おおきくたくさん実った錦郡(にしこおり)小学校の錦郡柿。残念ながら渋柿。
富田林には91話の民話が存在します。錦織地区にもいくつもの民話がありますが、そのひとつ、『人丸柿』をご紹介いたします。内容は「和歌の上手な人丸様が一人で住んでおられ、村の人が柿をお土産に子供達を連れて和歌を習いに行く」といった民話です。
「人丸さま」 人丸さまは柿がお好き?
『人丸柿』 富田林の民話 総集編 富田林民話研究クラブ編著
内容:『和歌の上手な人丸様がひとりで住んでおられ、村の人が柿をお土産に子供たちを連れて和歌を習いに行くといった民話。
ずっと昔人丸さまという人が錦織の里に移り住んで来なさった。このお方は里の美しさに魅せられて、庵を建て毎日和歌をお詠みになっておられたが、ひとりで淋しくお暮らしの様子でした。そこで村の衆が相談して子供らに和歌の詠み方教えてもろたらどうやろかという事になりました。そして、人丸様が好きな川のほとりの大きな柿の木の実をおみやげに持って行く事になり、みなで取りに行きました。
人丸様に頼みに行くとザルいっぱいの柿に大変喜ばれて、「おー、みごとな柿じゃ。私もその柿の木を見たいものだ。みんなと見にいこう。そしてみんなに和歌の読み方を教えてあげよう。」ということになりました。』
「百人一首」より
人丸さまは万葉集にたくさんの和歌を残されました。
錦織の聖音寺 本堂には本尊で、楠木正成ゆかりの如意輪観音坐像が祭られており、通称『矢疵(やし)観音』と言われています。室町期の作品で、身代わり観音様として名高く、楠公さんが矢で射られたのを守ったという伝承があります。
そして柿本人麻呂(人丸)関わる人丸塚が境内にあります。
『矢疵観音』
一番左側が「人丸塚」
境内には金毘羅さん、稲荷さん、牛瀧さん、地蔵さん、伊勢灯籠、秋葉大権現灯籠などいろいろな祠や民衆信仰の灯籠があります。
「人丸塚」 里の人にそう呼ばれています。いつ制作されたかわかりませんが、前面に一首の和歌が記銘されています。
近鉄 長野線 滝谷不動駅から8分。旧国道170号線の錦郡小学校の急坂を登った所にあります。
聖音寺のお札「人丸の観音」とみえる。
「西国三十三所名所図会」嘉永六年(1853)にも紹介されています。
人丸柿は甘柿でしょうが、錦郡柿は渋柿。
錦織の歴史と文化が書かれている「つむぐ第3号」(錦織地区および駅前周辺まちづくり協議会・歴史と文化部会編)によると、江戸前期(1645頃)に書かれた『毛吹草』(けぶきぐさ)という書物の中で河内の名産品のひとつ「錦郡柿」(にしごりかき)について紹介されています。『人丸柿』と「錦郡柿」の関係は不明です。
「錦郡柿」は『渋柿で柿しぶを取ったり、干し柿にして食べたようです。昔は錦織のあちこちに生えていましたが、いま錦織で特定できる「錦部柿」は確認できないようでした。
そこで、「つむぐ」のメンバーのみなさんが現在特定されている河内長野市天見の「錦郡柿」の枝を所有者の許可を得て採取し、大阪府立環境農林水産総合研究所で接ぎ木して増やそうとしました。そして、2018年3月には錦郡小学校と錦郡幼稚園に復活した錦郡柿の植樹を行ったことが「つむぐ第3号」に記されています。また、2019年2月に錦織公園にも植樹されています。なお、2024年11月、現存の『錦郡柿』の写真をここに了解を頂き撮影いたしましたので紹介致します。 2024.11.20・22 撮影
錦郡小学校 案内板には2018年3月9日贈呈。
今年はたくさんの柿の実がなっていました。甘柿のように見えるが渋柿だそうです。
錦郡小学校校内プール横(東側)2024年11月22日 撮影
錦郡幼稚園 園内のビオトープの横。
すでに吊るし柿にされています。 2024年11月20日 撮影
錦織公園の「河内の里」の案内板には2019年2月吉日贈呈。
ここはまだ実が成っていません。
案内版では、なぜか1年違いで柿の実がなっていない。
錦織公園の「河内の里」の南側の丘の上 2024年11月22日 撮影
最後まで見ていただきありがとうございました。
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