2024年8月23日 17:32 富田林市錦織中二丁目 泥掛け地蔵さまと脳天地蔵さま
2尊並んでおられます。左が泥掛け地蔵さま、右が脳天地蔵さま
お地蔵さまは古くから小さいお子様の守る仏さまとして、また村の入口で悪い邪気をはねのける仏さまとして、多くの方に信仰されてきました。
泥掛け地蔵さま
錦織南茶組の方々が今年も地蔵盆の供養をされています。
地蔵盆は8月23日の午後遅い目から提灯に火がともるころまでの町内の地蔵様にお供物をして祭る供養で、子どもたちが主役の夏の行事です。
錦織には8カ所にお地蔵さんがおられます。しかし次第に地蔵盆をされているところが少なくなりました。
17:51 彼方(おちかた)にも5カ所にわたり、たくさんのお地蔵さまがおられます。その内2ヶ所で地蔵盆が行なわれます。
赤い前掛けは、古くから赤には魔除けの意味があり、子どもたちを守って欲しいという願いが込められているそうです。
また奥の方に丸い石が敷き詰められていますが、これは「賽の神(さいのかみ)」さまで、村に直進して厄やはやり病を引き起こす邪気をはねのける神様です。
お地蔵さんも村を守る仏様なので、神仏二重の効果があります。ありがたいですね。
17:54 同じく寺内(てらうち)茶組のお地蔵さま
「吉野道(廿山道ともいう)」(府道202)の車の多い道にも地蔵さまがおられます。昔、大峯山に修験者が修行に行くのに、鉄道のまだなかった時代は、ここから、千早赤阪村森屋→水越峠→御所市名柄→下街道→大和下市→天川村→洞川と歩いて行き、さらにここから山上ヶ岳 大峯山寺へ行ったそうです。
「茶組」の組織が残っている地区は少なくなりましたが、錦織や彼方(おちかた)には今も残っており、飾りつけをされている方にお聞きすると「隣組」みたいな集まりやそうです。
そういや、亡くなったうちの母が戦前の昭和歌謡「隣組(とんとん とんからりと 隣組)」をよく歌っていました。
最初の部分が頭に焼き付いているのでご紹介します。
「とんとん とんからりと 隣組
格子(こうし)を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり
とんとん とんからりと 隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
御飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり
とんとん とんからりと 隣組
地震やかみなり 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり」
立像と坐像の2尊のお地蔵さまがおられます。
ここも敷石に丸石の「賽の神」さまがおられ、村が難に遭わないよう守っておられました。
18:23 彼方地区の中程にあるお地蔵さま
この時間もう供養が始まっており、みなさんお参りされていました。
お子様はおさがりを期待して、大袋を持って待っています。
地蔵盆のような古くからの風習が今も続いているのはすごいことですね。
供養が終わり、さっきまでいっぱい積んであったお供えが退かれていきます。
お地蔵さまも大変喜んでおられるようです。
ここのお地蔵さまはお子様の安全・成長や村の安全を守るだけでなく、よそから来た人々に道しるべもしているんですよ。(道標地蔵)
「さあさ、今おさがり別けますよ~♪」
子供らが大人になっても続けてほしいですね。
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太子町の泥かけ地蔵尊 2017.2.14
写真撮影:2024年8月23日
2024年8月26日 アブラコウモリH
賽の神、恥ずかしながら知らず、勉強になりました。
彼方の地蔵さん、取り上げて頂いてありがとうございます。
寺内組の寺内とは、もともと彼方にあったと伝わる蓮華心寺の敷地内を示す字名とか。また機会があれば彼方村の歴史についても取り上げて頂ければ幸いです。
お会いしたことをよく覚えています。彼方は豊かな自然、古くからの歴史、多様な文化がバランスよく維持されている魅力ある町ですね。
富田林では最近地蔵盆が祭られない町が多くなっていますが、ぜひ伝統を受け継いでいってください。
どうもありがとうございます。