富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

春日神社 初詣2023

2023年01月06日 | 私の富田林百景

2023年1月1日 8:44 富田林市彼方(おちかた) 春日神社

春日神社は旧錦部郡の石川右岸地域の氏神で、彼方、伏見堂、横山、嬉地区がその地区に当たります。

〈画面をクリックすると富田林市域の大字図が見れます〉

(出典:「とんだばやし灯籠めぐり~町かどの文化財を訪ねて」 『富田林百景+』の仲間たち 平成30年より) 

 

本殿

10月の秋祭では、彼方、伏見堂、嬉地区の地車が第二土曜日に宮入りします。

 

氏子さんらが御神酒(おみき)のお世話をしてくださいました。

境内は2年半ほど前に、浪花千栄子をモデルとしたNHK連ドラ「おちょやん」のロケが行われたところで、ここを小学校の運動場(本来は大伴小学校)に見立てて、「おちょやん」がかけっこして負けたところです。

ロケ現場は下のブログをご覧ください。(ブログ中ほど)

「浪花千栄子」さんは富田林の出身 2020.12.12

 

またたき火にも当たらしていただきました。朝の9時でこれだけ灰が出ているということは、夜通し焚いておられるのかもしれません。

 

境内には明治40年ごろの神社合祀令によって合祀された伏見堂神社(伏見堂)、菅原神社(横山・嬉)を始めとして、いくつかの摂社があります。

興味深いのは梶原大明神(稲荷社)の祠の後ろに写真のような瓦器で作られた祠に丸石が納められています。これはおそらくこの地域に多い「賽の神」と思われます。

同じような砂岩の川原石(丸石)を納めた祠は板茂神社や佐備神社にもあります。

〈板茂神社 賽の神祠〉

〈佐備神社 賽の神祠〉

〈下佐備集会所 賽の神祠〉

 

彼方の町を巡るとお地蔵さんがたくさんあります。

彼方地区にはにはなんと6つの地蔵祠(地蔵は7尊)があり、そのうち3尊は富田林に多い道標地蔵です。舟形地蔵の両脇に道標が記銘されています。

〈道標地蔵1〉

〈道標地蔵3〉

富田林市には他にも地蔵祠の敷石に賽の神と思われる砂岩の丸石が敷きつめられているのが見かけられます。なぜここに敷きつめられているかと言いますと、地蔵も賽の神も民衆信仰の中ではどちらも町に侵入してくる災い、厄、病気など邪気を食い止めるからです。つまり2重の効果があると考えられているからです。

〈西板持地蔵祠の賽の神〉

〈伏見堂地蔵祠の賽の神〉

〈南甲田 チリンサン〉

〈錦織 中薬師 賽の神〉

元禄五年(1692)「才之神改帳 彼方村」があり江戸前期から彼方村に多くの「才之神」があったことがわかります。(出典:富田林市史 第5巻(史料編Ⅱ)より)

この資料により、江戸の前期から賽の神があったことがわかります。

しかしこの資料は何のために作られたのかはよく解りません。

 

賽の神とは町の入口に祀られている神で、町中に禍が入ってこないように守っている神と云われています。

集落の入口や村のはずれ、街道の辻や三叉路、あるいは建物の鬼門の方向などにあり、地蔵の祠の敷石や神社の祠に祀られていることもあります。

災いや疫病神、魔物や邪気、疫病は古来から直進して、町中や家の中に入って来るものと考えられ、そのエネルギーを中に入れないように賽の神が置かれました。また古市や広瀬、新堂などの街道の入口がわざと屈曲しているのも直進を避ける意味があります(近世に造られたか改変されている村の場合)。

富田林市の場合はチリンサンのように石川の和泉砂岩の丸石が多いのですが、丸石はどの方向から直進してきても角度を変えて、中に災いを入れないという意味があります。

そして川原石には花崗岩やチャートもあるのに、意図的に砂岩が選ばれているというのは川原石でいちばん光を反射しない石(=一番光を吸収する石)という選択であると思われます。

賽の神の「賽」は本来「さえぎる」、「遮断する」という意味で使われています。邪気の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)=「賽の神」というわけですね。

賽の神は富田林市のあちこちにありますが、特に旧錦部郡には多く見受けられます。古市郡や石川郡になると賽の神に替わり、「衝波除(しょうはよけ)」が見られます。また甲信越地方や関東地方ではいろんな形の「道祖神」が分布していますが、これも賽の神です。

 

彼方の町なかは伝統的な建造物が多く残ります。

ここには旧狭山藩北条氏の庄屋宅や旧膳所藩本多氏の庄屋宅(相給=分割統治)があります。

〈ここをクリックすると江戸期の領主と石高の図が見て取れます〉

(出典:「とんだばやし灯籠めぐり~町かどの文化財を訪ねて」より) 

それに富田林市では4番目に古い明和4年(1767)の太神宮灯籠(伊勢灯籠)、大和棟、地蔵祠などがあります。

 

〈ここをクリックすると以前行なわれていた「夜燈(やと)さん=夜燈講」の資料が見れます。その1〉

〈その2〉 (出典:「とんだばやし灯籠めぐり~町かどの文化財を訪ねて」より) 

 

彼方 西光寺(廃寺)の手水鉢の盃状穴

これでもかと言うくらい盃状穴があります。これは手水鉢が置かれた時にはなかったもので、後でだれかが意図的に彫ったものです。

これは民衆信仰のいわゆる「授かりもの」信仰で、後で意図的に周りの人々が作ったものです。

盃状穴についてはこちらの記事をご覧ください。

内容は以下の百景ブログから転用しています。

〈リバイバル・アーカイブス〉私の富田林百景+ 「 太陽の道 美具久留御魂神社 」 

盃状穴についてさらにお知りになりたい方は、ここをクリックしてください。

(金剛公民館講座 イチオシ富田林百景第3回 「人々の祈り」より)

 

大和棟

彼方の町なかには大和棟が残ります。もともとトタンの部分は茅葺きでした。

 

茅葺き部分が残る大和棟

江戸後期に大和地方現われた茅葺きと瓦葺きを組み合わせた独特の屋根をもつ建物。間取りは厨子二階建物と同じく四間取りの農家型。河内地方では街道沿いに多く、庄屋や村の有力者のステータス的なお宅が多いです。

茅葺き部分は屋根の傾斜を45度以上(1対1)保たないと雨が茅にしみこんで雨漏りがするので傾斜がきついです。

そして、瓦葺き部分に煙出しがあるようにこの下は「へっついさん」のある台所です。薪を炊く火の粉が茅に燃え移り火事にならないようにわざわざ瓦葺きにしてあります。瓦葺きなので屋根の傾斜は30度(2対1)で充分。なお、台所部分と反対側の妻部分はその必要性がないので、瓦葺きではありません。

というわけで傾斜度の違う屋根がとても美しく見えます。

茅葺き部分の形状は茅葺き部分の面積が小さいなどいろんな変化形があります。

 

こちらは厨子(つし)二階の伝統的建物。農家型の四間取り平入り玄関です。

方形の虫籠窓と黒漆喰なので、おそらく昭和の初めころ建物でしょうか?百年は経過していると思います。

ここは昨年12月に古民家を改造して、オープンしたばかりのお店です。外からは何をされているのかよくわかりませんが、4つのお店が入店されています。

 

「古民家 彼方」のネーミングがいいですね。伝統とのマッチングが素敵です。

古さの中にも新しい薫り。古いってすばらしい。彼方って、すごいですね!

あ、そうそう、4つのお店は、「ネパール食堂 ミト(ネパール料理)」「いさをのどらやき(どら焼き)」「Un Village(アン ヴィラージュ)食器と雑貨」「イヌマル商店(愛玩動物 食と雑貨)」です。

 

写真撮影:2023年1月1日 

2023年1月6日 (HN:アブラコウモリH )

 

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