〈リバイバル・アーカイブス〉2023.7.10~7.24
原本:2022年2月7日
建設されて370年もの歳月が流れている国の重要文化財、旧杉山家住宅。
旧杉山家住宅を見学するとよく分からないものがたくさんあります。
私なりに七不思議をあげてみます。その第2弾!
《一不思議》よくわからないミミズクの絵。
大床の間の「老松」の障壁画の横に一間2面の板戸があります。黒ずんでいてよく分かりませんが、透かしてみると「松にミミズク」がようやく確認できます。板戸の絵は夜を表しているようで、松は黒っぽく、ミミズクは白っぽく描かれています。経年変化でそうなったものか定かではありませんが、不思議な板戸絵です。
《二不思議》
庭園にお百度石。四角錘形石柱。下部は折れて消失。
なぜ回遊式の庭園にお百度石があるのか、そして横たわっているのか分かりません。庭園には稲荷さんとおそらく天神さんが場所を違えて祀ってあります。
右横に「安政三辰年八月」、左横下部に「發起」。
《三不思議》庭園に天神さん?
祠が痛んでいて、ご神体はおられないようですが、屋根の切妻の部分に天神さんの梅の紋があります。
1〈岩永橋 1〉花崗岩質
上から「かん□い□し」」「岩永橋」カ
横から見た写真「文久三 □□ □子 奥谷 架 丹 計」カ
唯一年号がわかる銘「文久三(1863)」カ
2〈岩永橋 2〉片麻岩質
3〈古手屋橋〉花崗岩質
4〈「發起 岩伊 高喜」橋〉「庚申」「九月吉日」と記銘されている石橋 花崗岩質
「發起 岩伊 高喜 世話人 山田氏 龍岩 小恵」とも見えます。
この橋には「庚申」「九月吉日」と読める部分がありますが、元号が表記されていません。「庚申」を干支と読めば、延宝八年(1680)、元文五年(1740)、寛政十二年(1800)のいずれかと考えられます。
用心堀は町の北側の三分の一が焼けた享保十五年(1730)の大火の後に防火のために掘られているのでおそらく元文か寛政期かと思われます。それ以前は違う橋があったと思われます。
《四不思議》寺内町にあった古い石橋(本物)
「岩永橋」や「古手屋橋」など、用心堀には少なくとも4つの石橋が掛かっていたようです。ここに寺内町の用心堀(溝)にあった石橋が保管されています。現在の町中にある橋はそのレプリカです。
宝暦十年(1760)~明和三年(1766)カの富田林村絵図から「用心堀」が記載されています。しかし石橋までは描かれていません。
《五不思議》富田林で一番大きい道標ともう1点
《六不思議》風化して削られた格子。
370年もの歳月(この部分が370年かは不明)の中で、毎日直射日光が当たって、杉材が深さ1cmほどまで削られています。歴史の深さをここでも感じられます。
《七不思議》屋根にあがっていない鐘馗さん
北側の納屋のところに置かれている瓦類の中に、鬼瓦に混じって「鐘馗さん」があります。鬼瓦の睨み返しの鐘馗さんですが、今の主屋には上がっていないのですが、もともと主屋に上がっていたものでしょうか?銘には「細工人大阪鬼竹」と刻印があります。
2022年2月8日 2階に飾られた雛人形
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2022年2月8日 林 保夫
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