アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

キリマンジャロの雪は深い

2012年08月03日 | Weblog
「キリマンジャロの雪」…1936年にアーネスト・ヘミングウェイが発表した短編小説。ちょうど、60年前の1952年に映画化された。
 「キリマンジャロの雪」というタイトルを聞いたときの、私(幼少時)の感想は、「キリマンジャロは、アフリカ大陸にある。アフリカには赤道が通っているので暑い。雪が降るはずがない」でした。そのあと、親に説明されてしぶしぶ納得しましたけどね。 子供心に、「キリマンジャロ山頂に、何を求めてか不毛の頂上を目指し登り、力尽きて死んだ豹の亡骸がある…」このエピローグが印象的でした。

 「キリマンジャロの雪」という映画が評判になっていると聞きまして、「何を今さら?60年前の映画が評判に?」と、思ったら、まったくの別物でした。こちらは、ヴィクトル・ユーゴーの長編詩をモチーフにしたもの。
 こうなると、野次馬の目(私の目です。白目に出血して赤目なのですがね)が光ります。「ヘミングウェイvs ユーゴー」。両者ともタイトルは、「キリマンジャロの雪」。何か関係があるのではないか?

 ユーゴーは、1885年に亡くなっております。ヘミングウェイは、1899年に生まれました。と、いうことは、ヘミングウェイが、ユーゴーの叙事詩を読んだと考えられます。感動したヘミングウェイは、自分の短編小説に、ユーゴーをまねて、「キリマンジャロの雪」というタイトルを付けたくてしょうがなかった。

 そこで書いた小説が…
 キリマンジャロ山のふもとで狩猟をしていた小説家が、脚の壊疽で瀕死の状態にあった。死を悟った小説家は、看護する妻の制止を振り切り自棄酒を始めた。小説家は、ヨーロッパ大陸の各所で過ごした日々を回想した。そして、最期の夢の中で大空を飛行し、キリマンジャロ山頂で力尽きて死んだ豹の亡骸を探した。

ユーゴーの長編詩をモチーフにしたという、今評判の映画のほうは…
 フランス・マルセイユの港町が舞台。造船所で働くミシェルは50代で職場の労組委員長。不況で20人の削減を受け入れざるをえなくなり、彼は全員平等のくじ引き方式を選ぶ。委員長なら自分をあらかじめ外すことができたが、彼はそうせず、結局引き当ててしまう。…そんな夫を妻は「ヒーロー」といたわる。既に自立していた子供達は、お金を寄せ合い、2人にアフリカ・キリマンジャロへの旅費と切符を贈る。「キリマンジャロの雪」の所以がここにあります。
 もっとも、ここまではストリーの入り口。思わぬ犯罪に巻き込まれれるなど、失意や怒りの連続。人間の持つ優しさや慈しみの大切さが胸にしみる映画です。

 で、キリマンジャロの雪にかかわる、「ユーゴーvsヘミングウェイ」はどうなったんだって?
 ユーゴーのテーマは、「人間の持つ優しさや慈しみの大切さ」です。ヘミングウェイもこれを書きたかった。しかし、普通に書いたのでは、パクリの汚名が…。そこで、「逆もまた真なり方式」を採用…。
 自棄酒の小説家は、看護してくれている妻に、ことごとくつらく当たりました。これは、「人間の持つ優しさや慈しみの大切さ」の補角にあるもの。小説家は自分を恥じ、そのあと、夢でキリマンジャロ山頂の豹を探し死んでいく。頂上を目指した豹は小説家自身で、山頂にあるのは、「人間の持つ優しさや慈しみの大切さ」…。

 キリマンジャロの雪、深いです。