いいもの見ぃ~つけた!

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今年の祭りはどうなる?-長岡まつり

2021-07-13 10:33:16 | 祭り

 「長岡まつり」

 2021年長岡まつり大花火大会の開催に向けて
 長岡花火財団では、長岡花火を二年続けて中止することは絶対に避けたいという想いで、様々な検討を行ってまいりました。そうした検討状況を、長岡市長に報告し、先般、市長から、来年の長岡まつり大花火大会を何としても実施する方向で準備するよう要請を受けたところです。
当財団ではこれを受け、11月30日に行われた理事会において、「2021年長岡まつり大花火大会を開催する準備を進める」方針を決定し、さっそく準備に着手いたしました。

 開催に向けては、当然ながら、観覧してくださる皆様から感染を広げることのないよう、全国、県内、市内の感染状況、国や県のイベント開催のガイドラインなどを見極め進めていく必要がありますが、どのような状況となっても、中止ということではなく、可能な限り、その状況下での最善の大会を開催したいと考えます。
 このため、感染症対策をしっかりと講じつつ、通常開催にできるだけ近い形での実施から、市民を中心とするなど来場者の限定、あるいはプログラムの簡素化など規模を縮小して実施する方法まで、状況に応じ臨機応変な対応がとれるよう、複数の実施方法案を用意して準備を進めてまいります。

 いずれにいたしましても、市民の皆様をはじめ、来場者、関係するすべての皆様から、感染症対策下での開催であることへのご理解と、それぞれの皆様の良識ある行動等が実施に向けて不可欠となります。
 来年の長岡まつり大花火大会が、無事、開催できますよう、皆様のご理解、ご協力を心からお願い申し上げます。

 令和2年12月1日

 一般財団法人長岡花火財団
 理事長 髙見 真二

 

 

 2021年長岡まつり大花火大会の中止について
 長岡花火財団では、長岡まつり大花火大会を2年連続中止は絶対に避けたいという想いで、政府のイベント開催ガイドラインに則った感染症対策を徹底して、どのような状況であっても最善の花火大会が開催できるよう、複数の実施方法案を検討し、開催に向け準備を進めてきました。

 しかしながら、新型コロナウイルスの収束が見通せない中、「慰霊・復興・平和への祈り」の想いを持つ『長岡花火』の本旨を鑑みると、市民の皆様をはじめ花火を見に来てくださる方々の生命、健康を考えれば、長岡花火によって絶対に感染拡大を起こしてはなりません。

 このため、今年の長岡まつり大花火大会は、「中止」という判断に至りました。

 2年連続の中止は長岡まつり大花火大会を楽しみにし、心の支えにしている多くの市民の皆様、全国の長岡花火ファン、さらには、花火大会を支えてくださるスポンサーの皆様のお気持ちを考えると、まさに苦渋の決断でありますが、どうかご理解くださるようお願いいたします。

 令和3年5月12日
 一般財団法人長岡花火財団

 

 ということで結局「中止」に。どこもかしこもご苦労されているようですね。

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<苺> レッドパール

2021-07-13 10:27:15 | 食品

 「レッドパール」

 生産地  愛媛県・広島県 など
  交 配 アイベリー×とよのか
 愛媛県で1993年に交配して作られました。宇和海で有名な「真珠」にちなんで、陸の真珠「レッドパール」と名付けられました。
 艶やかで鮮やかな色味と、大粒で中まで赤い果肉が特徴です。
 ほどよい甘みと、爽やかな酸味を持ったバランスの良いいちごです。

*http://www.sunfruits.co.jp/gallery/item/?f=st0026 より

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<言 葉> 夏の言葉 虹

2021-07-13 10:18:57 | 言葉

 「虹」

 雨の後、太陽と反対側の空に現れるアーチ状の七色の帯。夏の季語とされているのは夕立の後あらわれることが多いためである。

 子季語には、朝虹/夕虹/虹立つ/虹の帯/虹の梁/虹の橋/二重虹/白虹/虹の輪がある。

*https://kigosai.sub.jp/kigo500a/251.html より

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<日本酒> 宝剣 純米酒 レトロラベル

2021-07-13 10:14:44 | 日本酒

 SAKE COMPETITION 2019

 【純米酒部門】GOLD 第1位「宝剣 純米酒 レトロラベル」

 「宝剣(ほうけん)」異色の蔵元杜氏が醸す注目の酒【広島の日本酒】

 「宝剣(寳劔)」は、明治創業の歴史を持つ宝剣酒造が、蔵内に湧き出る「宝剣名水」で醸す酒。5代目となる蔵元杜氏が“心の底からおいしいと思える酒”を追求し、磨き上げた「宝剣」の品質は「広島に宝剣あり」と、全国にその名を轟かせています。 更新日:2020.05.01 

 「宝剣」の造り手、土井鉄也氏がめざす酒造りとは?

 「宝剣」の造り手、土井鉄也氏の異色の経歴
 「宝剣(寳劔)」の造り手は、同じ名を持つ蔵元、宝剣酒造。その創業は明治5年(1872年)のことで、以来、約150年もの歴史を積み重ねてきた老舗蔵です。
 現在、その酒造りを受け継ぐのが5代目となる蔵元杜氏の土井鉄也氏。中学時代から“ドイテツ”の異名で恐れられた暴れん坊で、高校中退後は土建屋で働いていましたが、父親の頼みで家業を手伝い始めることに。とはいえ、酒造りには興味がなく、その造り方すら理解していなかったのだとか。

 「宝剣」の造り手が酒造りに目覚めるまで
 そんなある日、父親が突然の脳梗塞で倒れます。思いがけず蔵元杜氏を引き継いだのは、土井氏が21歳のときでしたが、すぐに通用するほど酒造りは甘いものではありません。酒造家が酒を持ち寄って集まる試飲会で、「うちの酒が一番おいしくない」と気づいた土井氏は、そこから一念発起します。
 「自分が心からおいしいと思える酒を造ろう」と、持ち前の負けん気で酒造りや利き酒の勉強に専念するなか、次第に酒質が向上。周囲の評価も高まり、「全国新酒鑑評会」や「SAKE COMPETITION」で上位入賞を果たすなど、全国区の銘柄へと成長しています。

 「宝剣」の味わいを支える「宝剣名水」
 「宝剣」の酒名の由来となる「宝剣名水」とは?
 「宝剣」や宝剣酒造の由来となったのが、蔵の敷地内に湧き出る「宝剣名水」です。
 この名水は、弘法大師・空海が修行した霊山として知られる野呂山(のろさん)からの伏流水。江戸時代から続く歴史ある名水で、昭和63年(1988年)の調査によると、厚生省(現在の厚生労働省)の定める「おいしい水の要件」に合致した、たぐいまれな名水と絶賛されています。この清冽な宝剣名水が、宝剣の品質を支えているのです。

 宝剣は「軟水醸造法」で醸したキレのある辛口酒
 宝剣酒造が蔵を構える、広島県呉市の仁方(にがた)地域は、もともとミネラル分の少ない軟水が豊富な地域。かつては「軟水は発酵が進みにくいため酒造りには向かない」とされていましたが、明治中期に「軟水醸造法」が開発されると、ふくよかできめ細かな甘口の酒質が“広島の女酒”と呼ばれて評判と呼びました。
 「宝剣名水」も軟水ですが、軟水醸造法を駆使して、しっかりと発酵させることで、伝統的な“女酒”とは一味違う、キレのある辛口の酒に仕上げています。

 「宝剣」は広島産の酒造好適米「八反錦」を主体に造る、広島の地酒
 「宝剣」に使用される「八反錦」は広島オリジナルの酒造好適米
 「宝剣」がおもに使用するのが、広島県オリジナルの酒造好適米「八反錦(はったんにしき)」。麹菌が繁殖しやすい、「心白(しんぱく)」と呼ばれる中央部の不透明な部分が大きく、バランスのよい酒質が得られる米として評価が高い品種です。
「宝剣 純米吟醸 廣島八反錦」は、この八反錦を精米歩合55%まで磨き上げ、その魅力を最大限に引き出した1本。香りと味のふくらみ、キレのバランスが取れた絶品です。

 「宝剣」は酵母も広島県オリジナルの「広島夢酵母」
 宝剣酒造では、米だけでなく、酵母も広島産にこだわります。「宝剣 純米 広島夢酵母」は、広島県食品工業技術センターが「きょうかい9号酵母」を改良して生み出した「広島夢酵母」で醸した純米酒。酸味が控えめで、スッキリした清涼感のある味わいで、食中酒にピッタリです。
 なお、この銘柄は、「SAKE COMPETITION 2019」において純米酒部門で3位を獲得。同時に「宝剣 純米 レトロラベル」が1位に輝くという快挙を成し遂げました。

 「宝剣」は近年、その評価がうなぎのぼりの注目銘柄です。妥協することなく「うまい酒」を追求する土井鉄也氏の挑戦が、今後、どのような酒を生み出すのか、目が離せません。

*https://tanoshiiosake.jp/6687 より

*http://www.yamanaka-sake.jp/store/products/detail.php?product_id=2903 より

 宝剣酒造株式会社 広島県呉市仁方本町1丁目11番2号

 宝剣酒造株式会社のラインナップ

 「宝剣」白ラベル純米・涼香純米吟醸・純米吟醸 八反錦・純米大吟醸 中汲み など

 

 

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<伝統野菜> 山形 山形赤根ほうれん草

2021-07-13 10:09:17 | 伝統野菜

 「山形赤根ほうれん草」

 【産地】村山地区>山形市、天童市、上山市

 【特徴】山形地方の在来種で、種をまいても無事に収穫できるのは約半分という貴重なほうれんそう。根や葉の付け根が赤い。耐寒性があり雪折れにも強くしなやか。一株あたり200~300gの大株となる。

 【食味】軟らかく、あくが少なく甘みが強いのが特徴。お浸し、和え物、汁物、炒め物など幅広く使える

 【来歴】山形市風間の農家が昭和2~3年頃、栽培した中から葉柄基部や根部の赤味の濃い株を選抜。日本在来種(角種)の秋播き品種。

 【時期】露地:10月中旬~1月下旬、ハウス:11月上旬~3月上旬

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%e2%80%9506-%e5%b1%b1%e5%bd%a2/#i-10 より

 

 山形赤根ほうれんそう
 緑黄色野菜の代表格「ほうれんそう」。今では一年中食べることができますが、本来の旬の時期をご存知ですか?山形県村山地域には、秋から冬に旬を迎える伝統野菜(在来作物)の「山形赤根ほうれんそう」があります。

 風間の赤根っこ
 「山形赤根ほうれんそう」は、葉にギザギザの切れ込みがある日本在来種で、軟らかくてアクが少なく、旬を迎える秋から冬にかけて、非常に甘くなるのが特徴です。雪をかぶっても茎葉がしなやかで折れにくく、普通のほうれんそうより大株、太根に成長します。元々、山形市内で作られてきましたが、現在は、山形市周辺の東南村山地域を中心に、栽培が拡がりつつあります。

 

 茎から赤い根の部分が特に甘い のが特徴。

 山形市風間の栽培農家、柴田吉昭さんの畑を訪ねました。柴田さんは、祖父・吉男さんの代から、赤根ほうれんそうの栽培を続ける農家の三代目。代々、自家採種を行い、種を伝えてきました。

 「親父(吉美さん)の話によると、昭和40年代には、山形のほうれんそうと言えば、赤根ほうれんそうだった。当時は『風間の赤根っこ』と呼ばれていて、市場でもそのうまさが評判だった」と言います。それほど当たり前だった赤根ほうれんそうですが、病気に弱いこともあり、他の農家は次第に西洋種のほうれんそう栽培に変わっていきました。それでも柴田家で作り続けてきたのは、「喜んでもらえるから」と柴田さんは言います。

 

 待っていてくれる人がいる張り合いと誇り
 赤根ほうれんそうの収穫時期は、11月から2月いっぱい頃まで。味の特徴であるほうれんそうの甘みは、雪をかぶった方がさらに増しますが、露地栽培では雪が積もれば雪を掘り起こしての作業。加えて、通常のほうれんそうより大きく、根も長い赤根ほうれんそうは、根にからみつくようについた土を洗い流さなければならず、収穫に手間もかかります。そんなに苦労してまでも作る理由は、父と同じ思いで「食べた人から美味しいと言われること。そして、待っていてくれる人がいること」だと柴田さんは言います。それがあるから、寒い雪の中、ゴム手袋一つでもくもくと地味な仕事でも続けていけると。

 

 雪をかぶって糖度が増す。雪を丁寧にかきわけて収穫していく。

 徐々に有名になり、テレビの収録やさまざまな取材を受けることも増えました。取材では、「ずっと栽培を続けていきますか?」と聞かれることも多いそうですが、柴田さんは「買って食べてくれるお客さんがいてこそ続けられるもの。喜んでもらえるものを届けるためには、赤根ほうれんそうの本来の味が出せるよう、大株、太根のほうれんそう作りを続けなければ」と、いつも答えるのだそうです。父・吉美さんは、病気に弱いという作り難さを克服し、大株に育てるための技術改良を続けてきたそうです。柴田さんも、株間の取り方など、他の栽培農家への技術指導を行っています。

 赤根ほうれんそうの一番おいしい食べ方を尋ねると、やはりシンプルに「おひたし」だそうです。スーパーでは小ぶりのほうれんそうが主流になっており、赤根ほうれんそうの本当の価値が伝わらない状況もあるそうで、「良さを伝え、お客さんに手に取ってもらうには、対面販売、人と人との会話が大事。販売する際の、茹で方のちょっとしたアドバイスだけでも、赤根ほうれんそうの本当の美味しさをわかっていただける」と話していました。

 山形赤根ほうれんそうを味わってほしい
 山形市の北部に隣接する天童市でも、山形赤根ほうれんそうの栽培に取り組むグループ「天童市野菜研究会」があります。研究会員の金平芳己さんは、柴田さんの父・吉美さんから赤根ほうれんそうの作り方を教わった一人で、以来38年間、三代目の吉昭さんとも交流が続いています。

 

 天童市野菜研究会では、山形赤根ほうれんそうを「王将ブランド」として生産、販売しており、天童温泉の一部の旅館でも提供されています。金平さんは、「遠くから天童に訪れた観光客に食べてもらいたい、食べればおいしさが伝わるから。最近の若い人は加工ほうれんそうを食べることが多いから、本当のうまさ、ほうれんそうの味を知らないんだよね。だからこそ食べてほしい」と言います。天童市でも、病気に強く、収量も多い西洋種から改良されたほうれんそうが栽培の主流になり、赤根ほうれんそうを作る生産者が減った時代もありましたが、ここ数年は、地産地消が見直されたり、昔食べたほうれんそうの味を再び食べたいという声や、山形県の取組み等もあり、再び脚光を浴びてきたといいます。そのことで、金平さん自身も大変ながらも栽培していくファイトがわいてくるのだそうです。

 雪があたる12月、1月が一番甘くおいしい時期。あまりにも雪が多く積もるとハウス栽培になるので、雪の下から収穫できる露地ものの赤根ほうれんそうは、本当に短い期間しか味わうことができないのだそうです。

 

 創作料理コンテスト最優秀賞「あかね姫」

 天童市野菜研究会と食の宝庫やまがたフェスタ実行委員会(事務局:山形県村山総合支庁農業技術普及課)が主催し、山形赤根ほうれんそうの生産拡大と首都圏への販売拡大を目的に、平成21年に天童市内の温泉旅館で「山形県赤根ほうれんそう創作料理コンテスト」が開催されました。70名近い出品者の中から、見事、最優秀賞に選ばれたのが、星野洋子さん(天童市蔵増)考案の「あかね姫」です。星野さんは、日頃から仲間とともに、赤根ほうれんそうの栽培に取り組んでいます。

 「あかね姫」を思いついたきっかけを伺うと「根っこの赤いのを活かせないかと、ほうれんそうをじっくり見ました。赤いところをひっくり返して、中に入れたらいいかなぁ」と思ったそうです。茹でたほうれんそうの株元に、サラダ感覚でマッシュポテト、チーズ、ハムを入れてのりで巻き、マッシュポテトにも葉と根の部分を刻んで入れてあります。ネーミングは、ちょうど山形の新しいお米「つや姫」のデビューの年だったので、それにあやかり「あかね姫」と命名したとのことです。見た目、ネーミングもぴったりはまり、会場の反応もすごく良かったといいます。

 

 今回の取材では、星野さんのお仲間の方々が、コンテストで優秀賞になった「カブ巻きのキムチ漬」や天ぷら、パスタをつくってくださいました。どれも山形赤根ほうれんそうの特徴を活かして調理されていて、見た目も美しい料理です。

 

 山形の冬の伝統野菜「山形赤根ほうれんそう」。金平さんにも一番おいしい食べ方を伺うと、返ってきた答えは柴田さんと同じ「おひたし」でした。オーソドックスな食べ方あり、創作料理の食べ方あり。伝統野菜のいろいろな食べ方は、どんどん広がりそうですね。山形赤根ほうれんそうを味わう第一歩、まずは「おひたし」で野菜の持つ甘みを、じっくりと感じてみてはいかがでしょうか。

 取材協力
 天童市野菜研究会 TEL.023-653-0052(事務局:JAてんどう野菜集荷場)
 村山総合支庁産業経済企画課 TEL.023-621-8432
*https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/joho/koho/mailmag/vegetable/murayama2.html より

 

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<漢字検定> 1級 四字熟語 47.回答 48.出題

2021-07-13 09:12:16 | 漢字検定

 前回の回答

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 旗幟鮮明  -きしせんめい-主義主張や態度などがはっきりしているたとえ。旗じるしがはっきりして鮮やかである意から。▽「旗幟」は旗・のぼり。外にあらわれた主義主張や態度などのたとえ。「鮮明」は鮮やかではっきりしているさま。

 

 問2 銜哀致誠  -がんあいちせい-悲しみと誠意を持って死者を弔うこと。
哀悼の気持ちを持って、真心を捧げるという意味から。
「哀を銜み誠を致す」とも読む。

 

 問3 哀毀骨立  -あい-こつりつ-悲しみのあまりやせ細り、骨ばかりになること。父母の死などで非常に悲しむことの形容。▽「哀毀」は悲しみのあまりからだをこわす、また、やせ細る意。「骨立」はやせて骨ばかりになる意。骨だけでからだを支えるほど肉が落ちて、骨と皮ばかりになる意。

 

 問4 影駭響震  -えいがいきょうしん-ちょっとした影やささいな物音にもおびえる意から、ひどく驚き怖れること。

 

 問5 隔靴掻痒 -かっかそうよう-痒かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。思うようにいかず、じれったいこと。物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと。靴を隔てて痒いところをかく意から。▽「掻」はかく、ひっかく。「痒」はかゆい。「痒」は「癢」とも書く。「靴くつを隔へだてて痒かゆきを掻かく」と訓読する。

 

 今回の出題

 

 次の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 驥服塩車  

 

 問2 墜茵落溷  

 

 問3 渇驥奔泉  

 

 問4 吐哺握髪  

 

 問5 悶絶躄地

 

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典オンライン より

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 鳥取 因州和紙

2021-07-13 09:04:05 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「因州和紙」

 因州和紙とは?
 因州和紙(いんしゅうわし)は旧因幡(いなば)の国に当たる鳥取県の東部で作られている手すき和紙です。特に書道や書画・水墨画に適した風合いのよい画仙用紙(がせんようし)が有名で、全国でトップクラスの生産量を誇ります。
 和紙の原料は楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(かんぴ)などですが、因幡の国ではこれらの原料と品質を高めるきれいな清流に恵まれ、紙漉き(かみすき)の技術が発達しました。
 因州和紙の特徴は、天然の繊維が活かされた温かみのあるしなやかさです。酸化しにくく自然な強さを持つことから実用性にも優れ「他の和紙で一枚書くうち二枚書け、滑らかで早く筆がすすむから墨も減らない」と言われています。その高い品質から、「因州筆きれず」とも言われるほどです。
 紙漉きの工程は手すきの流し漉きです。水に溶かした繊維を漉きあげるときの「ちゃっぽん」という音は伝統的な風物詩として評価され、環境庁の日本の音風景100選にも選ばれています。
 現在は伝統的な技術を利用して立休形状のインテリア製品やパソコン用印刷紙など、時代の変化に対応した新製品を多く開発していることも特徴です。

 History / 歴史
 因州和紙 - 歴史

 因州和紙の起源は古く、8世紀前半の奈良時代に正倉院文書の「正集」の中に因幡の国印の押されたものがあります。これは日本でも最古期のもので、正倉院に保存されています。
927年(延長5年)に完成した「延喜式(えんぎしき)」には、因幡の国から朝廷に紙が献上されたという記録が残っています。
 江戸時代には、因州和紙の原材料である楮(こうぞ)と雁皮(がんぴ)が、亀井侯文書に「切ってはならない木」と記されており、鳥取藩に上納する藩の御用紙(ごようし)としても、庶民が使う紙としても盛んに作られていました。
 明治時代には、紙の漂白技術や合理的な製造方法を取り入れたことで生産量が増え、その勢いは大正末期まで続きます。
 昭和に入ると、木材パルプを使った洋紙の普及により和紙の需要は減少していきますが、因州和紙は書遺用紙・工芸紙・染色紙など、伝統的技術を基礎とした新しい製品の開発に力を入れ、画仙紙は日本一のシェアを獲得するなど、戦後に知名度を上げています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/inshuwashi/ より

 千年の歴史と素朴な温もりの因州和紙
 山の緑と海の青さ、そして川の清流に育まれた因州和紙。それは、千年の歴史を持ち、各時代の工芸士たちが、三椏(みつまた)、楮(こうぞ)など、木の皮を手で漉いた素朴な紙は、さながら山の乙女の柔らかい肌を感じさせる。

 
 長い歴史と伝統を守り続けた工芸士の誇り
 昭和6年生まれの伝統工芸士の前田久志(まえだひさし)さんは、パワフルさと前向きさで、ちっともその年齢を感じさせない。前田さんは、江戸時代から代々伝わる『紙すき唄』を唄ってくれた。
 「因州因幡の手すきの紙は、殿の御用でおさめ紙。因幡手すき紙、お殿様に納め蝶の御紋を許される。七つか八つから紙すきなろうて、糊のあい加減もまだ知らぬ。揃いましたよ紙すく音が、赤いたすきもよく揃うた紙は手ですく手は唄ですく、唄は紙すきさんの心意気。」そう唄い終ったあと、「どう、ええ唄やろ。声もいいやろ?」といたずらっぽい笑顔の前田さん。
 「ここ因州の紙は千年以上も前の記録に姿を見せるほど、歴史があるんじゃよ。奥深い山々から流れる豊富な清流と天然の三椏、楮に恵まれた因幡の紙は、年々栄え、慶長時代には朱印船貿易で海外にまで輸出されたといわれているんじゃ。」
 「また近世に入り、寛永5年、美濃の国から全国を回っていた旅僧が、ここで病に倒れてしまった。この土地の純粋で愛情深い村人達は、手厚い看護を施し、旅僧の病気も全快したので、旅僧は、その謝恩のいるしとして、新しい紙すき法を伝授して旅立ったという伝説もある。」と前田さんは因州和紙の伝統と歴史を語ってくれた。


 「伝統だけじゃなく、品質も日本一じゃぞ。」
 因州和紙のその高い品質も、前田さんの自慢である。その長きに渡る伝統がその証拠でもあるが、特に書道用紙は、きめ細やかで筆運びが滑らかなため、「因州和紙筆切れず」という異名をとるほどの高い評価を受けている。これは、三椏や、楮などの原料の質がよいということと、非常に丹念、丁寧に漉いているためで、パルプ紙では不可能な素朴な味わいを出しているからである。
 また、戦時中は「風船ばくだん」(日本軍の作った直経10メートルほどの気球型ばくだん)にも因州和紙が採用され、前田さんも学徒動員で作ったと話してくれた。


 伝統にこだわるだけでなく、新しいモノへの挑戦も職人の使命
 前田さんの夢とは、なんと「パリかニューヨークで個展を開くこと」なのである。「わしは、とにかく新しい商品を研究開発していくのが、大好きなんじゃ。うちの紙漉きの機械もわしが考案したし、まだ世に出ていない新しい作品で世界にアピールするのが夢なんじゃ。そのためには、やはり外国で個展を開いてみたいな。」と語る前田さんの目はキラキラと輝いていた。
 「せないかんこと(しなければいけないこと)がたくさんありすぎて、老け込む暇もないわ。和紙の需要が落ちてきたのは事実じゃが、悲観的になったことはないよ。もちろん同業者は廃業していった人も多いが、わしはまだまだやるで。」と、入り口の一番目立つところにかけてあった2枚の「色紙」を指さした。その色紙には、地元のお寺の住職さんが書いてくれたもので『初心生涯』『生涯現役』と書いてあった。

*https://kougeihin.jp/craft/0905/ より

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