第34期 竜王戦 決勝T 四回戦
VS 山崎隆之八段
94手で勝利!
次戦-準決勝は、久保九段or八代七段 日程は未定です。
次戦は、2021/07/13,14(火,水)
第62期 王位戦 七番勝負 第2局(持ち時間:8時間・2日制)
VS 豊島将之竜王
場所は、北海道 花月会館
第34期 竜王戦 決勝T 四回戦
VS 山崎隆之八段
94手で勝利!
次戦-準決勝は、久保九段or八代七段 日程は未定です。
次戦は、2021/07/13,14(火,水)
第62期 王位戦 七番勝負 第2局(持ち時間:8時間・2日制)
VS 豊島将之竜王
場所は、北海道 花月会館
2021年(令和3年)の郡上おどり、開催見合わせ
郡上おどり運営委員会は11日、今夏開催を目指していた国重要無形民俗文化財「郡上おどり」の開催を昨年同様に見合わせる決定を下しました。
その代替策として郡上おどりは昨年同様に、インターネットによるライブ配信での開催が計画されています。開幕日は、おどり発祥祭(7月10日)と江戸時代から続く七大縁日の7日間、最終日のおどり納め(9月4日)までの計9夜を配信しズームによる参加で開催します。 ライブ配信の日程は、確定しだいこのホームページの郡上おどり日程のページにておしらせいたします。
郡上八幡観光協会公式ウェブサイトの郡上おどり日程のページは、こちらです。
http://www.gujohachiman.com/kanko/odori_schedule.html
また郡上八幡観光協会と郡上おどり運営委員会では、ワクチン接種の進捗により感染状況が好転すれば限定的な開催として、秋に1夜だけでも通常の郡上おどりができるような希望を捨てきれずにおりますが、どうかこのたびの皆様の安全と安心を最優先させたこの決定をどうぞご理解ください。
*http://www.gujohachiman.com/kanko/ より
「ラブソング」
ハートのような可愛らしい見た目はもちろん、果汁もたっぷりジューシーなラブソングは、甘みと酸味の絶妙なバランスとコクのある品種です。
果肉も柔らかすぎず、固すぎず。
老若男女誰でも食べやすい当店人気№1のいちご。
*「深作農園」HP より
https://www.fukasaku-farm.com/fs/fukasaku/c/love
「水無月」
陰暦六月、陽暦の七月ころにあたる。炎暑のため、水が涸れ尽きて地上に水の無い月と解されている。酷暑にあえぎながら風待つうちに、時に雷鳴や夕立を催し、夕暮れの涼しさには秋の気配を覚えるといった時候である。この月の晦日に夏越の祓を行い、身を清める。
子季語には、風待月、常夏月、青水無月がある。
*https://kigosai.sub.jp/001/archives/1131 より
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(熊本国税局)】
〈宮崎〉 千徳/千徳酒造
杜氏
飲み手に旨いと言って貰えるお酒を造りたい・・・
酒造りは、水と米の良さは当然ながら、麹菌や酵母という微生物が非常に大きくかかわっています。
それは、温度経過において酒質に変化をあたえるもので、麹造り、酒母、醪の温度管理がいかに重要な事かを示しています。温度管理においては、24時間体制で醪、麹室を見守り、それを怠ると、それがそのまま味へと移ってしまいます。
南国生まれの旨い酒を皆様にお届け出来るよう、酒造りの全ての過程において、基本を忘れず、妥協を許さず、心を込めて作業を行っています。
杜氏 門田 賢士のプロフィール
1963年、延岡市生まれ。
昭和56年宮崎県立延岡工業高等学校時代に春のセンバツ高校野球大会へ出場。
卒業後、酒類卸し会社を経て、27歳の時に同社へ。
2年あまりの販売部門勤務を経て地元の水と米にこだわる清酒造りの現場で仕事を続ける。
平成14年に、蔵の一切を仕切る杜氏となる。
千徳酒造株式会社 宮崎県延岡市大瀬町2-1-8
ラインナップ
「千徳」大吟醸・純米酒
「向洋」大吟醸
「夢の中まで」純米大吟醸 など
「小様きゅうり-こざまきゅうり」
【生産地】北秋田市
【特徴】切り口が三角形になる。
【食味】瑞々しく、張りがありやや苦みを持つ。冷やし汁などで食す。
【来歴】北秋田市阿仁小様地域に伝わる地ウリ。阿仁鉱山の労働者の水分補給に利用され市日などで販売されてきた歴史を持つ。一度途絶えたが、平成23年から復活している。
【時期】7月~9月
*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%E3%83%BC%E7%A7%8B%E7%94%B0/#i-34 より
小様キュウリ
■品種名 小様(こざま)
■生産地 北秋田市小様
■時 期 7月~8月
北秋田市阿仁地域
北秋田市阿仁上小様(こざま)地域に伝わる在来のキュウリです。
かつて、阿仁地域には、江戸時代に日本一の銅産地となった700年の歴史を持つ阿仁鉱山があり、阿仁合という小さな町に約1万人が暮らしていました。小様地域は、その町に立つ朝市に向けた野菜の産地だったとのこと。特にキュウリは有名で、小様キュウリと言われ、重宝されたと言います。
しかし、鉱山の閉山とともに町は縮小、キュウリも現代のキュウリに置き換わり、生産する人がいなくなってしまいました。それでも子どもの頃に食べたという記憶を持つ住民たちが、復活を願っていたところ、県農業試験場にその種が保存されていることを知りました。その種を集落に里帰りをさせて、小様キュウリの栽培が再開されたのです。
<小様きゅうりの復活>
その復興活動の中心となったのが、JAあきた北央営農部と地元の歴史研究家でふるさとあに観光案内人の会会長の戸嶋喬さん。
平成23年には、何人かの農家で苗を分け合って栽培をしたのですが、苦みが強すぎたり、形質がで不安定なことがわかりました。そこで、24年には、品質の安定のために、他のキュウリから遠い場所で栽培をし採種をしました。25年度は3戸の農家が栽培しています。
<阿仁鉱山と小様キュウリ>
阿仁前田から小様方面を眺めます。あの山の陰が小様地区で阿仁鉱山の一つ三枚鉱山などがあり、千人が暮らしていた集落です。
この深い山の中で、小さな坑道に入ったり、露天堀をしたりと過酷な作業をする鉱夫たち。暑く厳しい山の中の作業に、この小様キュウリが伴われたとのことです。
峠を越えた向こうの田沢地区の田沢地ウリは、山林の仕事によく携行したと昔を知る人が言います。体を冷やす、水分を摂る、味噌で塩分を取るなど同じように使われたのでしょう。
<小様きゅうりの栽培>
小様トンネルを越えたこのあたり、今は舗装されていますが、よくキュウリが植えられていた場所だそうです。
近くに小様川が流れており、その砂礫が混ざった土質がよいきゅうりを育てたと言います。
トンネル横の畑です。この手シバといわれる、木の枝に絡めて育てます。現代のように誘因用のパイプやネットもない頃、この枝の多いシバは誘因しやすかったのでしょう。(写真は普通のきゅうりです。)
<キュウリと御家紋>
小様キュウリの特徴は、まず、その形です。輪切りにするときれいな三角形で葵の紋の中心を思わせます。江戸や大坂でも丸いキュウリも切ると胎座の部分が葵の紋に似ているとしてて武士は食べなかったと言われています。しかし、鉱山労働者や農業者は、生でも塩漬けでもキュウリを良く食べてきたようです。黄色く熟れたものでも煮物や味噌汁の具、塩漬けにも利用したと言います。
※ちなみに八郎潟町には真坂ウリという五画形のキュウリがあったそうですが昭和30年代を最後に無くなってしまいました。ここには織田信長の次男信雄が秀吉に流されて滞在していたという縁もあり、織田家の御紋家うりと言われたそうです。さらに、秋田県南の小野寺氏は六葉木瓜紋と六角。他にも武家の紋に木瓜は良く使われています。御紋家ウリが無くなってしまったのは残念ですね。
<みずみずしい小様きゅうり>
小様川で遊ぶあきた元気ムラ!秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイトより)
かつて、子どもたちの夏のおやつは、いつもキュウリ。川や沢水で冷やして食べるのがこのキュウリの食べ方の定番だったようです。
元気ムラ 秋田県のがんばる農村集落応援サイトより)元気ムラ 秋田県のがんばる農村集落応援サイトより)
皮は苦みが強いので、皮と種をのぞき味噌を付けて、ガブリ!
おやつに、お酒に、山仕事にと愛されたキュウリは清々しい味です。キュウリの青臭さはありません。
こうした地ウリが「昔キュウリ」としてが見直されている昨今、小様キュウリも地域に残したいキュウリの一つです。
*https://www.akikyo.net/%E5%B0%8F%E6%A7%98%E3%81%8D%E3%82%85%E3%81%86%E3%82%8A/ より
前回の回答
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 鰥寡孤独 -かんか-こどく【鰥寡孤独】
身寄りもなく寂しいさま。また、その人のこと。▽「鰥」は老いて妻のない夫。「寡」は老いて夫のない妻。「孤」はみなしご、「独」は子のない老人のこと。いずれも身寄りのない寂しい者の意。
問2 攀轅臥轍 -はんえんがてつ-立派な人が官職を辞めないことを望んで引き留めること。
「攀轅」は車のまえに突き出た二本の棒、ながえにすがりつくこと。
「臥轍」は車の進路に伏して通れないようにすること。
中国の後漢の時代、秦彭や侯覇が転任したりするときに、住民が引きとめたという故事から。
「轅に攀じて轍に臥す」とも読む。
問3 麟角鳳嘴 -りんかくほうし-非常に珍しいもののたとえ。
伝説上の霊獣の麒麟の角と、鳳凰の嘴という意味から。
問4 鳩居鵲巣 -きゅうきょじゃくそう-もとは女が嫁いで、夫の家をわが家とするたとえ。転じて、労せずして他人の成功や他人の地位を横取りするたとえ。また、人の家に仮住まいするたとえとして用いられることもある。鳩はとは巣作りが下手で、それの上手な鵲かささぎの巣に住み、卵を生む意から。▽「鵲」はかささぎのこと。「鳩、鵲の巣に居る」と訓読する。「鵲巣鳩居」ともいう。
-
問5 跼天蹐地 -きょくてんせきち-恐れおののいてびくびくすること。ひどく恐れて身の置き所のないこと。また、世間をはばかって暮らすこと。天は高いのに身をかがめ、大地は厚いのに抜き足差し足でそっと歩く意から。▽「跼」は身をかがめて、せぐくまること。「蹐」は抜き足差し足で歩くこと。「跼」は「局」とも書く。「天に跼し地に蹐す」と訓読する。略して「跼蹐」ともいう。
今回の出題
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 尭鼓舜木
問2 驢鳴犬吠
問3 焦頭爛額
問4 玉石同匱
問5 擒縦自在
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書・四字熟語辞典オンライン より
「紀州箪笥」
Description / 特徴・産地
紀州箪笥とは?
紀州箪笥(きしゅうたんす)は、和歌山県和歌山市周辺で作られている木工品です。現在の和歌山県にあたる紀州で製作技術が確立したことから、「紀州箪笥」と呼ばれています。装飾性と耐久性を兼ね備えた高級箪笥として、高い評価を受けている収納家具です。
紀州箪笥の特徴は、収納家具の素材として適した桐を使い、古くから伝わる繊細な工法で組み立てられていることです。桐は軽くて柔らかく、淡い黄色の色調や木目が美しいので、和室にも洋室にも上品になじみ、エレガントで安らぎに満ちた雰囲気をもたらします。また、収縮率が小さいので、狂いが少なく、長い期間愛用することができます。湿気が多い時には水分を吸収し、乾燥している時には水分を放出する性質があり、さらには熱の伝導率も小さいため、湿度や温度の変化に敏感な衣類を収納するためにふさわしい素材です。
History / 歴史
紀州箪笥の起源は、はっきりとはわかっていませんが、紀州徳川家の歴史が記された「南紀徳川史」には、江戸時代後期、1846年(弘化3年)の落雷で和歌山城の天守閣などが炎上し、数多くの道具類が燃えたとあります。その後、1850年(嘉年3年)に天守閣が再建されたとき、焼失した長持(ながもち)などの家具類が作り直されたという記録が残っていることから、当時この地ではすでに収納家具の製作技術があったと考えられています。
また、和歌山県各地の町家で、箪笥づくりに関する19世紀中頃の記録が見つかっており、武家以外でも箪笥が婚礼調度品として用いられていたことが明らかになっています。さらに、金具などの特徴から江戸時代に製作されたと思われる箪笥が複数の商家で発見されていることからも、江戸時代末期には現在の和歌山市周辺で箪笥の製作技術が確立していたと推測することが可能です。
明治時代に交通網が整備されると、地元に加えて大阪圏での需要にも応じることができるようになったため、生産量は急速に増えていきました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kishutansu/ より
陽の目を見た伝統工芸へのこだわり、紀州桐箪笥職人の意地
今ではすっかり最高級品箪笥として定着した紀州箪笥ではあるが、ここまでに至る困難を乗り越えてきたのは、現在、紀州桐箪笥協同組合理事長をされている上中喜代司さんをはじめ、10名の有志の方の努力の結果である。
伝統工芸品認定までの道のり
機械化への遅れと洋家具の台頭によって昔ながらの桐箪笥の生産は伸び悩んできた。昭和30年頃は、約80社あったメーカーが昭和59年当時は20社に激減した。紀州和歌山の土地柄か、はたまた危機意識が乏しかったのか、のんびりと箪笥作りを行っていた。そんなときこのままでは「アカン」と立ちあがったのが上中さんである。「産地の名前を残すんだ。手作りブランドを確立するんだ。」という決意で伝統的工芸品認定の申請準備にとりかかった。ところが、誰もが箪笥は和歌山市産であることを知っていても、歴史的に証明するものが見つからない。当然あると思っていた証拠がないのである。諦めかけていたとき和歌山県粉河町・曾和家(33代庄屋の家系)から、天保15年(1844)、嘉永6年(1853)、安永3年(1856)の婚礼仕度にかかわる古文書が見つかった。そこにはっきりと「箪笥一本和歌山で買う」と記載されていた。「これが決め手になりました」と上中さんは嬉しそうに話される。ようやく準備から3年を経て紀州漆器に続いて伝統的工芸品の認定を受ける事となった。当時の和歌山県知事「仮谷志良」さんから「ようやった。和歌山の伝統工芸品を2倍にしてくれた。」と言われたことを今でも良く覚えているという。
本物の良さを認めてもらう
しかしながら認定を受けただけでは売れなかった。自らデパートの展示会で実演をして全国各地を飛び回った。こうした地道な活動が徐々に「本物の紀州の桐箪笥」をマーケットに認識させるに至ったのである。1999年には和歌山市多目的ホールの柿落としに実演として参加したところ、「両陛下から声をかけられ胸がジーンと来た」と喜びを語る上中さん。また「勉強熱心な百貨店の販売員の方にはずいぶん助けられた」と業界内の協力もあったと語る。こうして紀州桐箪笥は一目置かれた存在になり、不況の中でも需要が落ちることなく今に至っている。上中さんの強力なリーダーシップがあってこそ、ここまで続いているといえる。
厳しかった親方に今でも感謝
上中さんは53年前、14歳のときに箪笥職人の見習いに入った。そのときについた親方が新宮出身の滝谷庄之助さんだ。厳しい親方の元での修行中こんなエピソードもあった。「私はくぎを打ち損ない、代わりのくぎを打ったのですが、前のくぎを抜くのを忘れました。その後親方がこの板を鉋で削ったのですが、私が忘れたくぎに引っかかり刃が折れてしまいました。すると寸断のまもなく投げられた鉋が、私の目の前を飛んでいったのです。」そんな厳しい親方のおかげで上中さんは、仕事の厳しさと本物を大事にする心を学んだという。その心はこれからも桐箪笥作りに生かされるに違いない。
職人プロフィール
上中喜代司
昭和8年生まれ。
14歳のとき弟子入りし箪笥作り歴53年の大ベテラン。紀州箪笥伝統工芸士会・会長、和歌山家具組合連合会・会長、その他役職歴任中。通産産業大臣賞、和歌山県知事賞、等多数受賞。
こぼれ話
紀州箪笥あれこれ情報
紀州箪笥に関係する情報をまとめてみました。
桐の特性
桐箪笥のことを語るには、まずは素材となる桐の特性から考えてみる必要があります。特性の一番目は「軽くて木目が美しい」、二番目は「収縮率が小さい」、三番目は「湿気の遮断性を持っている」そして四番目は「熱の伝導率が小さい」ということです。
桐箪笥の特徴
桐の特性すなわち桐箪笥の特徴になるわけですが、現実的な特徴をあげてみると次の3つが挙げられます。1.桐の柔らかな質感・色調・木目の美しさは、和洋いずれのお部屋にもマッチし、安らぎと優雅な雰囲気をかもし出します。2.外気に敏感で湿気の多いときには水分を吸い、乾燥時には水分を出す恒湿性をもっているので火災などの場合は水を吸って燃えにくく、「身を焼いて中身を救う」といわれています。3.桐箪笥は伸縮や狂いが少なく、軽くて持ち運びが便利、長年お使いになる収納家具としては最高です。
*https://kougeihin.jp/craft/0626/ より