いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

今日?の錦織くん-7/1

2021-07-01 10:54:33 | スポーツ

 ウィンブルドン 1回戦

 VS アレクセイ・ポピュリン(オーストラリア/ランク67位)

 6-4、6-4、6-4のストレートで勝利!

 2回戦に進出。

 2回戦では、第12シードのキャスパー・ルード(ノルウェー/ランク14位)とジョーダン・トンプソン(オーストラリア/ランク78位)の勝者と対戦予定。

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昨日の藤井二冠-6/30

2021-07-01 10:52:26 | 将棋

 第62期 王位戦 七番勝負 第1局藤井聡太王位 (持ち時間:8時間・2日制)
 VS 豊島将之竜王

 初日-6/29は「互角」だったが、

 2日目に入り「豊島竜王」が徐々に優勢に・・・

 104手で敗北。

 

 王位戦 第2局は、7月13・14日。

 場所は、北海道 花月会館

 

 次戦は、

 2021/07/03(土)
 第92期 棋聖戦 五番勝負 第3局 (持ち時間:4時間)

 VS 渡辺明名人

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日経MJ 2021年上期ヒット商品番付 関脇

2021-07-01 10:49:10 | ヒット商品

 日経MJ 2021年上期ヒット商品番付 西関脇

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

 1995年に始まったアニメ作品のシリーズ完結作。観客動員数は586万人、興行収入は90億円を超えた。

 総監督を務める庵野秀明は、「シン・ウルトラマン」や「シン・仮面ライダー」を制作中。「シン~」シリーズって・・・どうなの?w

 

 日経MJ 2021年上期ヒット商品番付 東関脇

 「郊外生活」

 在宅勤務が浸透し、郊外で職住一体の生活を重視する動きが広がる。大きめの家で園芸やDIYを楽しむ家族も。

 これが定着するのはごく一部だろう。「リモート」がどこまで有効的で継続性があるのか?

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<苺> マラデボワ

2021-07-01 10:38:23 | 食品

 「マラデボワ」

 フランスのイチゴの季節

 マラデボワ Mara de Bois

 5月半ばくらいから出始めるこの品種。野イチゴ、という意味だそう。実はこのイチゴが一番おいしいです。

 基本的に形は不ぞろいですが、甘みも酸味もしっかりしていてジューシーで、この国は果物も素晴らしい、と思い直します(笑)5・6月にパリに来る人は必ず食べてほしいです。

 こちらも1箱200g弱で4~6€くらい。このイチゴを食べずに「フランスのイチゴいまいち」とかいう人は鏡の中の人に向かって「バカヤロー」と言いましょう(笑)

*https://yu1ro.jp/fraise-de-bois/ 9l

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<言 葉> 夏の言葉 夏越の祓

2021-07-01 10:28:08 | 言葉

 「夏越の祓」

 旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、半年分のケガレを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。由来は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るそうですが、新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。

 ■「夏越の祓」と「年越の祓」
 半年に一度の厄落としである6月の「夏越の祓」。さらに半年後の12月末には、同様に厄除けをする「年越の祓」があります。この二つは対になる行事で、心身を清めてお盆や新しい年を迎えるためのもの。大晦日の年越し行事のような派手さはありませんが、「夏越の祓」も大切な節目の行事とされています。

 ■「茅の輪くぐり」(ちのわくぐり)で厄落とし

 厄落としの方法として「茅の輪くぐり」が行われます。
 茅の輪とは、チガヤという草で編んだ輪のことです。神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら8の字を書くように3度くぐり抜けます。茅の輪をくぐることで、病気や災いを免れることができるとされています。

 「茅の輪くぐり」については日本神話に基づいているといわれています。
昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したということです。
 この故事に基づき、家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も残っています。

*https://www.i-nekko.jp/gyoji/2013-062613.html より

 

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<日本酒> 愛媛 山丹正宗/八木酒造部

2021-07-01 10:22:03 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(高松国税局)】
 〈愛媛〉 山丹正宗/八木酒造部

 天保二年創業 愛媛・今治

 山丹正宗の醸造元である八木酒造部は、江戸時代、幕末の足音が聞こえ始めた1831年(天保2年)に、愛媛県今治市にて創業いたしました。

 銘柄の由来は、創始者八木治兵衛が出身地に因んで屋号を「丹波屋」とし、その紋である「」と、酒のキレの良さを名刀"正宗"にあやかり、「正宗」としたと伝えられています。平成8年からは「」が読みにくいことから、ロゴを「山丹正宗」に変更しました。ロゴのデザインは政府広報や関西国際空港のシンボルマークのデザインで名高い、松井桂三先生によるもので、平成9年に日本パッケージデザイン大賞の金賞を受賞しました。

 山丹正宗は創業以来、品質一筋の酒造りに情熱をかたむけています。丹精込めて造りあげた山丹正宗の高品質をうらづけるものとして、独立行政法人酒類総合研究所主催の全国新酒鑑評会で最優秀の金賞を多数受賞し、その他各品評会でも優秀な成績に輝き、高い評価を得ています。

 

  地元にこだわり続けています

 山丹正宗は地元愛媛の米・水・技術にこだわっています。
 

 酒米として山田錦や雄町が有名ですが、山丹正宗は地元で古くからなじみの深い酒米「松山三井」や、愛媛県が開発した酒造好適米「しずく媛」、四国の軽井沢と呼ばれる久万高原町の清流で育まれた減農薬米「フクヒカリ」などを用い、生産量の9割以上を地元産米での酒造りを行っています。

 麹・酵母の育ち方一つで、仕上がりの味がまったくちがったものになります。 温度管理の難しい菌、酸味が強くなる菌、良い香りがでやすい菌、などなど酵母菌も材料、天候、季節などで何種類もの中から杜氏が仕上がりの味を想像しながら、ブレンドし使用します。

 そこには明確な数式や条件は無く、幾年も経験を積んだ杜氏によって決ります。
 

 また、酒造りに欠かせない良質な水は、西日本最高峰の石槌山と、それに連なる四国山脈からの清冽な伏流水を用いております。この水は昭和天皇が今治を訪れた際、お茶の水に選ばれています。
 

 商品化への取組み

 大規模な酒造所のように一度に何万リットルも仕込み、低価格化と味に対する均一化を図ることは、山丹正宗ではできません。

 ですが、仕込む度に若干ではありますが、造り手の意志やその時の自然の環境などで、味の変化が生まれ違いを楽しめます。

 また、小ロットの仕込みだからこそ、完璧に管理が行き届き、杜氏自らが思いを込め仕込み胸を張っておすすめできる酒に仕上がります。

 特徴のある酒造りで他社に無い、商品開発を積極的に行っております。

 山丹正宗にしかできない、「アイデンティティ」「クオリティ」「オリジナリティ」を大切にした酒造りを山丹正宗はおこなって参ります。

 
 酒蔵に飾られている数々の受賞暦は蔵人達の励みになっております。

 
 
 消費者志向自主宣言

 (1) 理念

  毎日の「旨い」のために


 (2) 取り組み方針

   (ア) 経営トップのコミットメント

   ・創業からの伝統を受け継ぎ、恵まれた自然環境とご愛飲下さる皆様の声を大切にし、品質第一の酒造りにさらなる努力を重ねてまいります

 
  (イ) 品質、顧客、取引先、仲間の全てに誠実であること

   ・法令遵守や、品質管理の徹底に取り組みます

   ・顧客に対し、ただお酒を販売するのではなく、至福の時間やゆとりといった食文化そのものを提供します

   ・顧客や取引先とWin-Winになるよう信頼関係を大事にします

   ・従業員に対し、自分の家族として、思いやりを持って接します

 
  (ウ) 仕事に誇りを持ち、常に目的をもって挑戦し続けること

   ・190年続いている事業の継続と発展のため、信頼され続けるブランドを構築します

   ・社員に自己表現の場(やりがい)を提供し、常に新しいことにチャレンジし続けます

 
  (エ) 地元への感謝を忘れないこと

   ・地元あっての地酒として、地元への感謝と奉仕を忘れません

 *https://www.aeondewine.com/shop/goods/goods.aspx?goods=A106-4934782012431 より

 株式会社八木酒造部 愛媛県今治市旭町3丁目3番地8

 ラインナップ

 「山丹正宗」純米大吟醸 松山三井 ・純米大吟醸 秘蔵酒・雫取り大吟醸酒 など

 

 愛媛県産米「松山三井」とは、

 酒米の系譜 松山三井〈酒米の系譜・愛媛県〉
 松山三井は大粒で砕けにくく、精米歩合を高くすることができます。よく削れるということです。また、たんぱく質含有量が少ないお米です。だから、淡麗辛口な酒に向いているとされています。

 松山三井〈酒米の系譜・愛媛県〉
 松山三井は酒造好適米ではありませんが、酒造りに使われる品種です。

 愛媛県でのみ作られる米
 愛媛県でのみ栽培され、検査数量(≒生産高)は606トン[1]です。
 なお、愛媛県で作られる酒米はしずく媛(209トン)、山田錦(29トン)[1:1]となっています。愛媛県の酒造用の米の多くが松山三井なのです。

 酒造りに向いた特徴
 松山三井は大粒で砕けにくく、精米歩合を高くすることができます。よく削れるということです。また、たんぱく質含有量が少ないお米です。だから、淡麗辛口な酒に向いているとされています。

 松山三井の系譜

 旭や神力を祖先に持っています。

 松山三井から突然変異を作り出し、育成された酒米に「しずく媛」があります。

 飯米としてトレンドから外れ衰退するが、その後酒造用米として脚光を浴びる
 松山三井は1953(昭和28年)に育成されましたが、1970年代初めまで普及しませんでした。晩生の松山三井はミカンの収穫時期にバッティングしてしまうこと[2]などがその理由でした。

 1970年代に入り農業の機械化が進むと、味がよく、機械を使った脱穀に適していた松山三井の作付面積が急増[2:1]します。機械化により、収穫時期の競合問題も解決されました。

 しかし、1990年前後から米流通の自由化により全国的なシェアのあるブランド品種に人気が集まるようになります[2:2]。また、大粒の松山三井はブレンドもしにくいので敬遠されるようになりました。

 味のトレンドの変化も影響しています。旨味と粘り、柔らかさが特徴のコシヒカリなどにそのシェアを奪われていくのです。

 しかし、大粒でたんぱく質が少ないという特徴は、酒造りには良い条件です。山田錦よりもたんぱく質含有量が少なく、緩やかな吸水速度、大粒で砕けにくく精米しやすい[2:3]松山三井は酒造用米としての新たな人生を歩み始めたのです。

 参考資料・文献
 前重 道雅、小林 信也『最新 日本の酒米と酒造り』養賢堂、2000年4月
 副島 顕子『酒米ハンドブック 改訂版』文一総合出版、2017年
 米穀の農産物検査結果 | 農林水産省
 イネ品種・特性データベース|農研機構
 松山三井|栄光酒造株式会社
 ある米品種の軌跡|愛媛県農林水産研究所

*https://sakeconcierge.com/matsuyama-mii-genealogy-of-sake-rice/ より

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<伝統野菜> 秋田 横沢曲がりねぎ

2021-07-01 10:17:27 | 伝統野菜

 「横沢曲がりねぎ」

 【生産地】大仙市

 【特徴】大仙市太田の横沢地区に伝わる在来種で2年かけて栽培される。植え替えの時に寝かせて曲げ、風味を出す。6月頃、苗床に播種し、生育させ、そのまま越冬。翌年5月に本畑に1回目の植え替え。8月に2回めの植え替えを行う。その際に根部を曲げて土を寄せる。

 【食味】柔らかく香り成分のアリシンが多く、青ネギ、白ネギもともに食べられる。

 【来歴】江戸時代に久保田城主佐竹氏から伝授されたと言い伝えがある。

 【時期】10月~11月。10月中旬頃から収穫が行われる。

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e3%83%bc%e7%a7%8b%e7%94%b0/#i-24 より

 

 横沢曲がりねぎ
 ■品種名 横沢

 ■生産地 大仙市太田横沢

 ■時 期  10月~11月


 佐竹の殿様と横沢まがりねぎ 
 大仙市太田の横沢地域は、羽州街道沿いにある村で、角館の殿様の参勤交代の本陣(滞在地)が置かれたという歴史があります。文献はありませんが、言い伝えによれば、久保田藩主佐竹氏の御狩場でもあったことから、狩りに訪れた佐竹家(本家)が、本陣となっていた倉田家に立ち寄った際、その家の親方の接待があまりによかったことから、そのお礼として元の領地である水戸で栽培されているネギを伝授したとされています。また角館の佐竹北家の殿様も好み、常々この曲がりねぎが食前に供されたとも伝えられています。


  江戸時代の紀行家・菅江真澄も横沢の倉田家に立ち寄り、紀行文の「月出羽地しらはた清水しみず」に横沢ねふか(根深)として、次のとおり書き残しています。

 

 「ねぶかは、近き金沢の産にも、ささ劣らず。ことに横沢ねふかとていと多く産生(イダ)せり、味甜(ウマ)し 」

 

※また、真澄のこの紀行文には横沢のごぼうについて松前や津軽のごぼうに勝ると記しています。残念なことに、この横沢ごぼうはすでに途絶えてしまいました。

 

 横沢まがりねぎの今 

 横沢曲がりねぎは、明治30年頃から大正初期にかけて盛んに栽培され、一時は50戸の農家で栽培されていました。その後も継承され昭和54年には生産部会が発足、平成3年には20戸で150 aを栽培し、JAを通じて県内の量販店でも販売してきました。しかし、曲がっている形質と柔らかい特性のため棚持ちが悪いとして徐々に一般には出回らなくなっていきました。しかも、栽培に普通のネギより、倍の手間も時間もかかることから生産者は激減し、現在は数人の生産者が直売やインターネット通販など限定的な販売をするに止まっています。


 それでも、このネギを好み、通販や直売を心待ちにしている熱烈なファンもおり、それを励みに生産を続けている数戸の農家によって販売されています。また、販売農家は減少していますが、特に横沢の泥窪集落などでは、多くの家庭が自給用に栽培しています。やはり地域にとってなくてはならない横沢曲がりねぎです。

 現在は、生産者の倉田雅章さんのご自宅での直売か通信販売、横沢地区にある太田農業振興情報センターにある直売所(アンテナショップ)で販売しています。

 

 横沢曲がりねぎの特徴

  横沢曲がりねぎは、柔らかくて香り成分のアリシン含量が通常のネギより多く、独特のぬめりと香りがあることが特徴です。さらに普通のネギは1年で収穫されますが、播種から収穫までじっくりと2年余りをかけ、途中植え替えて「ねせる」ことで、より柔らかく、より風味が増します。

 

 手間のかかる管理によって、夏の堅い葉が朽ちて柔らかい新葉が伸び、 白ネギは土中で曲がって風味を増します。細身で柔らかく、青い部分の先まで食べられ、白ネギを好む秋田では珍しい、青ネギ、白ネギの両方の良さを併せ持つネギとなるのです。生は辛みが強く薬味にも適します。また、煮たり焼いたりと火を通すと柔らかく甘味を強く感じるようになります。 鍋物、焼き物、炒め物、薬味などどの料理に合います。

 はたはたしょっつる鍋
 いものこ汁
 バター炒め
 いかの炒め物
 

 こちらもご覧ください。県あきた食の国ネット 秋田の伝統野菜-横沢曲がりねぎ

 参考文献 菅江真澄全集第八巻

          太田町史

         地方野菜大全(タキイ種苗編)

*https://www.akikyo.net/%E6%A8%AA%E6%B2%A2%E6%9B%B2%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%81%AD%E3%81%8E/ より

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<漢字検定> 1級 四字熟語 35.回答 36.出題

2021-07-01 09:17:25 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 枉駕来臨  -おうがらいりん-訪問を歓迎する敬語表現。
「枉駕」は進路を変えてわざわざ立ち寄ること。
「来臨」は来客があることの敬語表現。
”わざわざお越しいただきまして”という意味。

 

 問2 蠹居棊処  ときょきしょ-色々なところに悪人がいること。
「蠹」は木を食べる害虫の木食い虫。
「棊」は囲碁の碁盤の上にある碁石。
碁盤の上の碁石のように、木食い虫がたくさんいるという意味から。-

 

 問3 杯盤狼藉  -はいばんろうぜき-酒宴で、あたり一面に杯や皿が散らかっていること。また、宴会の乱れたありさま。▽「杯盤」は、ここでは杯と皿のこと。「狼藉」は物が散乱すること。狼おおかみは下草を踏み荒らして寝る習性があることから。

 

 問4 蘭摧玉折  -らんさいぎょくせつ-賢人や美人などが、その魅力を十分に発揮しないまま、世を去ってゆくこと。本来の意味は、蘭の花が散り、玉が砕け割れること。▽「摧」はくだける意。

 

 問5 賤斂貴発 -せんれんきはつ-価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。
「賤」は安価。
「斂」は集めること。
「貴」は高価。
「発」は出すこと。
「賤に斂め貴に発す」とも読む。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 爬羅剔抉  

 

 問2 文恬武嬉  

 

 問3 落英繽紛  

 

 問4 明眸皓歯  

 

 問5 銘肌鏤骨

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 兵庫 出石焼

2021-07-01 09:10:34 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「出石焼」

 Description / 特徴・産地

 出石焼とは?
 出石焼(いずしやき)は、兵庫県の豊岡市出石町で作られている磁器です。出石町は、現在は4軒の窯元が製造をしており、伝統を受け継いでいます。
 出石焼の特徴は、国内でも珍しい白磁という点です。柿谷陶石という純白の原料を使って少しの濁りもなく完成した磁器は、他に例を見ないほどの圧倒的な白さを誇ります。
 伝統の白磁彫刻一本を極める窯元、繊細な絵付けを施した個性豊かな器を作る窯元など窯元それぞれが独自の方針を持ち、多様な出石焼が作られています。絹のようなつややかな白さをもつ出石焼の器は、日常的に使う食器としてもふさわしく、300年余りの伝統がある出石皿そばは、出石焼の器に盛ることで洗練されて今も多くの人々に支持され続けています。
オリジナルの絵付けができる「絵付け体験」を気軽に行える所もあり観光客にも人気です。

 History / 歴史
 明和の1764年(宝暦14年)に伊豆屋弥左衛門が出石町に土焼窯を開設したことが、出石焼の始まりだと伝えられています。出石町で白焼きをはじめようと思い立った二八屋珍左衛門が、出石藩より援助を受けて有田におもむいて陶器の製造法を学びました。その後、一人の陶工を引き連れて帰ってきましたが、資金面で苦しくなり珍左衛門は丹波に移ることになります。残された陶工は珍左衛門の意志を受け継ぎ、出石町の土焼き職人となったことで、出石磁器が伝承されることとなりました。出石藩が窯の直営に乗り出しても、経営は思いのほか厳しかったとされています。
 江戸時代後期になり、ようやく出石の窯業は活気を帯びていき、今の出石焼のルーツを築き上げた、鍋島藩窯の御細工職人を中心としたエリート集団・「盈進社(えんしんしゃ)」が登場します。
 大量の白磁の原石が発見されたことも相まって、出石焼は改良を重ねられていきました。その結果、盈進社はこれまでにない白磁を生み出すことに成功し、1904年(明治37年)のセントルイス万国博覧会にて金賞を受賞して、出石焼は世界に多く知れ渡ることになります。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/izushiyaki/ より

 

 但馬の自然で育まれた新しい芽=出石焼の職人
 但馬の京都ともいわれる出石。今も風情豊かな城下町の町並みの中に歴史が息づいている。そんな繊細な環境の中で生まれたのが出石焼。しっとりとした磁肌と繊細さに心を奪われた青年に出会いました。

 
 伝統の大切さ
 「95%の古典と5%の新しい技術。いや99対1かもしれません」と組合の国村さんは語る。出石焼きは偶然が入り込む余地が極めて少ない焼きものなのだ。「あいまいは許されません。計算づくでないと成功しません。徹底した管理が必要なのです。」と話は続く。長い歴史の中で但馬の美しい自然と調和して、出石焼が伝統の元に研ぎ澄まされてきた。素人離れするのに10年以上の修行、プロと言われるには20年以上の修行が必要なのもうなづける。その結果、素地の白をいっそう引き立たせる美しい白磁、出石焼ができあがるのです。


 あくなき探求心
 国村さんは修行中、どうしても自分の窯が持ちたくて2年間のサラリーマン生活で資金を作り、9年前に自分の窯を持ち独立する事ができた。「品があって格調の高い作品を作っていきたい」と話す国村さんの目は熱い思いで輝いている。但馬の美しい自然を源として「美しいと感じる作品を作っていきたい。」言葉で表すなら「すがすがしさ」「華やかさ」「淡青」「緊張感」そして「安堵感」だという。それを表すには「作家自身の意識が肝心であり、技術と共に美意識をとことん追求していきたい」「自分自身に問い続け、自己修行を重ねる事が美しいと感じる作品には必要だ」という。


 新しいチャレンジ
 今後の活動としては、伝統を守り、さらに技術を磨いていくものの、他の技術の導入にも挑戦していきたいと考えている。例えば木の葉を柄としてとりこんだ「木の葉天目」や、油の滴が染み付いた文様になっている「油滴天目」などバリエーションを増やしていきたいという。「さらに美しいと感じる出石焼」を目指してますますの健闘を期待したい。


 職人プロフィール

 国村 広志

 1964年生まれ。
 大阪芸術大学在学中から弟子入り。途中2年間サラリーマン生活により釜購入資金準備。27歳に独立。現在出石高等学校講師、出石陶砿協同組合役員。日本伝統工芸展入選2回、日本陶芸展入選2回。

*https://kougeihin.jp/craft/0416/ より

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