おかげさまで、アクセス数も増え現在ランキング25、000位くらいをうろうろしています。
一応、gooブログの199万件のなかで上位3万件以内にランキングしているので、ランキング表には以下の通り、掲載されています。
27991位
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<label>訪問者</label>96 omorotondabayashiさん |
3月4日時点で27991位、訪問者数96名。トータルの訪問者ものべ12、267名に達しました。
まだ、ご紹介していない記事も多く、現在で1割程度のご紹介ですので、あと10年は掛かるかと思われます。
時々、目から涙ではなくて、目から鱗の記事を載せたいとお思いますので、これからもよろしくお願いします。
☆ 最高順位:2013.10.23.(水) 13971位 閲覧数:222件、訪問者数:113人
☆ 最高閲覧数 2013.11.27.(水) 18090位 閲覧数:352件、訪問者数:103人
寺子屋の先生の墓 --- 富田林市 平・新家町墓地
2014.2.21.8:21 富田林市 喜志新家町2丁目 平・新家墓地
六地蔵
富田林および南河内地方は六地蔵をお祀りした墓地が多いです。これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものであるようです。
二つの六字名号板碑(花崗岩製)
六字名号は「南無阿弥陀仏」。年号は彫られているが読み取れません。拓本をとらないと解りません。花崗岩の風化状態からみて、相当古いと思われます。
「 浅野先生墓 」 寺子屋の先生の墓です。筆子塚と呼んでいます。
天保五年(1834)に建てられました。
基礎部分に「 門弟中 」とあります。お弟子さん仲間が建之。
余談ですが、「建之」はどう読みますか?
→諸説ありますが、決まっていないようです。
① 「けんの」または、「けんのう」 *重箱読みです。
②「けんし」 「之」の音読みは、「し」です。 *音読み
③「これをたつ」 *訓読み 「建」と「之」の間に、返り点「レ」は省略されていますね。よって、「建之者」は「これをたつる(の)もの」
*建立(こんりゅう)は違います。→寺院や堂・塔などを建てることですよね。
「封神溝(=深溝)井路司」 ふこうどいじし と読むのでしょうか。水利関係(農業用水路)にかかわる重要な業務に関わられた方の記念碑です。
今のお墓の形態ができる前の、古いおそらく江戸時代前期以前のお墓の形態かと思われます。それぞれの村の墓地により、石の形、大きさ、数がそれぞれ若干異なります。
左側のお墓は、読み取れませんが銘が彫られているように見えます。
平・新家町墓地はこのような形態の古い墓標が現在の墓標に加えて存在します。大切にお祀りされているんですね。
形は板碑型に整えられているのでしょうか。銘は彫られていないように見えます。
古い形態のお墓は、以前に紹介した北大伴墓地・南大伴墓地などにも存在します。
一石五輪塔 一基は個人墓域の中にあります。
墓地の北側は河岸段丘の崖になっており、富田林市と羽曳野市の境界になっています。
東側は田んぼになっています。
この田んぼで弥生時代のサヌカイト製打製石器が出土します。田んぼの畦道のまわりでよく観察すると発見できます。東側の谷筋に小川があり、近鉄の線路を挟んで向こう側に喜志遺跡という石器加工の大遺跡があり、このあたりでも加工片が確認できます。
加工片は非常に鋭利で危険なため、二千年前の弥生時代においてはそこらじゅうに加工片を捨ててしまうと、足の裏に怪我をしてしまいます。よって、集落の外側に穴(土壙)を掘って埋めたりしています。現在田んぼの表土に出てくる石器片は土地が浸食されそれが流されてきたものと思われます。
土器片かと思われますが、地表にでているのでこれも流されてきたものと思われます。田んぼの北側は現在、喜志新家町の集落があり、傾斜は北へ行くほど低くなっています。ここでは、新しい土器片もいっぱい出てきます。この写真の土器片の時代は確定できませんが、形状と風化度、回りの遺跡の状況から、かなり古い時代のものと思われます。
*遺物は「古代人の落し物」になりますので、勝手に持ち帰ると法令に違反します。ながめるだけで、そっとしてやってください。
撮影:2014.2.21. 富田林市喜志新家2丁目 平・新家町墓地にて
*お墓の写真は、貴重な歴史的文化財として撮影させていただきました。
2014.3.5. (HN:アブラコウモリH )
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