アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

おもしろい話 …聴きました

2014年03月03日 | Weblog
 高橋克彦さん本人が、ラジオで話しているのを聴きました。…おもしろかったですぅ。小説家の話って、自然にストーリーになって、オチが付く。才能と言えばそれまでですが、感心させられます。
 小説家、画家、書家…これらを名乗る資格とか、基準とかってあるのかねえ?私の場合、俳句を嗜むので、「俳家」を名乗ろうかなと言ったら、「廃屋と間違われるんじゃあ!」と家人が。まあ、その話はいいかぁ。

 橋克彦さんがラジオで話していた内容…。
 盛岡藩の御殿医の家系で、開業医の家庭に育った。お金には不自由がなかったらしい。高校生時代にヨーロッパに長期旅行した。現在66歳ですから、その年代で高校生時代にヨーロッパへ一人で長期間旅行…これだけでも、驚き。
 で、ビートルズに会った最初の日本人となった。これは、知る人ぞ知る話。そのヨーロッパ旅行中に交通事故を起こした。旅費の大半を治療費等で遣った。そのときの経験を小説化して「小説現代(講談社)」のコンテストに応募。選考で最後の30編に残ったらしいという情報をキャッチ。「審査員たちは、自分の作品を読んでくれただろう。きっと記憶にあるに違いない」と、無謀にも講談社を訪れ、編集長と面会した。
 編集長は、作品のことをよく覚えており、「今日これから、野坂昭如さんたちと飲み会がある。君も来い」と誘ってくれた。
 その飲み会のあと、編集長は、「君に大事な話がある。もう一軒行こう」と。大事な話の内容は…

 「小説家になりたいのなら、10年間何も書くな。20歳代でデビューしても、1~2作は何とかなるが、そのあと書き続けることは…」
 橋克彦さんは、編集長の言葉を忠実に守った。
 さて、10年間何をしようか考えて、「浮世絵の研究者」を選んだ。この浮世絵の研究が、1983年の江戸川乱歩賞である、「写楽殺人事件」の構想に強い影響を受けたことは言をまたない。

 江戸川乱歩賞の時、10年前の経緯…10年間書くな…を講談社の人たちに話すと、彼らも大変喜んでくれた。そして、「その編集長なら、今は部署が違うけど講談社にいるから、今、呼んでくる」と、いうことになった。
 果たして、その元編集長が現れた。開口一番…
 「オレ、みんなに10年間何も書くな。と、言ってるんだワ。理由?才能のない人に婉曲に小説家を諦めさせるにはこれが一番。オレの言いつけを守って、本当に小説家になったのは、アンタが初めてだワ!」

 おもしろかった!小説ではなく、実話ですからねえ!