富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

初詣2025~元日に富田林市の神社を順番に歩いて巡る その2

2025年01月07日 | 私の富田林百景

 

2025年1月1日 10:14 富田林市宮甲田町9-46 錦織神社

多くの参拝者で賑わいます。

 

10:29 瓢箪に巻きつく白蛇の絵馬

白蛇は縁起の良い動物とか神の使い、弁財天さまのお使いとか金運・開運を運んでくれるとかいろいろ言伝えがあるようです。

 

10:26 こちらは龍。ふつうは象とか獏(バク)が多いかと思いますが、錦織神社は水郡天王宮(にごりてんのうぐう)と呼ばれていた時代もあり、水分(水配り=みくまり)の神社なので、龍なのでしょうか?

 

10:26 お供え 田畑から取れたものが多いようです。

 

10:24 摂社に出雲の神様、大国主神が祀られています。荒御魂を鎮めることを意味されているのでしょうか?

 

10:33 拝殿脇の資料展示室。神宮寺の金輪寺が明治の初めに廃寺となったことがわかります。

 

10:35 気がつけば長蛇の列。早く来てよかった。

 

10:37 長い参道わきにある天誅組河内勢顕彰碑。

 

10:39 宮甲田の太神宮灯籠と川西小学校教育歴史資料室

昭和9年9月室戸台風により校舎が倒壊し、翌昭和10年に村人たちの尽力により新しく建てられた校舎。現在国の登録有形文化財。

 

10:39 今では珍しい二宮金次郎さん。

 

10:41 浅川八郎翁之碑

石川の氾濫を抑えるため、幕末に石川左岸に私財を投じて築堤した浅川翁の碑です。

 

10:43 古墳中期の円墳 新家古墳

これからまた東高野街道を歩きます。

 

10:45 すぐ新家地区に入り、天誅組河内勢の志士(兵糧方) 鳴川清三郎の邸宅(旧鳴川邸)。

 

10:47 向かいの新家町水利会館には、厄除地蔵。明治初期までここには十輪寺というお寺があり、安永年間をはじめとする五輪塔や無縫塔など、僧侶の墓碑があります。

 

10:47 これは新家地区の太神宮夜燈。安永三年(1774)の銘と新家地区の別称「岩井村」の銘があります。

 

10:47 岩井梅吉碑 基礎部分に「河内音頭元祖」とあり、河内音頭(新聞読み しんもんよみ)発祥の地と言われる元になった岩井梅吉(本名は内田梅吉)の碑が建っています。明治34年7月建之。

富田林の盆踊り 2023.8.15

 

10:48 同じ地区内に4ヶ所、5尊のお地蔵様。

その中でこのお地蔵さんは袖取地蔵と呼ばれています。富田林の民話にも出てくるお地蔵さまです。

 

10:52 東高野街道が突然折れ曲がる屈曲道路。しかも真ん中に水路が走り、水路の向こうが別の町(錦織 芝地区)。

これは町の入口を屈曲させて、古来から直進すると云われる「邪気」を町中に入れないようにわざと曲げられた道路のようです。邪気が町内に入りこむとはやり病や厄災が起こります。もし旅人によって初期の新型コロナがもたらされると村が全滅状態になるかもしれません。

お地蔵さん、賽の神、江戸期以降の屈曲道路は邪気を町に入れない意味があります。

 

10:53 錦織 芝地区に入って、芝の太神宮夜燈。安永四年(1775)の建之。

村にはこういう民衆信仰の灯籠がよくあります。センサーにより夜間自動点灯します。

 

10:55 役行者が彫られている「大峯山上五十五度満願塔」。

錦織には4つの大峯山満願塔があります。

ところで「錦織」はどう読みますか?

「にしこおり」「にしこり」「にしごり」「にしきおり」どれも正解。もうひとつ「錦郡」の字も使います。

錦織神社・錦織公園や市立錦郡小学校・錦郡幼稚園というふうに混在します。

 

11:08 「すしのこ」の看板

世界初の粉末すし酢「すしのこ」。小さい頃お母さんがよく市場に「すしのこ、買って来て。」と買い物に行かされました。その晩は決まって大桶にばら寿司(ちらし寿司・田舎寿司)、錦糸玉子とか鯛でんぶとかたいしたものが入っていない寿司でしたね。60年前。

ところで「すしのこ」をずっと「すしの子」と小さい頃は思っていました。堺に会社があるのには感激しました。

 

はいここが旧東高野街道と廿山道(吉野道)の交差点にある道標です。

大峯供養塔を兼ねているようです。

かなり風化していますが、正面上に「役行者」さん。下に「左 たきだに/よしの」と廿山道(吉野道)の行先を案内しています。

 

11:10 また出ました「大峯三十三度満願塔」。

これは新の東高野街道と吉野道の沿いに立っています。役行者も彫られています。「すぐ 山上道」と道案内もされています。

ここは新東高野街道(巡礼街道と一体化)と水越峠を越えて最終的に吉野や大峯山にいたる吉野道がいっしょになります。

〈記事追加〉民話めぐり 錦織・甲田の民話 2024 2024.8.5

 

11:12 地元の方たちがあちこちで町の名所を紹介されています。

 

11:13 神南辺道標

現役の道標では富田林市最大。神南辺大道心隆光による道標は河内・和泉・大和を中心に75基以上もあります。近くでは彼方(おちかた)にお百度石と「瀧谷山 七丁」里程標があります。

ここで新東高野街道と吉野道が分かれます。彼方の春日神社や滝谷不動方面にこれから参ります。

 

11:19 滝谷不動参道の赤い橋 高橋を越えて、石川を渡ります。

 

11:23 彼方(おちかた)の道標地蔵

石の祠にいたはる町を守り、道案内もされているお地蔵さま 彼方はお地蔵さまが多く町の周り6か所以上におられます。

地蔵盆2024 2024.8.26

 

11:24 旧西光寺の手水鉢にある盃状穴(はいじょうけつ)

縁には複数の盃状穴があります。これは後で人為的に作られたものです(ポコポコした穴)。江戸中・後期以降の天からの授かりものを受ける穴です。天運・子宝・金運などを受けるためにこの手水鉢が作られた後の時代に人為的に開けられました。

 

 

南河内にはあちこちに盃状穴があります。

 

11:26 彼方の「太神宮常夜燈」明和四年(1767)の建之。富田林では4番目に古い民衆信仰の灯籠です。

 

11:26 この道の沿いには庄屋さんが二人住んでおられました。旗本 甲斐庄氏の庄屋さんと狭山藩 北条氏の庄屋さんです。

この彼方を通る道は河内長野市の末広町から嬉、彼方、西板持に至る道ですが、長い間街道名はわかりませんでした。

 

ところが彼方小学校から北に西板持方面に行ったところの道標地蔵に「右ハ 加ミの太子道」と彫られた石祠の道標地蔵があることから、この道は「かみのたいし道」であることが解りました。

3つある彼方の道標地蔵にはすべて「かみのたいし」と記銘されています。

 

11:36 富田林市彼方329 春日神社 

彼方の東の山裾にあります。現在は彼方、伏見堂、横山、嬉地区の氏神です。

 

11:34 丘陵のふもとの森の中にあり、境内林は自然が残り、「市指定保存樹林 」に指定されています。

 

11:40 境内には明治40年ごろの神社合祀令によって合祀された伏見堂神社(伏見堂)、菅原神社(横山・嬉)を始めとして、いくつかの摂社があります。

 

11:41 梶原大明神(稲荷社)の祠

 

11:40 後ろに写真のような瓦器で作られた祠に丸石が納められています。これはおそらくこの地域に多い「賽の神」と思われます。

賽(さい)の神 2015.3.16

 

11:41 10月の秋祭では、彼方、伏見堂、嬉地区の地車が第二土曜日に宮入りします。

 

11:48 この他にも「四丁」「五丁」「七丁」「十丁」の道標(里程標)が現存します。捜してみてください。

 

11:53 富田林市彼方1762(滝谷) 滝谷不動明王寺

 

12:01 多くの参拝が並んでおられます。

 

12:09 本堂の「滝谷山」の扁額。金色なのに、レインボーカラーのように見えます。

 

1211 これは賽銭なんでしょうか?

 

12:23 何軒か屋台が出て、人気でした。 

この続きは「その3」で。

関連記事:初詣2025~元日に富田林市の神社を順番に歩いて巡る その1 2025.1.7

美具久留御魂神社 初詣2023 2023.1.10 撮影:1月2日

佐備神社 初詣2023 2023.1.9 撮影:1月2日

錦織神社 初詣2023 2023.1.6 撮影:1月1日 

春日神社 初詣2023 2023.1.6 撮影:1月1日 

喜志の宮さん 初詣2020 2020.1.4 撮影:1月3日

巡礼街道で詣でる喜志の宮さん:富田林寺内町→美具久留御魂神社 2016.1.3 撮影:1月2日

写真撮影:2025年1月1日 

2023年1月8日 (HN:アブラコウモリH )

 

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