富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

公民館の講座メンバーで、富田林市喜志地区を歩きました。

2015年06月10日 | 館外活動

スタートは近鉄長野線の喜志駅です。

この駅の乗降客数は富田林市内で一番多いそうです。

 

 

ここは正方位条里地割が残っているところです。

この一角で先の東日本大震災の時に生き残ったお米の種を分けて貰い岩手県大槌町奇跡の復興米として栽培されています(平成27年6月)。

 

四世紀頃に作られたと伝えられる粟ケ池は錦織地区の石川から水を引かれ、喜志地区の水田を潤しています。

この池を浚渫した土砂で池の周囲を埋め立てて粟ケ池共園として近隣周辺の人々の憩いの場として活用されています。

 

 

桜井町にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院明尊寺です、元々農繁期に近所の子どもを託児していて後に学校となり今の喜志小学校の前身だそうです。

その後リンデン保育園として幼児保育をされていましたが平成19年3月で閉園されました。

 

ここ川面町はかつて石川水運の船着き場として栄え今も立派な家が残っています。

また竹之内峠を目指した人が川を渡る事が出来ずにいた人の為の宿が今の河南橋のたもとに有ったそうです。

 

喜志町に有る真宗興正寺派寺院正信寺の門の上に太鼓がのせてありました。

こんなところに太鼓がのっているのは珍しいそうです。

喜志町はかつて大深と言い段丘の一段下がったところに集落が出来、大きい深い所に有ったところから大深と呼ばれたそうです。

昭和30年代頃にはこの地域を大深上、大深下と段丘の上と下の地域を呼び分けていました。

 

 

木戸山町に有る融通念仏宗極楽寺の前にお祀りされているのが神変行者大菩薩(役行者)です。

元は金剛山に祀られていたそうですが、明治の初めころにどなたかが川面に置いて行ったのを村人が迎え祀ったそうです。

お参りすると病気が良くなるとか、災難に遭わないなどのご利益があると言われ遠くからお礼参りに来られる人も有るそうです。

 

☆この記事は、富田林市中央公民館 「富田林百景+」の講座メンバーにより、館内講座中に作成しました☆

撮影:2015.5.27.ほか

2015.6月10日 (  HN:BUTABARA 

 


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