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とんだばやし観光会主催で2024年度第5回(通算第23回) とんだばやし観光会まち巡り「喜志七郷、七寺めぐり」を開催しました。今回は喜志の7つの地区とそのお寺を訪問し、全行程約7.5㎞の道のりを散策いたしました。その状況の【後編】を紹介します。
【後編】喜志 粟ケ池共園
2024年12月1日 12:16 昼食休憩が終わって粟ケ池を出発しました。
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「 粟ケ池より下流の灌漑水路」 粟ケ池共園の案内板より
井路(水路)を通して、喜志の各村の田んぼに灌漑用水がくまなく配られていることがよく解ります。
流入する河川はなく、人工の井路(水路)が1つだけ。しかし、流出する井路は6つ(樋は7つ)もあります。
なお、宮地区は粟ケ池からでなく深溝井路とその延長の井路から、平地区は、辰池・喜志新池方面から、喜志新家地区は粟ケ池と辰池・喜志新池の両方の井路から水を取り込んでいます。
《リバイバル・アーカイブス》喜志の条里と粟ケ池 1 2015.7.25
《リバイバル・アーカイブス》喜志の条里と粟ケ池 2 2015.8.7
近鉄電車や西側駐車場からよく見える昨年10月に完成したミュラルアート(作成許可を受けた壁画)です。金剛東中央公園や近鉄富田林駅南出口に続いて、富田林市では3番目になります。
制作はイタリア在住の日本人アーティスト「TWO-ONE(トゥーワン)」氏。作品は横幅59メートル、縦幅が6メートルあり、日本で2番目の大きさになるそうです。粟ケ池の龍伝説がモチーフになっているようです。
12:17 粟ケ池の堤防にある別宮、和爾(わに)神社を拝観して、龍神の説明をしました。
神社の由緒書には「美具久留御魂神社の御祭神、大国主命荒魂(あらみたま)は和爾神と称された龍神であると云う伝承に基づき別宮として祀る。」とあります。
人工の水路、深溝井路からの粟ケ池への流入口。不思議にも池の下手の堤防脇から流入します。
自然の河川の流入がないのが特徴で、水源は、7.3km上流の石川の水を荒前井堰から、また途中4.8kmの地点で深溝(ふこうど)井堰より取水し、井路(人工の水路)を通って上流の村々を潤しながら流れてきます。
12:33 美具久留御魂神社(喜志の宮)に到着しました。下拝殿脇にある市の指定文化財「朝鮮通信使の絵馬」を見せていただきました。
天和2年(1682)に友好親善使節として、李氏朝鮮から日本へ派遣された第7回朝鮮通信使の船旅の様子をえがいたもので、3隻ずつ並んだ御座船(淀川を上がる川船)が上下2段に6艘描かれています。そして絵馬には奉納期を元禄8年9月(1695)、喜志櫻井村11名の名前が連記されています。
12:37 振り返ると、参道のむこうは二上山。下拝殿から見る東側の二上山と鳥居が一直線に見えます。
2019年4月6日 5:57
太陽の1年に春と秋の2回(4/6と9/6)、太陽が神社の鳥居越しに、二上山の真ん中から昇ります。
太陽と二上山と神社が一直線にならぶ不思議!
5〈宮 月光寺〉真宗興正派
神社のすぐ近くにある浄土真宗のお寺です。山号が「超日山」寺号が「月光寺」です。
12:43 太鼓門が印象的な境内。創建は不明。富田林市史のよると、僧 乗観により永禄四年(1561)創建との伝承があります。寛永年間(江戸前期)の過去帳があり、寛延四年(1751)の梵鐘があります。
珍しい凝灰岩の水盆。大きな盃状穴がいくつか開いていました。
12:51 これは町の真ん中を南北に通る宮町北の「子連れ地蔵」。
「夜道の帰り、なにやら話し声が聞こえ、見ると地蔵さんが六体集まって話をしています。耳を澄ますと、この地蔵さんらが、村の夫婦に子授けの相談。家に帰り、なかなか赤ちゃんが授からない家内に話すと、とても気になり翌日村のはずれに見に行きます。すると二体の地蔵さんが転がっていました。一体は子供の地蔵さんでした。思わず地蔵さんを抱きあげて、村はずれの街道沿いに祠をたてて、手厚くお祀りしたそうです。すると不思議にもこの夫婦に子供が授かり、村人らも、子授けや安産の地蔵さんやいうて、お参りするようになりました。」
喜志の民話の地蔵ですが、子供地蔵のほうは平成六年から行方不明やそうです。
12:57 辰池 この上の谷池の星ケ池と共に水利権は平町にあります。
13:08 梅の里(ここは元々平町地区)に上がるイチョウ並木。今年の黄葉はすごく遅い。
13:12 先ほどの星ケ池と辰池からの水路。途中梅の里方面からのため池の水も合わせ流れます。
6〈平 安楽寺〉融通念仏宗 創建年不明。
13:17 境内にある富田林市で一番古い伊勢灯籠のひとつ「太神宮常夜燈」。
明和元年(1764)九月の銘があり、錦織の聖音寺の太神宮灯籠と共に、富田林市では一番古い灯籠のひとつです。
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基礎部分の四隅にかなり深くあけられた盃状穴があります。盃状穴とは「民衆のさずかり祈願」で。後の時代に子宝・安産・授かりものを祈願して民衆信仰として人為的に掘られた穴です。
平町の町中を通る旧巡礼街道の道標です。「すぐ ふじい寺 一り」
羽曳野市尺度、西浦方面に向かいますが、道幅は1m程度しかありません。
13:24 平町の旧家
敷地にある内本辰次郎顕彰碑
河内一寸空豆の改良に功績があったということで、当時の大阪府知事 赤間文三より顕彰を受けました。
7〈喜志新家 光圓寺(こうえんじ)〉真宗大谷派
大谷派東本願寺の末寺です。享保四年(1719)の真如の下付なる「親鸞画像裏書」にあるように、元和四年(1618)に新家村「惣道場」として開創されたものと考えられます。
13:43 ここは事前に本堂に参拝させていただけるようメンバーがお願いしておりました。
立派な本堂で内陣は結構広く見えます。本堂は建て直しされてまだ新しく、永代供養の地下室があります。
本尊は阿弥陀如来立像。
13:45 前住職がいろいろなお話をしてくださいました。
14:20頃 このあと帰路について、近鉄 喜志駅に到着しました。
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関連記事:【前編】2024年度第4回(通23)まち巡り「喜志七郷、七寺めぐり」2024.12 2024.12.20
とんだばやし観光会(25)
とんだばやし観光会—富田林観光ボランティア ホームページ
写真撮影:2024年12月1日
2024年12月25日 アブラコウモリH
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