第92期 棋聖戦 五番勝負 第3局
VS 渡辺明名人
既に2勝で王手。勝てば「防衛」という対局。
途中、劣勢になる場面もあったが、押し切って100手で勝利!
最年少「タイトル防衛」と達成した。
そして「九段昇格」も手にした。
次戦は、7月6日に第80期 順位戦 B級1組 4回戦 (持ち時間:6時間)。
対戦相手は、久保利明九段。
過去対戦成績は、2勝3敗。
第92期 棋聖戦 五番勝負 第3局
VS 渡辺明名人
既に2勝で王手。勝てば「防衛」という対局。
途中、劣勢になる場面もあったが、押し切って100手で勝利!
最年少「タイトル防衛」と達成した。
そして「九段昇格」も手にした。
次戦は、7月6日に第80期 順位戦 B級1組 4回戦 (持ち時間:6時間)。
対戦相手は、久保利明九段。
過去対戦成績は、2勝3敗。
日経MJ 2021年上期ヒット商品番付 西横綱
「買い物テック」
コロナ下の非接触ニーズにデジタル対応する店舗が人気に。日本マクドナルドはモバイルオーダーを約2800店舗に導入した。ファミリーマートも無人決済店を今年3月にオープンし、話題となった。
「買い物テック」という言葉は誰が名付けた?
詳しいことはわからない。
当然「認知度」も低いのでは?w
「ミガキイチゴ」
食べる宝石
おいしさは、磨かれる。
私たちは挑戦します。
あなたにとって特別なイチゴをつくることに。
熟練の技法を伝承されたイチゴマスターへ、受け継がれる職人技。
伝統と先端ITを掛けあわせ、進化を続ける栽培法。
妥協を許さない高い熟度と鮮度で、こだわり抜いた品質基準。
味わえば、どんな人の顔もほころぶイチゴで、日本中を、世界中を笑顔にします。
すべては、最高の一口のために。
受け継がれる職人技
甘いだけでも、すっぱいだけでもない、つきぬけた「甘すっぱさ」をもつミガキイチゴ。
熟練の技法を伝承されたイチゴマスターによって、類い希な深い味わいが生まれます。
進化を続ける栽培法
職人による長年の経験と勘から紡ぎ出される暗黙知は、繊細な果実を育てるための珠玉の肥料。
伝統と先端を掛けあわせたIT農法により、いつでも安定して上質なイチゴの生産を可能にしました。
こだわり抜いた品質基準
おいしいイチゴを育てるだけ、が我々の仕事ではありません。
妥協を許さない選果基準によって、高い熟度と鮮度のミガキイチゴが出来上がります。
*http://www.migaki-ichigo.jp/ より
「御来迎」
山の頂上で見る日の出、または日の出を迎えること。本来は、富士山、立山などの山頂で日の出や日没前の太陽を背にしたとき、前方の霧にうつる自分の影が光線の具合で虹色の光の輪につつまれてみえることを、阿弥陀仏の来迎になぞらえたもの。
子季語には、御来光/円虹がある。
*https://kigosai.sub.jp/kigo500d/226.html より
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(高松国税局)】
〈高知〉 文佳人/アリサワ
アリサワ酒造
有澤夫妻創業明治10年、高知県香美市土佐山田町にある酒蔵で、当店から徒歩1分のところにあるご近所さんです。
有澤氏は、バランス感覚に優れ、研究熱心な杜氏で、全国新酒鑑評会での金賞をはじめ四国の新酒鑑評会でも金賞に当たる優等賞を受賞するなど、数々の受賞歴を誇る実力派の蔵元です。
「文佳人(ぶんかじん)」銘柄の由来
文佳人今を去ること400年ばかり前、「お婉さん」と呼ばれた女性がいました。
その父は、土佐藩執政の野中兼山であり、江戸時代初期に目覚ましい勢いで治水工事や新田開発・港湾整備を行いました。しかし、その苛烈な政策が反発を買い、1663年に失脚、幽閉の身となり没しました。
兼山の遺族たちもお仕置きという形で高知県の辺境・宿毛市に幽閉されました。藩府から放免されたのは、家族の男子が死に絶えた四十年後のことでした。そのとき生き残った娘のひとりが「婉」です。漢文を始め学問にも優れた「お婉さん」は、宿毛での幽閉中も土佐南学の師・谷秦山と手紙での交流を続けていました。放免後には貧しい人のために薬をつくり医療を行い、その生涯を全うしました。
映画化もされた大原富枝さんの小説「婉という女」は、この人物「お婉さん」について書かれた物語です。
有澤の二代目宗策は、この「お婉さん」を称え「文佳人」という酒の銘柄としました。
「文佳人」つまり、「文の佳人」、手紙・文・詩歌・広くは学問に秀で、教養にあふれた美人である、と記念したのです。
香美郡土佐山田町には、婉が家族の魂を祀った「お婉堂」があり、また父・兼山の晩年の偉業である「山田堰」址もあり、野中家に関わる言い伝えが、今も脈々と息づいています。 (「文佳人の物語」より)
文佳人(アリサワ酒造)のこだわり
1.無濾過(むろか) 2.生貯蔵について
1.日本酒は通常、出荷前に活性炭素ろ過作業を行います。
これは香味のバランス調整、流通時の品質劣化への予防等の効果がありますが、その反面、日本酒本来の
香味を削ってしまう一面があります。
2.日本酒は通常、出荷までに二回の加熱処理を行います。
一度目は、酒中の酵素活性を止め、生ひね香の生成、甘垂れの発生を防止するため。
二度目は瓶詰め時の火落菌による腐敗防止の為。
しかし加熱処理を重ねることにより、酒の熟成がすすみ、鮮度が失われる一面があります。
文佳人は冷蔵での管理が可能な専門店のみの取扱いとすることで、多くの商品を以下のようにしています。
1.については、しぼりたての酒がもつ豊かな味わいと、「みずみずしい香りをできるだけそのまま味わっ
ていただきたい」との想いから無ろ過にしています。
2.については、鮮度の高い酒を年間を通じて味わっていただけるよう、一度のみの加熱処理(瓶燗法)後、
-5℃の冷蔵庫にて貯蔵しています。
*https://www.tosashu.com/menu/tosashu/li-arisawa.html より
株式会社アリサワ 高知県香美市土佐山田町西本町1-4-1
ラインナップ
「文佳人」大吟醸原酒・純米吟醸 雄町 氷温三年貯蔵・純米大吟醸原酒・吟醸酒 など
「男の辛口 酔さ来い たいら」純米酒 など
「じゅんさい」
【生産地】三種町
【特徴】自然池沼や古い灌漑用ため池、転作田において、推進50~80cm程度の水域に生育している。4月~5月にかけて水底の地下茎から新芽が伸び、夏には蓮の葉のように水面いっぱいに浮葉を広げる。
【食味】地下茎から伸びたヌメリと呼ばれる透明な粘質物のある幼葉や葉柄の部分を食用としている。スイレン科ジュンサイ属の多年草で独特の食感が珍重される。じゅんさい鳥鍋、じゅんさい三杯酢、じゅんさいそば。
【来歴】森岳地区の天然沼から、転作田で栽培されるようになり日本一の産地となった。都道府県によっては絶滅危惧種となっている。
【時期】6月~7月
*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e3%83%bc%e7%a7%8b%e7%94%b0/#i-27 より
じゅんさいとは?
じゅんさいは水面に葉を浮かべる水草の一種です。 淡水の沼に生息します。じゅんさい沼の深さは約80cm~1mほどです。沼底に根を張り、そこからたくさんの茎を伸ばし緑色の楕円形をした葉を水面に浮かべます。春から夏にかけてじゅんさい沼は一面を鮮やかな緑色の葉で覆われます。 茎からでてくる新芽はゼリー状のヌメリで覆われており、食用として摘み取られます。 じゅんさいの収穫時期は4月下旬から9月上旬で最盛期は6月頃です。
じゅんさいの栽培・収穫の様子は安藤食品のFacebookページでご覧頂けます。
私たち安藤食品のある秋田県三種町はじゅんさいの生産量が日本一です。 三種町で収穫されるじゅんさいは全て、小舟に乗り、一粒一粒手作業で摘み取られます。
水面に浮かぶじゅんさいの葉をかきわけて、水中のじゅんさいを探し、摘み取ります。 ていねいに、ていねいに摘み取られたじゅんさいはこの町の誇りです。
秋田県三種町のじゅんさい
三種町森岳地区には角助沼、惣三郎沼という沼があり、かつてはじゅんさいが自生していました。 昔の町の広報を見てみると「じゅんさい収穫の解禁日には登録されている71人のジュンサイ摘み者が、 箱船を持って午前7時のサイレンと同時に一斉に摘み始める。 摘み取られたジュンサイは町内の加工業者に買い取られる他に一般の人にも現地で販売されるため、毎日5,60人は列を作っている」とあり、 この町のじゅんさいへの熱気が伝わってきます。 現在では角助沼・惣三郎沼共に自生していたじゅんさいも姿を消してしまいましたが、町民のジュンサイへの熱い思いは今も変わらず、 新たに個々でジュンサイ沼を開墾し、じゅんさい栽培の技術の向上に励んでいます。 「じゅんさい」はこの地域の文化であり、誇りです。
選び抜かれた特選品
一粒一粒手作業で収穫されたじゅんさいを更に一つ一つ手作業でカットし、選別したものが特選品です。茎の部分を排除し、たっぷりのヌメりに覆われた1cmから1.5cmの若芽のみを選び抜きました。 手間暇掛けて生み出される極上の食感をお楽しみください。
*http://andofoods.com/?mode=f1 より
前回の回答
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 奢侈淫佚 -しゃしいんいつ-ぜいたくにふけり、みだらな楽しみや遊興にふけるさま。▽「奢侈」は度を越えたぜいたく。「淫佚」はみだらでだらしないさま。また、男女関係のみだらなさま。「佚」は「逸」とも書く。
問2 随珠和璧 -ずいしゅかへき-この世に類をみない貴重な宝物のこと。
「隋珠」は随侯が贈られた宝玉、「和璧」は卞和が見つけた原石から磨き出された宝玉のことで、どちらも貴重な宝物のこと。
「隋珠」は「随珠」とも書く。
問3 千巌万壑 -せんがんばんがく-険しい岩山と深い谷が続く景色。
「巌」は険しい岩山。
「壑」は深い谷。
「千」と「万」は数が非常に多いことを言い表す言葉。
問4 得隴望蜀 -とくろうぼうしょく-人間の欲望は尽きることがないということ。
「隴」と「蜀」はどちらも中国の地名。
後漢の光武帝が望みを叶えて、隴を手に入れたが、次は蜀が欲しいと望んだという故事から。
「隴を得て蜀を望む」とも読む。
問5 万寿無疆 -ばんじゅむきょう-健康でいつまでも長生きすること。
「万寿」は一万年の寿命ということから、長生きのたとえ。
「無疆」は限りがないということ。
限りなく長生きしますようにと、長寿を祝う言葉。
「万寿疆り無し」とも読む。
今回の出題
次の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。
問1 鑿壁偸光
問2 銅牆鉄壁
問3 罵詈雑言
問4 瑶林瓊樹
問5 披荊斬棘
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書・四字熟語辞典オンライン より
「播州三木打刃物」
Description / 特徴・産地
播州三木打刃物とは?
播州三木打刃物(ばんしゅうみきうちはもの)は、兵庫県三木市周辺で作られている金工品です。信州打刃物や土佐打刃物などと同様に、播州三木打刃物は型に入れて作る「鍛造」という技法を用いて作られる工芸品として、また日本における大きな刃物の産地としても知られています。
播州三木打ち刃物の特徴は、現在も昔ながらの製法で多種多様な刃物が作られているということです。小刀やのみ、カンナなど日用品から建設に使われる工具に至るまで、様々なものが職人の手によってひとつひとつ丁寧に作られています。
History / 歴史
播州三木打刃物のもととされる鍛冶が行われたのは1500年ほど前のことです。日本の大和鍛冶と交流し、百済(くだら)の韓鍛冶職人が当時の三木市周辺に住み着いたことが鍛冶の起源とされています。
しかし、ここから播州三木打刃物として確立していくのは、江戸時代とだいぶ先のことです。江戸時代には、このように既に鍛冶の基盤ができあがっていたため、播州三木打刃物という工芸品が生まれ、また発展していったと言われています。
現存している書物によると、三木で前挽鍛冶が行われ、発展の兆しを見せたのは1763年(宝暦13年)のことです。1760年(宝暦10年)に起きた江戸の大火事によって、大量に木材が必要になり、建設が盛んに行われたことで、鍛冶の需要が一時期伸びました。しかし、播州三木打刃物の存続の歴史はそう容易なものではありませんでした。1792年(寛政4年)には、大阪の販売独占権がなくなったり、1885年(明治18年)頃には西洋の技術の導入により和鍛冶の需要が一気に減少したりと存続の危機に面したこともありました。
現在では、当時の職人たちの努力により、播州三木打刃物の技術は脈々と受け継がれています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/banshumikiuchihamono/ より
時代に流されない本物の強さ、三木の鍛冶士
三木金物の歴史は古く200年の昔までさかのぼる。長い年月を経てなお今日に生きつづける強さの秘密を、この道55年の鑿(のみ)職人高橋和己さんに聞いてみた。
時代と共に変わる製品
「昔は下駄用の鑿ばかり作っていた」という高橋さんの話しは驚きである。鑿といえば建築用の鑿を連想するが、当時は下駄の歯と歯の間を仕上げるための鑿を作っていた訳である。また一時北海道の熊の置物がブームになった時も、彫刻用鑿作りに追われたというが、それらの需要は今はない。代わって、仏像や欄間を作るための本職用の特殊な鑿を作り始めた。「これがよかった」としみじみ高橋さんは言う。今では名指しで注文が来る。例えば、欄間作りで有名な富山県井波町から15~16年も注文が続いている。「本物の職人の方に自分の鑿の良さがわかってもらえて本当に嬉しい」と云う言葉には実感がこもっている。
こだわりを持つのが当たり前
高橋さんの作る鑿は一本一本手作り。それも特殊なものばかり。仏像などを作る職人さん達の注文は細かい。なかには設計図まで詳しく書いて注文してくる方もいらっしゃるとか。いちいち手間がかかって大変ですねとたずねると「それをするのが当たり前です。こだわりを持つからこそ長く続いてきたのであり、これからもっともっとこだわっていきたい」と力強い返事がかえってきた。高橋さんの鑿でなくては嫌だという全国のファンの要望にこれからも応え続けていくことは間違いない。
後継者はホームページを作る息子さん
後継者不足は伝統工芸の頭の痛いところ。しかし高橋さんには立派な後継者がおられる。しかしながら当初は諦めていたという。息子の高橋典三さんは6年のサラリーマン生活を経て後継ぎになったからである。動機を伺ってみると「たまたま正月に引いたおみくじに『家業継ぐもよし』とあったので軽い気持ちで始めた」と云われる。「簡単だろうとタカをくくっていたのだが,初めの3年はまったく何も出来なかった。ようやく4年目から少しずつ出来始めてきて、面白くなってきた」と云う。まだ修行中であるが、ホームページを開設したり、技術の習得と共に伝統工芸のすばらしさも後々伝えていきたい」と目を輝かせて話してくれた。一方では厳しい師匠と弟子ではあるものの、仲の良い親子関係は心を暖かくするものでした。
職人プロフィール
高橋和己(3代目)
1931年生まれ。鑿師歴55年。伝統工芸士認定平成10年。温和な表情の中に本物作りのこだわる芯の強さが見られる。
こぼれ話
どんな時も乗り越えてきた三木打刃物
播州三木打刃物の歴史は古く、その起源はおよそ1500年も昔。天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祖神とするこの地方の大和鍛冶と、百済の王子恵が丹生山へ亡命してきたときに連れてきた技術集団、韓鍛冶と技術を交流。すばらしい技術を持った韓鍛冶が三木に住みついて、鍛冶を行ったのが始まりでした。その後、鍛冶の発展と共に優れた技術を持つ大工職人を数多く輩出しました。平城京、平安京の時代から国宝級の建物を手がけてきたのは、日原大工と呼ばれるこの地方の大工でした。しかしながら今日まで至る道は決して平坦な道ではありませんでした。その歴史について三木工業協同組合事務局長、渡辺健三さんと三木市経済部商工観光課主任、大西真一さんのお二人が語ってくれました。
*https://kougeihin.jp/craft/0712/ より