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錦織神社の干支の絵馬2022

2021年12月20日 | 文化財

2021年12月20日 10:03 富田林市宮甲田町 錦織神社

 

早くも来年の干支「寅」の絵馬

 

国重要文化財の本殿。昭和8年(1933)に国宝(旧国宝)、現行の文化財保護法(昭和25年制定)で重要文化財に指定。

入母屋造三間社で、こじんまりとしていてそう大きくはないのですが、本殿は南北朝時代 正平18年(1363)の建築で、唐破風と千鳥破風とが重なる屋根形式は当時の様式としては珍しく貴重なものです。

この建築様式は江戸時代に建築された神社に多く採用され、「錦織造り」と呼ばれ、日光東照宮にも影響を与えたといわれています。

 

漆塗りの極彩色の本殿。

 

細かい仕上げで「左向きの龍神」 蟇股には五三の桐

 

「右向きの龍神」

一応睨んではいますが、なにかユーモラス。

神社の近くに荒前井路(嬉→粟ケ池)が流れ、水分(みくまり)に関わる神社ということで、龍神が描かれているのでしょうか?

 

「なになにこれ?」

 

狛犬さん 正確には左は「獅子」(吽形)、右は「狛犬」(阿形)。

 

摂社の「金刀比羅宮」の狛犬さんでした。右の阿形の狛犬は少し損傷。

 

明治以前には水郡(にごり)神社や水郡天王宮と称していましたが、明治40年(1907)に現在の社号に改称しました。

この灯籠には「奉造立 水郡天王宮 常夜燈」と記銘されています。

 

長くまっすぐな参道。160m。「長い参道はかつて流鏑馬が行われており馬場先と呼ばれていた。」と富田林市文化財課のHPに記載されています。

錦織神社 - 富田林市公式ウェブサイト (tondabayashi.lg.jp)

 

珍しい板番付。よく見ると「明治」「大相撲」「頭取」の文字が見えます。

「頭取(=親方)」は大坂相撲だけで使う言葉なので、おそらく明治期の「大坂相撲」の板番付表と思われます。

昭和2年(1927)、東京相撲協会と大阪相撲協会がひとつとなり、大日本相撲協会(現在の日本相撲協会)が発足しました。

 

慶応元年(1865)の世話人 甲田村 何某の絵馬。

塗りが剥がれて読めません。これは何の場面。「源平の合戦」のようにも見えますが...

 

たくさんの絵馬が奉納されています。

撮影日:2020年12月20日

2020年12月20日(HN:アブラコウモリH )

 

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