して会社を作りました。何れこの工場も利用するでしょう。
当分は今の会社で、息子より借りて事業は続けます。」
取ってつけたような口実でも、どの銀行も何も言いませんでした。
第一抵当権の公庫は2000万で担保解除してくれました。
2位以下のハンコ代も安かったです。
機械・設備を問題にする銀行は有りませんでした。
さあそうなれば今度は受注先に対して口座の切り替えだす。
同じ工場で息子が社長になって同じことをやると云うので、
何処も簡単に承知をしてくれました。
以前から息子が営業に回って人望を得ていたのも大きかったですが、
其れよりこの地ではもはや信頼できる機屋が無いことも大きな原因でした。
工賃は20日締めで月末払いです。銀行返済は25日。
21日に一斉に切り替えて、各銀行に25日の金利の支払いも無理のことを
告げました。月末までに仮差がなければ大丈夫です。
この10日間は生涯で一番長かったと、Kは人に漏らしております。
しかし心配した仮差もなく、第2会社は上手く、あっけなく稼動を始めました。
K我借金の整理を思い立ってから、今日までに何年となく過ぎて居ります。
その間に、K自身も随分変わって居ります。
しかしながら、世間はもっと変わって居りました。
此れがすんなり第2会社に移行できた最大原因と思います。
当初はリスケすら厳しかった銀行も、今では企業再生にも好意的な見方を
してくれます。Kの会社も、もう幾らつついても何も取れないだろうと
大分前から各銀行決めて居た節が思い当たります。
銀行もKの整理時期を模索して居た処に、Kの方から飛び込んだのです。
双方にとって最良のタイミングだったと思います。
Kはいろいろ勉強をし、シュミレーションを繰り返しながらこの方法を
決定しました。しかし、それ以上に今回のKが受け入れられたのは、
社会のムードがよりKの希望に合っていた事です。
社会全体の流れ、変える人も居るでしょうが、それに従った方がはるかに楽です。
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