2024年9月27日 動くと汗ばむ程の夏日の中、とんだばやし観光会主催で、 2024年度第4回(通算第22回) とんだばやし観光会まち巡り願昭寺「腰神神社と嬉の彼岸花」を近鉄汐ノ宮駅スタート高低差のきつい全行程約4.7㎞の道のりを散策いたしました。その状況の一部を紹介します。 2024.09.27 撮影
午前9時前 汐ノ宮駅前で参加者の受付。
9:00 第一班が汐ノ宮駅を出発。
9:10 第二班が汐ノ宮駅を出発。
荒前井堰の説明。
通りの店先に懐かしいガチャガチャ。
石川の千代田橋より上流の横山潮湧石を望みます。
横山潮沸石(溶岩の柱状節理)
逆に下流は吉野淵。カーブしたあたりが深い淵になっています。
9:30 裾野道より約600mの急勾配を登り、駅から30分ほどで願昭寺の慶照門に着きました。
見上げる慶照門。ここまでが急坂で途中の休憩をはさみ、ゼイゼイと登ってきました。
慶照門(仁王門)。ここは景色バツグン。
東南部の景色。近大病院が望めます。風が程よく通ります。
仁王さん(金剛力士像)阿形
吽形(うんぎょう)
後ろは雷神。
風神。
ここが写真映えするポイントです。巨大な建造物が続きます。
どれも大きい。
12トンもの梵鐘をもつ巨大な鐘楼(全国4位)。
参拝者は鐘を撞く事ができます。ゴォ~ンと低い音。
高さ37.3mの木造の五重塔(2011年完成、国内では10番目の高さ)。
すごいですね。錦織公園や外環などかなり遠くからでも見えます。
目白不動願昭寺。山号は淨心山、真言宗系の新宗教である八宗兼学真修教(はっしゅうけんがくしんしゅうきょう)の大本山。巨大な本堂は戦後最大規模。
樹齢800年のクスノキを一刀彫した本尊の目白不動尊。
蔵のような建物はトイレ。
すごくきれいな弁天(弁財天)さん
広大な境内。
これからは下り坂♡
第一班が参拝、散策を終えて急勾配を下山。
こちらは2班。参加者は合わせて13名
下りと言えども登りで疲れが蓄積され、足取りは重い。
第二班も参拝、散策を終えて急勾配を下山。
20分ほどでなんとか腰神神社に着きました。
腰神神社 腰の病気に効くらしい。
金胎寺山の麓、拝殿のすぐ後ろにある巨石をご神体としています。創始は大化改新(645)ころと伝わります。
建武元年(1334)楠木正成が後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の途中、馬の千早丸の腰が立たなくなり、神社の藤の木につないでおいたところ、腰が平癒したことが「腰神さん」の由来やそうです。この樹齢700年と云われる藤ノ木は「馬つなぎの藤」と呼ばれ、現在も健在です。
また、室町後期の画僧、雪舟の「道ばたに うつ蒼たるや 藤の森」の句がここで詠まれたといわれています。ええっ、雪舟も来てるんや。
境内には力石が3つのほか、西国三十三度供養塔(嬉組)が3基あります。
嬉には西国三十三度巡礼行者の講元「嬉組」があり、「御背板(オセタ)」が4つ残っています。(1基紛失)。元は金胎寺にあったもののようです。昭和40年前後にこの「オセタさん」とか「おサンドさん」とか言われた行者さんは来られなくなりました。
腰神神社の境内で説明。
①本殿がなく、ご神体が花崗岩の巨岩。②大楠公の愛馬「千早丸」の腰が立たなくなったのが平癒。樹齢700年の藤ノ木がある。③雪舟がやって来て句を詠んだ。(室町期の雪舟が江戸前期に流行した俳句を詠むのはちょっと無理があるような気がしますが...雪舟は水墨画家・禅僧で俳句は読んだ例がないと思います。)④力石が3つある。⑤西国三十三度供養塔が3基ある。⑥岩から染み出た横井戸がある。⑦境内の鳥居の前を巻井路が通る。⑨八大龍王の石碑がある。
少し歩いて、嬉の彼岸花。
「嬉」の名前の由来は藤原道長の六女嬉子(よしこ)にちなむそうですが、嬉子は従三位(正一位を追贈)にあり、19歳で亡くなっているのでこの地区との関係はよく解っていません。
河岸段丘を降ります。
二段三段にも重なる河岸段丘の美しい田園風景と地形等の説明。
ガタンゴトンと近鉄電車が通ります。後ろは和泉山脈 岩湧山897m。
田園風景が広がる嬉の田んぼ。
田んぼの畦や水路脇に植えられています。
今年は猛暑のせいで花が咲くのがだいぶん遅いようです。
畦道は通らず、広い道を通らせていただきました。
石川の上流から見た「横山潮沸石」の柱状節理。
12:00 汐の宮公園に到着、参加者はアンケート提出して解散。
超長文最後まで見ていただきありがとうございました。 2024.09.27 kusu&10.1アブラコウモリH
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