アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

母音で感動することに文句はないが…

2012年08月24日 | Weblog
 人は感動すると「ああ」とか「おお」と声を上げ、驚いた時にも「あっ」「おっ」と声を出す。どうやら人は心が動くと、「ア・イ・ウ・エ・オ」の母音を思わず発するようである。母音は口の中の舌や歯、唇などに妨げられず、すっと声に出せるから、心の動きにぴったりくるのだろうか。

 この文章を読んで、笑い声は、感動したときに発するが、母音ではないぞと…(そんなところで対抗してどうするってがぁ?)

 笑い声は、おおむね「は行」です。
 豪快に、「はっはっはっ!」
 悪代官は、「ひっひっひ」
 ほほえましい情景を見たら、「ふふふ」
 ちょっとテレが入って、「へっへっへ」
 お上品に、「ほほほ」

 「おそ松くん」のイヤミ氏は、感動したときには、「シエーッ!」です。レレレのオジサンは、その名の通り、感動したら、「レレレ?」です。母音じゃない。

 漱石の我輩は猫である…猫を叩くと、「にゃあ」と泣くが、この「にゃあ」の品詞は何か?というくだりが出てきます。感嘆詞です。「にゃあ」は、母音ではありません。
 同じく「猫」の一節に、美学者の迷亭さんが、苦沙弥先生のお宅を訪問する前に蕎麦屋で自分の昼食用の出前を苦沙弥先生宅に届けるよう注文した。それを知った、苦沙弥先生の奥さんは、「まあ」と、言った。

 漱石は、この感嘆詞「まあ」について…
 1 これは他人の家に自分宛ての蕎麦の出前を頼む無作法に呆れ気を悪くして発した。
 2 迷亭に食事の支度をしてやらずに済んで手間が省けた事に対する嬉しさから発した。
 と、書いている。「まあ」にこれだけ深い意味があるとは…あら、まあ!

 正直言って、感動場面に発するのは母音が多いです。降参したのかって?…だから対抗していませんよ。母音だけじゃないよってことを言っているのです。

 曖昧なあいづち、「ああ」
 意外なとき、「いいっ!」
 頸動脈を圧迫されたとき、「ううっ!」
 知らされた事実にオーバーに驚く時、「ええーっ!」
 称賛したいとき、「おおーっ!」
 確かに母音ですね。えっ?母音の例の出し方に悪意が感じられるって?
 「あーあ…」(←投げやりな感動詞)