アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「三」は、安定、調和なのだそうで…

2014年03月15日 | Weblog
 東日本大震災から3年。「三」という数字が脚光を浴びています。
 私の場合「三日坊主」が最初に思い浮かびます…というか、自分を象徴する言葉。 五月に3人目の孫が生まれる予定、名前は「三千世界」に綱を張るような名前がいいなあ。
 門出の「三寒四温」の候、「三顧之礼」「三拝九拝」で、有望人材が、「三三五五」集まって来るぅ…はずないか。
 「三度目の正直」「石の上にも三年」「仏の顔も三度」…これら、苦手ですねえ。我慢が嫌い。すぐに結論がほしいです。余命いくばくもないので。我慢より、「三十六計逃げるに如かず」…これがいい!いさぎよいから!

 「三位一体」…キリスト教徒の皆さんは、三位一体の本来的な意味を御存知のはず。私のような無宗教徒は、「三つの別々のものが緊密に結びつくこと」という程度の認識。現政権の三位一体はなんなんだって?「三本の矢」…が結びつくってことでしょうか。
 「居候、三杯目にはそっと出し」…現代は、なんの意味か分からない状況じゃないかなあ。「居候、当たり前です三杯目」ってところでしょう。還暦過ぎの居候が珍しくない…。近所にも、還暦を過ぎた無職の男が、90歳近い母親の年金で暮らしています。心臓が悪いので働けないんだと…。雪かきも、90歳近い母親の仕事。

 「三人寄れば文殊の知恵」…これって、三人以上なら何人でも良い。「女、三人寄れば姦しい」これも、三人以上なら何人でも姦しい。「三尺下がって師の影を踏まず」も三尺以上下がっても同じだろうって?残念でした。師には添っていなければなりません。三尺よりも下がってはいけません。

 「盗人にも三分の理」…この諺を耳にする度、ジャンバルジャンを思い出します。
「早起きは三文の徳」…耳が痛い。年をとると、いくらでも眠れるのです。
 「桃栗三年、柿八年」…桃栗は本当に「三年」で結実するのか?我が家の「枇杷」は、20年経って実をつけましたがねえ。

 私の夢は、「三面六臂の活躍」…現実は、無面無臂…それでは生きられないので一面一臂で生きてます。なお、誕生月は、三月でーす。