〈リバイバル・アーカイブス〉2022.12.12~12.26
原本:2019年1月2日
毎年当家の恒例となっている、じないまち界隈 除夜の鐘巡り。今年も浄谷寺、西方寺、興正寺別院にお伺いし除夜の鐘をつかせていただきまして、ありがとうございました。
〈浄谷寺〉
2018.12.31.23:53 半偈山はんけいさん) 三仏院(さんぶついん)浄谷寺(じょうこくじ)
融通念仏宗 富田林市富田林町(西筋南会所町)
大晦日の夜8時まで会社で勤務し、紅白歌合戦を見た後、「ゆく年くる年」を我慢して、富田林寺内町界隈のお寺の除夜の鐘を家族とお姉さんをさそって打たせていただきに上がりました。
わたくし的には、たまった煩悩を打ち払い、一旦リセットして~といっても毎年同じあやまちを繰り返すわけですが~新たな気持ちで新しい平成の次の元号をお迎えしたいと存じております。
本堂に掲げられている「半偈山」の扁額
半偈(はんげ)とは、事典には『偈文の半分。普通には、涅槃経にある偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の後半の八字。つまり「生滅滅已、寂滅為楽」のこと。』と説明されているが、余計に解らなくなりました。
23:52 毎年檀家の方、近所の方が除夜の鐘をつきに来られます。
23:38 ご住職にご指導いただきながら、つかせていただきました。
戦中の金属供出 「金属回収令(昭和18年8月、1943)」に遭いながらも、戦後幸いにして戻ってきた梵鐘。舞鶴までたしか取りに行ったと聞いています。腹に開いた4つの穴、金属調査のために開けられたとのこと。
しかし、苦難を乗り越えた鐘だけあって、まっすぐな筋の通った響きがします。
23:43 本堂にもお詣りできました。寒い中、お茶をいただきました。
23:40 『己(おのれ)』 ご住職、ご考案!
思うに『己』を燃やすということは、己を滅する、心を無にする、無我の境地、心頭滅却。
「心頭滅却すれば火もまた涼し。」 すなわち心が無の境地に至れば、火でさえも涼やかである、苦しみも悲しみも、そうとは思わなくなる。
火付き時間も長くなります。連結部分が心配ですが...今度お寺でやってみよっ!
「己」を横にすると、「~(無限)」になりますね...
数珠回しに使われる大数珠
江戸中期から昭和にかけて、西国三十三度巡礼行者( 富田林組五人行者)が背中に背負って、西国三十三所観音浄土を三十三回回ったお背板(おせた) 大阪府の指定文化財で完全に残る大変貴重なものです。
昨年に屋根の葺き替えと建物の補修を終えて、みごと再生した本堂。
貴重な彫物等はそのまま残されています。
どこかのビール会社でも有名な麒麟(キリン)ちゃん
萬年生きる亀さん
関連記事:私の富田林百景+ 「 浄谷寺 」 2016.2.16.
〈西方寺〉
2019.1.1.0:04 天正山 神宮院西方寺 富田林市富田林町
次は西方寺(さいほうじ)にお詣りしました。
浄土宗 京都知恩院派のお寺です。
本堂に安置された阿弥陀如来坐像。
2019.1.1.0:03 鐘をつかせていただきました。
この仏像は天和3年(1683)に尾州名古屋の伊藤治郎左衛門から寄進されたもので、藤原時代の様式で寄木造、鎌倉末期の作品と云われています。
本堂の天井から吊るされた籠
おそらく、本山から高僧や京・江戸からの使者が来られた時にお乗りいただく籠であるかと思います。
0:10 次は坂を登って、じないまちの中心部、城之門筋に移動。
〈興正寺別院〉
0:11 興正寺別院 富田林市富田林町 (城之門筋堺町)
浄土真宗興正寺派 城之門筋の面して鐘楼、鼓楼がみえます。いずれも国の重要文化財。
0:19 鐘をつかせていただきました。昨年は1番乗りでしたが、今年は年が明けて最後の方でした。
0:22 本堂 お茶をいただきました。
この本堂は寛永15年(1638)再建で、浄土真宗寺院の本堂としては大阪府内では最古の建物です。国の重要文化財。
天井付近の蟇股(かえるまた)の彫り物は中国の「二十四孝説話」によるもの。南河内・泉州の真宗寺院本堂に多くあります。なお、襖絵は江戸前期の御用絵師 狩野寿石淳信による「松図」「梅竹図」があります。
0:34 興正寺別院前 城之門筋堺町 帰路
今年も1年、よい年でありますように...
そして、平成の次の元号も戦争のない、平和な日本でありますように...
関連記事:除夜の鐘 - とんだばやし寺内町にて 2016.1.1.
写真撮影:2018.12.31.&2019.1.1.
2019年1月3日(HN:アブラコウモリH )
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