嶽山(だけやま)は富田林で金胎山に次ぐ二番目に高い山で南北朝時代、元弘2年(1332年)に楠木正成が築城した嶽山城で嶽山山頂にあった、中腹に龍泉寺があることから龍泉寺城とも呼ばれている。
嶽山城(龍泉寺城)は南北朝時代、元弘2年(1332年)に楠木正成が築城し楠木七城の一つ。当初は佐備氏が守将となって防衛に当たっていたが、延元2年(1337年)激戦の末陥落、その後、奪還して、楠木正儀・和田正武が防衛していたが、正平15年(1360年)陥落。以降は河内守護畠山氏の支城となる、室町時代中期になると畠山氏のお家騒動が発生し、永正5年(1508年)廃城した。現在は城跡の辺りにかんぽの宿富田林があり、車で山頂まで登れるが、あえて、奥の谷から尾根つたいに嶽山城址を目出し何度か挑戦しました。その様子の一部を紹介いたします。
なお、挑戦は冬場がいいと思います。 2022.02.20 撮影
山奥の谷間に宝篋印塔と板碑が有ります。(滝谷不動尊と関係あるかも?)
人工的と思われるキレット。
人工的と思われる削平地。
木に目印のテープを探して登城。
目印を反れるとイバラ混じりのブッシュで前に進めない。
人工的と思われる石。
人工的と思われる削平地。
人工的と思われる削平地。(急斜面を削り平地が出来ている。)
頂上から見た風景。
嶽山城址(龍泉寺城址)到着。(スタ-トからゆっくり登って約30分。)
嶽山城址碑の横を通り過ぎて少しブッシュが有るが下山。
人工的と思われる削平地が見られる。
スタート地点に戻ってきた。(下山は20分かからなかった?)
長文最後まで見ていただきありがとうございました。 2022.02.21 kusu
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