「仏高力 高力清長」
高力 清長(こうりき きよなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。三河国高力城主、のち武蔵国岩槻藩主。官位は従五位下・河内守。島原藩高力家初代。
三河三奉行と称される際に、清長は温順にして慈愛深く、重次は思いのままに言いたいことを言う、康景は寛厚にして思慮深いとそれぞれ評され、「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」という様に、「仏高力」として名が知られている。このように清長は正直者で知られていたが、それを示す逸話も多い。家康から岩槻2万石を与えられた際、預け地1万石も与えられた。預け地とは事実上はその責任を伴う者の領地同然で、当然収入として上がる年貢は役得として自分の物としてもさして問題ないのだが、清長は預け地の年貢を1度も自分の手にすることなく直接江戸へ運ばせた。文禄の役で軍船建造を担当し、余った建造費である金20枚を家康に返上しようとした際も、その正直さに感激した家康はそのまま褒美として与えている。
*Wikipedia より
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