富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

興正寺別院のクラウドファンディングが始まりました。

2024年12月25日 | 文化財

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国重要文化財の富田林興正寺別院は大修復工事が計画されております。

経年のいたみがひどい本堂・対面所をはじめほぼ全面的に文化財保護のための大修復となります。

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興正寺別院では令和6年12月20日(金)〜令和7年2月17日(月)まで、調査工事にかかる費用を募るクラウドファンディングを募集しています。

 

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龍谷大学図書館 貴重資料画像データベースより

河内名所図会 第2冊13 富田林 秋里籬嶌 著、挿絵 丹羽桃溪 享和元(1801)

河内名所図会で「南河内、都会の地」と記述された「富田林」。その礎を築いたのは興正寺別院(富田林御坊)。

今回は保存修理事業に向けた第一弾ということで、来年から始まる調査工事費用の一部のご協力を募集しています。目標金額:400万円。工事期間は15年間。

 

興正寺別院(富田林御坊) 町の中心の高いところにあります。

平成26年(2014)に本堂、対面所、鐘楼、鼓楼、山門、御成門の6棟とそれに付随する築地塀3棟が国の重要文化財に指定されています。

 

富田林村絵図 天保八年(1837)

横を東高野街道、巡礼街道、富田林街道と東西・南北へ3つの重要な街道が通ります。

しかし現在、創建から460年が経過し、建造物の老朽化が進んでいます。特に築380年あまりの本堂は雨漏りがひどく、瓦のずれや崩壊の危険性もあります。

 

興正寺別院部分 拡大図

天保八年(1837)の絵図にも西を向いて本堂が建てられ、山門、鐘楼、太鼓楼、庫裡が描かれています。

そこで、「令和の大修復」として重要文化財6棟の解体修復工事が計画化されています。

 

興正寺別院 山門(城之門)

本山 京都興正寺の北之門として長く使われていたものを安政4年(1858)に移築したことが文書によりあきらかになっています。伝承では伏見桃山城の城門であったと言伝えられています。

現状の見積もりでは、総工費23億円が見込まれており、そのうち2億円が自己負担となります。物価の高騰の影響もあり、必要最低限の工事を行ったとしてもこれだけの費用が必要だそうです。

 

真宗寺院では大阪府最古の本堂です。現在の本堂は寛永15年(1638) に新堂大工により再建されたものです。

さらに、さらなる材料の高騰、人件費のアップなどの可能性もあります。

 

歴史を物語る本堂 春のじないまちの風物詩「雛(ひな)めぐり」

じないまち雛めぐり2024 2024.3.14

調査と保存修理計画の策定は令和7年(2025年)~令和8年(2026年)にかけて実施され、この調査によって工事の段取りや本堂の解体修復工事の大まかな流れが確定します。

 

寺内町燈路 夏の風物詩 「寺内町燈路」

寺内町燈路2023 2023.9.6

来年から行なう調査と保存修理計画の策定のために必要な資金だけでも、約一千万円が必要です。国や市からの補助はありますが、残りはお寺の負担になります。

 

後の寛永15年(1638)建設の本堂は386年の歴史を感じさせます。

「後の雛まつり」 秋、重陽の節句(旧暦)の頃に、長寿の願いと虫干しを兼ねて菊花といっしょに飾る江戸時代からの風習やそうです

じないまち 後の雛まつり2024 2024.10.14

そのため今回のクラウドファンディングが実施されました。

 

見越しの梅が春をつげる城之門筋。

貴重な歴史と文化財を次の世代に受け継ぐためにも必要な令和の大修理であると思われます。

 

光りがまぶしい暑い夏、太鼓楼には今も太鼓が残されています。

〈今後のスケジュール〉

令和7年中 仮設検討・調整(設計、工事監理契約、工事業者入札・決定)

令和8年11月頃 着工(仮設工事、解体、耐震診断、耐震補強設計)

令和20〜23年頃 工事の完了

 

霧に包まれた城之門筋を通学する児童。

〈富田林興正寺別院HP〉

富田林興正寺別院の歴史 » 富田林興正寺別院公式WEBサイト (t-koshoji.or.jp)

 

もみじ・イチョウ・桜(数年前に枯死)・松などが季節を彩ります。

目標金額:400万円

12/23現在の支援総額:31,5000円 達成率:7%

支援者:8名 残り日数:56日

 

もみじが色付く頃には、秋が深まります。

〈クラウドファンディング〉

富田林興正寺別院|460年の想いを次の世代へつなぎたい【第一弾】(富田林興正寺別院 2024/12/20 公開) - クラウドファンディング READYFOR

 

境内で行なわれたお茶会。

 

富田林興正寺別院本堂正面

広い外陣の本堂 富田林興正寺別院公式WEBサイトより

 

富田林興正寺別院本尊阿弥陀如来

本尊「阿弥陀如来立像」 富田林興正寺別院公式WEBサイトより

制作年に関わる記録はありませんが、「富田林興正寺別院伽藍総合調査報告書」によりますと、17世紀後半の作品と比定されています。

 

松竹梅図 襖絵八面の内 右側四面が「松図」

後の御用絵師、狩野寿石により描かれました。江戸の下る前には京都にいて、わざわざ富田林に出向いてこの襖絵を描いたと云われています。

 

左側四面が「竹梅図」

狩野寿石敦信は元禄十年(1697)京都から江戸に下り、同十三年(1700)に浅草猿屋町に屋敷を拝領し、正徳元年(1712)には五人扶持を与えられえました。よって、元禄十年までに描いたものと思われます。

 

「松図」一番右にある「狩野寿石筆」の墨書と落款。 狩野寿石敦信(1644~1718)、初名秀信。

その後、徳川家より江戸城・二条城・大坂城・内裏・仙洞御所などの障壁画の制作を命じられました。

そして、現在は残っていませんが、江戸城の松の廊下の障壁画も描きました。奥絵師に次ぐ表絵師として幕府の御用絵師を勤めました。

 

「二十四孝」の内「楊香(ようこう)」

欄間の上の蟇股は七具あり、そこに中国の儒教説話の「二十四孝」の内、七説話が彫刻されています。

向かって左から「孟宗」「唐夫人(とうふじん)」「楊香」「丁蘭(ていらん)」「郭巨(かくきょ)」「王裒(おうほう)」「大舜(しゅん)」。

 

「孟宗」 孟宗竹で有名な「孟宗」です。傍らに筍が生えているでしょ。

 

境内にある献灯。

 

宝永六年(1709)施主 河村氏 富田林村の造酒屋です。喜志の宮にも献灯があります。

 

2024年1月1日 0:28 除夜の鐘

毎年、撞かせていただいています。大晦日の11時半頃から付けて、本堂もお参りできますよ。

写真撮影:2016年8月~2024年12月

2024年12月25日 あぶらこうもりH(林 保夫)

 

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