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富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

葛城古道をゆく6 一言主神社と九品寺

2018年09月01日 | 歴史

 

 2018.8.21.16:16 奈良県御所市森脇

一言(いちごん)さん(一言主神社)の東、森脇地区に立派な鳥居と石灯籠がありました。

 

 16:19 鳥居を越えて参道を一言さんに向かって歩きます。

途中美しい田園風景。ここで取れるお米は吐田米(はんだまい)といって、おいしいお米やそうです。

吐田地区は旧吐田郷村(旧名柄村、豊田村、森脇村、宮戸村、西寺田村、多田村、東名柄村、増村、関屋村)で、ここで作られるお米を吐田米と呼んでいます。

品種は、アキタコマチ・コシヒカリ・ヒノヒカリで、金剛・葛城山から流れる花崗岩層で浄化された清水と上質の砂質壌土により育てられる減農薬有機米とのこと。

 きれいな景色とおいしいお米やね。

 

 16:27 一言さんの次の鳥居が見えてきました。この辺からは杉並木が続きます。

 

 16:28 鳥居の傍らに蜘蛛塚

ヤマト王権の草創期に、恭順しなかった抵抗勢力を記紀は「土蜘蛛」と呼んでいます。このあたりの抵抗勢力に関わる塚と思われます。髙天彦(たかまひこ)神社周辺にもありました。

 

16:37 参道の階段を上がると拝殿です。 

 

 16:34 案内板『貴重な遺跡』にへばりつくアマガエル

 

 16:45 葛城一言主神社 拝殿

祭神は2柱

葛城之一言主大神(かつらぎのひとことぬしのおおかみ) - 主神。

幼武尊(わかたけるのみこと) - 第21代雄略天皇。

 

 扁額には「式内大社 葛城一言主神社」と書かれています。

 『日本書紀』・『古事記』によれば、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神が現れ、「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と神力を示したということです。葛城の一言主の神の出現を天皇が体験したという内容ですね。

このため「一言(いちごん)さん」の名で親しまれ、願い事を一つだけ聞いてくれる神様として、全国にある一言主大神を祭神とする神社の総本社といわれています。

 

 樹齢1200年といわれる乳銀杏(ちちいちょう)

 

境内にある松尾芭蕉の句碑

『やまとの国を行脚して、葛城山のふもとを過るに、よもの花はさかりにて、峯々はかすみわたりたる明ぼののけしき、いとど艶なるに、彼の神のみかたちあししと、人の口さがなく世にいひつたへ侍れば、

猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔 』  

松尾芭蕉 『笈の小文』より

『笈の小文』は貞享4年(1687)10月に江戸を立ち、尾張・伊賀・伊勢・大和・紀伊を経て、須磨・明石を遊覧した時の紀行文で、松尾芭蕉著。宝永6年(1709)刊。

 

 亀石  確かに亀に見えるかも...

 

 17:20 一言さんをスタートしてしばらく歩くと、第二代 綏靖(すいぜい)天皇の葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや)趾の碑がありました。

宮の伝説地は『和名類聚抄』に見える大和国葛上(かつじょう)郡高宮郷と見られ御所市森脇周辺と推定されています。

 

 17:22 途中に楢原(ならばら)休憩所

 

 17:24 大和三山の畝傍山と耳成山がよく見えました。

 

 17:23 九品寺まであと500m 一言さんから九品寺は高低差もさほどでなく、歩きやすいです。

 

 17:28 道の脇にさりげなく...

 

 17:29 民家の石垣はやはり花崗岩だけ。

 

 17:33 そうこうしているうちに九品寺(くほんじ)

奈良時代、僧行基によって創建されたと伝えられる浄土宗の寺院です。

 

 山門前の六地蔵 1

 

  山門前の六地蔵 2

 

 横穴式石室のような祠の地蔵さん

 

本堂に至る参道 斜交(はすか)い上がるところがいいですね。

 

  「南無阿弥陀佛」六字名号碑

 

 本堂横の墓地

板碑の右の、お団子二並びのような丸い石、これなんでしょうね?山の向こうの南河内ではあまり見かけません。

 

 古そうな板碑 真ん中は「南無阿弥陀佛」の六字名号板碑

この地域によく見かけますね。

 

 畝傍山から昇る虹

 

 さりげなく三体仏

 

 お花を手向(たむ)けられた古そうな地蔵さん

 

 本堂裏に千体石仏があり、そこに至る坂道にも石仏が並んでいます。

 

 

 風化したのかもともとそうであったのか、顔立ちのよくわからないデフォルメされたような石仏群

 

 坂を登りきるといきなり小さな五輪塔群

 

 例の丸石群もありました。なんでしょね、これ。

 

 本堂の裏には圧倒的な千体石仏。

 

 九品寺は中世には御所城主楢原氏の菩提所でした。

楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、いまに伝える千体石仏だそうです。

 

 南北朝の時代なので、もうかれこれ680年ほど経っています。

 

 お二人の石仏も多く見られます。

 

 戦いに行くときの身代わりの石仏として、夫婦の石仏を納めたのでしょうか?

 

 なにかかなしい戦いを物語るようです。

 

 17:54 九品寺を少し北に行くと番水時計がありました。これは次回の葛城古道7でお話します。

 

 18:27 時間的にこれ以上先には行けないと思い、引き返し出発点に戻りました。

 雄大な夕焼け雲と虹が出迎えてくれました。

 

 18:39 振り返ると葛城の峰に、夕焼雲

 

 18:45 黄昏迫り、茜増す。

 

 18:53 赤入道と稲穂

関連記事:葛城古道をゆく1 高鴨神社の灯籠 2018.7.5.

              葛城古道をゆく2 髙天彦神社周辺 2018.7.24.

              葛城古道をゆく 3 極楽寺→南郷 2018.8.10.

                           葛城古道をゆく4 井戸、佐田地区 2018.8.18.

              葛城古道をゆく5 名柄の町 2018.8.23.

写真撮影:2018年8月21日

2018年9月2日

 


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