「雲州そろばん」
Description / 特徴・産地
雲州そろばんとは?
雲州そろばん(うんしゅうそろばん)は、島根県仁多郡仁多町と横田町で作られている算盤(そろばん)です。現在でも手作り製法を維持し、材料の吟味などを含めて丁寧に作られています。
珠の原料は、主に栃木県・群馬県・埼玉県・岩手県から産出される樺(かば)や鹿児島県産の柞(いす)が用いられます。枠には黒檀、縞黒檀や特殊加工をした強化木、桁(けた)には加工竹と煤竹(すすだけ)などが用いられます。
雲州そろばんの特徴は、指に吸いつくような操作性の高さと、品質の高い珠です。指の動きに合わせた珠の素早い動き、弾いたときの冴えた高い音は極めて優れた組み立てからなる職人芸と言えます。珠の形、穴の大きさを全て揃え、珠と軸の間の間隔を均一作り上げる正確な技術から「質の雲州そろばん」とも言われています。
算盤の種類には主に携帯用算盤、学用算盤、問屋算盤があり用途によって長さ、大きさなどは様々です。柔らかく乾いた布で汚れを拭き取るなど、使用するたびに手入れすると長く愛用できます。
算盤は高温多湿を嫌うため、直射日光が当たらない涼しい場所での保管が必要で、水に濡らしてしまった場合は修理が必要になることもあります。水漏れが激しい場合は修理不可能になることもある大変デリケートな用具です。
History / 歴史
雲州そろばん - 歴史
雲州そろばんを初めて作ったのは島根県仁多町の大工、村上吉五郎(むらかみきちごろう)です。1832年(天保3年)に仁多町産の樫(かし)、梅、煤竹(すすたけ)を用いて、広島(芸州)算盤を参考にして大工道具で製作した算盤が始まりです。
雲州地方は日本刀の材料になる玉鋼(たまはがね)の産地で、算盤(そろばん)の各部位に適切な種類の原材料と製造工程に欠かせない良質な刃物があったことで、雲州地域に算盤製作が根付きました。
算盤の製造方法が地域に公開されると製造量が増え、雲州算盤は地場産業へ発展し、第二次世界大戦後には製造工程が機械化され大量生産が進んでいきます。
近年は算盤の役割はコンピューターや電卓等へと移行しましたが、ますます機械化が進む現代社会でも幅広い年齢の方に人気です。
算盤は手や指を使うため脳の中枢神経を刺激し、頭の回転を良くすると言われています。指を動かす事は老化を防ぐことにも役立つと考えられており、現在、算盤は日本の文化として見直されています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/unshusoroban/ より
日本一の算盤(そろばん)は、神話の町で作られる
天保3年以来約160年間、ここ横田の地で多くの手によって雲州そろばんの伝統が守り続けられてきた。
横田町は、国内の約70%を製造する日本一のそろばん生産地である。カバ、ツゲ、コクタン、竹などの材料は常に良質のものを選び、伝統を受け継ぐ名工たちの手で、逸品が一つ一つていねいに作られていく。
横田町とそろばんの歩み
なぜ、ここ横田町でそろばん産業が興り、発展したのであろうか。雲州算盤協同組合理事長の松浦さんはこう語ってくれた。
「横田は昔から、『たたら(砂鉄と木炭をもとに純度の高い鉄類を生産する日本古来の重要な製鉄法で、生産品の中で特に優れた鋼を玉鋼(たまはがね)といい、日本刀の原料として欠くことのできない)』の盛んな地方で、古来から行商人が往来していたのです。行商人が持っていたそろばんを見て作り始めたというのが、雲州そろばんの起源なのです。
もともと雪が深い地方なので、農業以外の産業を求めていたことと、この地方の人間の勤勉性、それと当時そろばんの珠の原料であった”梅の木”の産地であったこともありますね。」
「また雲州そろばんの流通においては、近郊の”差海商人(さしみしょうにん)”が日本海の海産物などといっしょに、遠くは関東、東北までそろばんを担いで行商していき、その品質のよさで発展してきたのです。」
そろばんを作って48年の名人にそろばんの神髄を聞く
笑顔の素敵な石原長蔵(いしはらちょうぞう)さんは、そろばん作りの名人で昭和5年生まれ。もちろん今でも毎日、そろばん作りを続けている。石原さんにこの仕事を始めたきっかけを伺った。
「わしは、学校出てすぐに、全然違う仕事についとったんですよ。そのうちに親父が亡くなって、家を守らないかんようになって、親父の友達のそろばん職人に弟子入りしたんですよ。当時23歳やったので、職人としてはとても遅い弟子入りだったですね。」「年も年だったんで、師匠が『お前は仕事を1年で憶えろ。1年以上はわしは面倒見んぞ。』と言うんです。
だから、そりゃ必死でしたよ。今思うと”愛のムチ”だったと思いますがね。年のだいぶ下の兄弟子にも頭を下げて教えてもらいました。師匠は誰でもそうかも知れませんが、とにかく無口で、ああしろ、こうしろとはひとつも言ってくれませんでしたね。朝の7時くらいから夜の暗くなるまで、とにかく一生懸命にそろばん作りに励みました。もちろん1年間休みなしですよ。
師匠は仕事の結果だけを見て、よい、悪いを言うだけです。今じゃそんな世界はもうどこにもないんじゃないですか?弟子は師匠の仕事を横からそっと見て盗むんですよ。それしか自分の腕を上げる方法はないんです。」と石原さんは修行時代を振り返ってくれた。
「まあまあ腕が上がって、師匠に自分の作ったそろばんをみてもらえるようになって、師匠の『よかろう』の一言がうれしかったですね。」それ以降、石原さんはこつこつと48年間、一人でそろばん作りに励んできた。
職人の命は道具である
石原さんの職場には、年季の入った鉋(かんな)や錐(きり)、鑿(のみ)がきちんと整理されて保管されている。そろばんの製造は特にたくさんの工程がある。しかも基本的には分業ではなく、全工程を一人で作っていく。それらは今でもほとんどが手づくりであり、それゆえ道具は大切なのである。
「そりゃ、道具がなけりゃ、職人はただのおっさん・・・かな。この鉋はわしと同じ48年間そろばんの枠木を削っていますよ。」何と、石原さんは鉋も鑿も修行時代からのものを使っているのである。「道具は使えば使うほど自分に合ってくるというか、呼吸が合ってきますね。」「だから、鉋の刃が折れても、自分で好みの角度、切れ味に研ぎますよ。自分で手入れせな、何やピッときませんな。」鉋だけでなく、さりげなく置いてある金づちも、道具置きに一本一本さしてある鑿も、ほとんどが40年以上使い続けているものばかり。その伝統の技術だけでなく、忘れてはいけない精神を見たような気がした。
職人プロフィール
雲州そろばん伝統工芸士石原長蔵さん(長雲)
昭和5年生まれ。島根県横田農林学校を卒業後、安部惣市氏を師匠として、そろばん製造技術の習得に努める。
昭和27年より、自宅にてそろばん製造を営む。島根県伝統工芸士会理事。 平成8年より、雲州そろばん伝統産業会館の隣にそろばん回廊が併設され、そろばん回廊にて工芸士の腕を披露。
こぼれ話
そろばんの語源と由来について
昔から「読み、書き、そろばん」と勉強の基本とされてきた算盤。その語源と由来をさぐってみました。
そろばんの起源
広義には、紀元前400~300年前のメソポタミヤ地方で行われていた土砂そろばん、古代ギリシアやローマの溝そろばんなども含めますが、普通には現在、日本や中国、朝鮮などアジア各地で使われているものをさします。
中国では、(Suan-Pan)、朝鮮では(チュパン)と呼ばれています。
「算盤」をそろばんと読むのは、いくつかの説がありますが、中国音のスアンパンがなまったとするのが自然で代表的な考え方となっていましたが、走盤(そうばん)がそろばんになったという説も最近有力になっています。
「算盤」の他に、「十露盤」という字が昔は用いられていましたが、この他に50種類余りの当て字もあります。
そろばんの沿革
最古の文献記録は中国の漢(2世紀終わり頃)の書籍に見えますが、現在使われているものは、1106年以前(宋代)に存在したと考えられています。そして急速に普及したのは、14世紀から16世紀にかけてです。
そろばんの伝来
そろばん以前にも日本古来の計算法はあったのですが、そろばんの計算スピードが早かったので、商業、交通の発達とともに全盛を迎えました。日本へは貿易商人や渡明僧を通して伝来したものでしょうが、時期は明らかではありません。
諸記録からすると、1570年代(織田信長の時代)には中国から舶載されたと考えられています。
*https://kougeihin.jp/craft/1006/ より