昨晩発表された「北海道会場の入場者」について。
「北海道-サッカー」についても「無観客」ということに。
「北海道」では、「マラソン・競歩」が行われるが、「沿道観客-無料観戦」についてはどうなる?
「テレビ観戦」以外では、ほんとに「生で観戦・応援」できる機会がない。
とすると、特に「沿道観戦」に人が殺到せぇへんのかぁ?
どうやって「規制・整理」するのか?
またひとつ問題が発生することに・・・
昨晩発表された「北海道会場の入場者」について。
「北海道-サッカー」についても「無観客」ということに。
「北海道」では、「マラソン・競歩」が行われるが、「沿道観客-無料観戦」についてはどうなる?
「テレビ観戦」以外では、ほんとに「生で観戦・応援」できる機会がない。
とすると、特に「沿道観戦」に人が殺到せぇへんのかぁ?
どうやって「規制・整理」するのか?
またひとつ問題が発生することに・・・
令和3年度相馬野馬追の執行について、「令和3年度相馬野馬追執行基本方針」及び「令和3年度相馬野馬追行事概要」を定めましたので、発表致します。(6月8日 一部内容を変更致しました)
主な内容
相馬野馬追公式行事(「行事概要」に記載の行事)のみ実施の準備を進める
6月30日を目処に新型コロナウイルス感染症の状況を踏まえ、行事の縮小等を改めて判断する
本祭り(7月25日)の雲雀ヶ原祭場地は無観客とする
例年設置していた桟敷席や団体席は設置しない
行事概要
令和3年度「相馬野馬追」行事概要
7月24日(土) 出陣 ・ 宵乗り(三妙見神社・南相馬市)
1.出 陣
①標葉郷 出 陣(浪江町)④北 郷 副大将出陣(鹿島区)
②宇多郷 御 発 輿(相馬市)⑤北 郷 総大将御迎(鹿島区)
③小高郷 御 発 輿(小高区)⑥中ノ郷 御 発輿(原町区)
2.本陣到 着 (原町区:雲雀ヶ原祭場地)
①中ノ郷・小高郷・標葉郷 ②北 郷・宇多郷
3.馬場潔の 式 (原町区:雲雀ヶ原祭場地)
4.宵 乗 り 競 馬 (原町区:雲雀ヶ原祭場地) 11
①中ノ郷・小高郷・標葉郷 ②北郷 ③宇多郷 11
5.軍 者 会 (原町区:旭公園)
7月25日(日) 本祭り(南相馬市原町区)
1.勢 揃 い
①中ノ郷
②小高郷・標葉郷
③北 郷・宇多郷
2.お行列開 始 (原町区:野馬追通り 小川橋付近)
<列順は中ノ郷を先頭に小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷の順序とする>
3.お行列終 了 (雲雀ヶ原祭場地到着をもって「お行列」終了)
4.式典執 行 ①騎馬隊整列 ②開式の挨拶 ③礼螺 ④祝詞 ⑤執行委員長挨拶
⑥総大将訓辞 ⑦相馬流れ山斉唱 ⑧閉式挨拶
5.相馬流れ山踊り伝承公開
6.甲冑競 馬 (原町区:雲雀ヶ原祭場地)
①螺役騎馬 ②一般騎馬
7.神旗争奪 戦 (原町区:雲雀ヶ原祭場地)
8.火 の 祭 (小高区)
7月26日(月) 野馬懸(南相馬市小高区)
「夢いちご」
徳島県で有名なブランドいちご「さくらももいちご」。とっても高級で、最近かなり人気のある品種です。そんなさくらももいちごと同じ品種の「夢いちご」といういちごをご存じでしょうか!?同じ品種のいちごでも、佐那河内村で作られたものは「さくらももいちご」となり、勝占村で作られているものは「夢いちご」として出荷されているのです!
*http://ichigo-tantei.com/yumeichigo/ より
「夏の夕」
夏の夕方のこと。なかなか暮れきらないが、日中の日差しもいくらかは和らいですごし易くなる時間。水を打ったり、風鈴を吊ったりして涼を取る。
子季語には、夏夕べ/夏の暮がある。
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(熊本国税局)】
〈熊本〉 瑞鷹/瑞鷹川尻本蔵
私ども瑞鷹株式会社は、慶応3年(1867年)、創業者吉村太八が新しいくまもとの酒造りを志して以来、より高い品質の追求と、風土に根ざした製品造りに励んでまいりました。
それから150余年、創業者の想いは、今も変わることなく私どもの心に刻まれております。
創業150年を目前に発生した熊本地震におきましては、弊社も大きな被害を受けましたが、変わらず酒造りを続けることができておりますのも、お客様や関係先の皆様の暖かいご声援、ご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
これからも弊社は、お客様に喜ばれるおいしいものを精魂込めて造りだし、「こころのうるおい、醸します。」をキーメッセージとして、「うるおい」や「やすらぎ」をお客様の心に醸していきたいと思います。
また「醸造」という生業(なりわい)を通じて、これまで以上に地域・社会に貢献できる「蔵元(製造元)」でありたいと思います。
皆様の変わらぬご愛顧をどうぞよろしくお願い申し上げます。
瑞鷹株式会社
代表取締役社長
吉 村 朋 晃
企業メッセージ 「こころのうるおい、醸します。」
酒は、心を潤し、心を豊かにするものであるという考えに基づき、当社は、酒類およびその関連商品の提供を通じ、人々の心に潤いややすぎを生み出す企業を目指そうという姿勢を表現しています。
企業理念 わが社は、信用を重んじ、常によりよい品質を求め、人々の幸せを願い、地域社会に貢献する企業をめざします。
行動基準 1.誠意ある言動により、信頼を高めよう。
2.向上心を持ち、創意工夫しよう。
3.企業人としての役割を自覚し、責任を果たそう。
瑞鷹株式会社 川尻本蔵 熊本県熊本市南区川尻四丁目6番67号
ラインナップ
「瑞鷹」大吟醸・夏吟醸 夏酒・純米大吟醸酒 金・純米大吟醸酒 銀・純米吟醸酒 銅 など
「本伝 東肥赤酒」
「新処なす-あらところなす」
【生産地】横手市
【特徴】肉質が密で張りがある。
【食味】中程度の大きさで上下を切り落として塩蔵し、キクが出る晩秋に「なすの花すし」に漬け直しをする。
【来歴】横手市十文字町新処集落に伝わる巾着型のナス。
【時期】7月~10月
*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%E3%83%BC%E7%A7%8B%E7%94%B0/#i-33 より
秋田の伝統野菜「新処なす」をご存知ですか 2017.08.18 Friday
皆さん、十文字の新処集落に古くから栽培されている「新処なす」なすをご存知ですか?
今回、新処なす保存会の方々に、お話しをお伺いしました。
新処なすは、巾着の形に似ていて、水分が少なく、実が堅く、皮も薄く、種が目立たないのが特徴とのことです。
秋田県が認定する「秋田の伝統野菜」の一つになっています。
漬物にむいていて、特に「なすの花ずし」に最適だそうです。
実がギュッと締まっているので、煮ても焼いても煮崩れしにく、色んな料理に使用できるそうです。
テーブルには、焼きなす、なすの素揚げ、ふかしなす、もち米で漬けたなす漬などを用意していただきました。
「新処なす」の収穫時期は、7月下旬から10月下旬。
現在は、「なすの花ずし」用の下漬け作業を行っているそうです。
「なすの花ずし」は10月下旬から来年の4月まで、道の駅十文字内の「ふれあい直売十文字」やスーパーモールラッキー内の「ファーマーズマーケット」、イオンスパーセンター横手南店内の「安心畑」で、お買い求めできるそうです。
*http://syoku-yokote.jugem.jp/?eid=829 より
前回の回答
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 金甌無欠 -きんおうむけつ-物事が完全で欠点がないたとえ。特に、外国からの侵略を受けたことがなく、安泰で堅固な国家や天子の位のたとえ。黄金の瓶かめに少しも欠け損じたところがない意から。▽「金甌」は黄金の瓶。高貴なものということから、国家や天子の位にたとえる。「金甌欠くる無し」と訓読する。
問2 曲突徙薪 -きょくとつししん-災難を未然に防ぐことのたとえ。煙突を曲げ、かまどの周りにある薪を他に移して、火事になるのを防ぐ意から。▽「突」は煙突の意。「徙」は移す、物を移動させること。「突を曲げ薪を徙す」と訓読する。「徙薪曲突」ともいう。
問3 付贅懸疣 -ふぜいけんゆう-余計な厄介もののたとえ。ひっついているこぶや、引っかかっているいぼの意から。▽「贅」「疣」はともに、こぶ・いぼのこと。「付」は「附」、「懸」は「県」、「疣」は「肬」とも書く。
問4 浮家泛宅 -ふかはんたく-船を住居にして水上で生活すること。または、漂泊して生活するという意味から、一定の住居に留まらない隠者の生活のこと。
「泛宅」は水の上に浮いている家ということから、船のこと。
問5 渟膏湛碧 -ていこうたんぺき-水があぶらのように深く静かによどんで、深緑色に見える様子。
「渟」は水が流れずに留まっていること。
「膏」はあぶらのこと。
「湛碧」は深緑色の水が満ちている様子。
今回の出題
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 鰥寡孤独
問2 攀轅臥轍
問3 麟角鳳嘴
問4 鳩居鵲巣
問5 跼天蹐地
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書・四字熟語辞典オンライン より
「紀州漆器」
Description / 特徴・産地
紀州漆器とは?
紀州漆器(きしゅうしっき)は、和歌山県海南市の北西部にある黒江地区を中心に作られている漆器です。そのため、紀州漆器は黒江塗り(くろえぬり)とも呼ばれています。
紀州漆器の特徴は、シンプルで丈夫、日常生活で気軽に使える実用的なところです。紀州漆器は、江戸時代から庶民の日用品として親しまれてきました。
また、紀州漆器は、朱塗りの表面から下地の黒が浮き出た文様でも有名です。この文様は、和歌山県岩出市にある根来寺(ねごろでら)で始まった根来塗(ねごろぬり)が起源となっています。
根来塗は、僧侶たちが寺で使用する膳・椀・盆・厨子などを自ら作ったことに始まります。そもそも寺で日常的に使う実用品だったため、根来塗は黒漆で下塗りをし、その上に朱漆を塗っただけで仕上げるシンプルなものでした。そのため、使用中に表面の朱塗りが摩耗して下塗りの黒漆がところどころ表に現れて朱と黒の文様ができ、それがかえって趣があるとして喜ばれました。
紀州漆器は、伝統的な根来塗風の漆器に加えて、蒔絵(まきえ)などの装飾がなされた漆器、合成樹脂素材の大量生産品などさまざまなニーズに応えています。
History / 歴史
紀州漆器は、室町時代に紀州の木地師(きじし)によって、渋地椀(しぶじわん)が作られたのが始まりとされています。これに加えて、僧侶たちが寺で使用する膳・椀・盆・厨子などを自ら作った実用的な根来塗が、紀州漆器に影響を与えています。
1585年(天正13年)、豊臣秀吉が根来寺を攻めた際、漆器を作っていた僧たちが難を逃れて黒江に来たことから漆器づくりが広まりました。江戸時代には紀州藩の保護下で、日用品としての紀州漆器は大いに発展します。
その後、1826年(文政9年)に膳などの堅地板物の製作に成功し、1852年~1860年(安政時代)には蒔絵(まきえ)による装飾がほどこされるようになりました。明治維新によって紀州藩の保護を失いましたが、1870年(明治3年)に本格的に海外貿易を始めて次第に活気を取り戻します。さらに、1879年(明治12年)に沈金(ちんきん)の装飾技術を導入、1898年(明治31年)には京都より蒔絵師を招いて蒔絵の改良を図りました。昭和時代になって天道塗・シルク塗・錦光塗などの変り塗が考案され、紀州漆器は革新的な漆器として発展し続けています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kishushikki/ より
日本の究極の美・蒔絵
チャイナといえば、ヨーロッパでは磁器をさす。それではジャパンといえば、それは漆器のことである。特に蒔絵が施されたものがその中心となっている。日本独特の発展を遂げた蒔絵の技法は、日本的な情緒に富み、多彩な表現方法をもっている。蒔絵の深淵について名匠に話を伺った。
蒔絵とは?
漆器の製造工程の最後が加飾ですが、その中の一つの技法が蒔絵です。漆で描いた絵が乾かないうちに金、銀などの粉を蒔きつけて装飾するのが蒔絵である。なぜこれほどまで蒔絵は人をひきつけるのか。名匠・出口譲爾(でぐちじょうじ)さんは「蒔絵は50年やっても今だ勉強中です」と奥の深さを語る。天候や乾燥具合に左右されやすいのである。季節は春に制作するのが一番難しいという。
技法から蒔絵の魅力を探る
実際に蒔絵の技法を見てみると、その魅力がよくわかる。3つの代表的な技法があるが、それは蒔きつける粉の大きさ、漆の塗面の盛り上げ方、塗面の研ぎ出しをどうするかなどによって分けられる。まずは「平蒔絵」。これは塗面に漆で文様を描き、塗り上がった画面の上に効果的に金粉・銀粉を表現しようとする技法である。次は「高蒔絵」。文様の部分を漆や下地を使ってレリーフ状に盛り上げ、その上に文様を描き金銀粉を蒔き固めて磨いて仕上げる。「高蒔絵」の盛り上げ方法は次の3つが代表的だ。漆上げ(高一ともよばれる)、炭粉上げ、トン錆、である。3つ目の技法は「研出蒔絵」。塗面に漆で文様を描き、その上に粗い金・銀粉を蒔きつけ、その粉が埋まるまで漆を塗り重ねてから、炭で研ぎ出して文様をあらわす技法である。いずれも簡単な技法ではないが、特にこの「研出蒔絵」は何度も何度も漆を塗り、金粉を炭で研ぎ出すがその加減が難しい。どれほどまで研ぎ出すのか伺ってみると「金粉の断面積が最大になる部分まで研ぎます。その部分が最も輝きが増すからです。それより浅くても、それより深くても金の輝きが鈍くなるのです。」と出口さんは説明された。実際「研出蒔絵」と「平蒔絵」の両方を見せていただいたが、一見「平蒔絵」の方が光っているように見えるが、よく見ると上品で奥行きが深いのは「研出蒔絵」である。しっとりと落着いた美しさを出している。蒔絵が日本人の心情をあらわしているものであり、魅力あふれるものであることがわかる。
古い伝統を今に生かす
「伝統を守るのももちろん大切だが、それを今に生かすにはどうするか」を常に念頭において制作にうちこむ出口さん。額、水牛の角や象牙を使った装飾品、ブローチなどの制作にも積極的に取り組んでいる。「時代と共にそれぞれのものの用途が代わってきているので、これまでにとらわれずにいきたい。」と新しいチャレンジを続けられている。こうした姿勢からなのか、お名前が「譲爾(ジョージ)」ということからなのか、外国からのお客様が多い。直接出口さんを尋ねる方もいるとのこと。もちろん出口さんは大歓迎。平成10年には歴史街道推進協議会のゲストとして、アメリカのデトロイトとロサンゼルスにて蒔絵の実演と体験指導を行われた。また後継者育成については、毎週2回7~8人の生徒の指導をしている。今後のますますの活躍に期待したい。
職人プロフィール
出口譲爾 (いでぐちじょーじ)
出口譲爾・蒔絵歴48年・江戸末期の初代冷水三四郎(しみず)から数えて5代目。和歌山県名匠。伝統工芸士。周りのものを包み込んでしまうあたたかい人柄がとくに印象的。
こぼれ話
黒江の町並みを歩く
紀州漆器のふるさと黒江。万葉集にも歌われている町です。その昔、このあたりが美しい入り江だった頃、干潟の中に牛の形をした黒い岩があったため、黒牛潟(黒牛の江)と呼ばれていたのが黒江の名の由来とされています。そこには今も昔のままの町並みが残っています。JRきのくに線「黒江」の駅で下車し、熊野街道を歩いていくと15分ぐらいで黒江の町の本通りともいうべき「川端通り」に着きます。ちょうど左角に目印となる「温故伝承館」があります。ここは江戸時代から漆器職人に愛された造り酒屋で、今は江戸時代の酒造りの方法と道具や商いの記録が展示されている資料館になっています。川端通りの周辺には昔の漆器職人たちの住居兼職場や問屋が規則正しく並んでいます。江戸末期には千三百余戸・四千五百人が住む町場として大いに栄え、今に残る歴史的町並みができあがりました。しかし町並みがなにか変です。まっすぐに並んでいません。家々がこちらを向いているような気になります。
よく見ると家々は通りに面して「のこぎりの歯」のように規則正しく並んでいます。どうしてこうなったのでしょうか。画家で郷土史家でもあった故・雑賀紀光さんの言によれば「家相という説、箱車を置くのに便利だという説、川から荷上げをした時の置き場の説などたくさんある中で、もとここは海であって池崎という半島のため汀が斜めに出来た.その波打ちぎわに沿って道ができ、埋め立てがなされ、それと中央の排水路(今の川端通り)が直角にならず、平行四辺形の土地になってしまった。そのため、四角い家を建てると表と裏に三角の空き地が出来たのであろう。」ということです。古い家に目を向けると、とても趣のある作り。外観は上部が白壁塗りで下部は紀州連子格子の板張りと京風の作りです。中に入ってみると昔ながらの農家風な間取りで落ち着いた気分になります。少し横丁の中に入ってみると突き当たりに、黒江村の生土神を奉っている「中言神社(なかごと)」があり、ここは紀州名水百選の一つで「黒牛の水」が湧くことで知られています。川端通りに戻りはずれの方まで歩いていくと、金比羅大権現がありました。これは海運の守り神なので、ここが昔埋め立てられたという証明になるかもしれません。こうして黒江の町並みを歩いていると、タイムスリップして何百年も前に戻っているような気になります。さっき道を教えてもらったおばあちゃんの話し方もゆっくりしていました。ここにいるとあくせくする必要がなくなっていくような気がします。
*https://kougeihin.jp/craft/0520/ より