昨日、中学3年生に模擬試験の結果が返却されてきたので、一人一人と少しずつ話をしました。そんな中で、一人の生徒から「「国語」の読解の勉強の仕方がわからない。」という相談を受けました。
話を聞いていくと、その原因らしきものが見えてきました。それは、読解の答えを“自分自身の言葉”で書こうとしているからでした。
小学生向けの「あい・キャン」という教材などを採点していると、
課題文の言葉をそのまま使う訓練をたくさんしていることがわかります。↑
現在の国語のテストでは、「採点のしやすさ」、「採点の公平性を保つ」意味で、課題文の中の言葉をそのまま使った解答を求めるようになっています。
感性豊かな子ども達が、理解した内容を、その子の言葉で表現すると、全然得点がもらえません。その子の感性をわかってあげようなどとは一切しません。
そういう意味で、非常に残念なことですが、今の国語のテストだと、読解問題の答えは、課題として提出されている文章の中の言葉を多く使わないと間違っているとされてしまう、という事情があるからです。
上記の見解は、小学生だった頃、国語が嫌いだった、“おかさん”の偏見かも知れませんが、今年になって読んだ、「ドラゴン桜公式副読本16歳の教科書(なぜ学び、何を学ぶのか)」の中で、「金田一 秀穂」さんが同じように、現在の国語教育の問題点をいくつか指摘していたように思います。