アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

想像力を制約しない…

2014年12月25日 | Weblog
 キリスト様もいいけど、お釈迦様もいいですよ。ムスリム?もちろんいいと思います。
 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」には大変お世話になりました。と、いうか、「蜘蛛の糸を」を話してくださる大僧正様に大変お世話になりました。「読み聞かせ」と、いうのはよく耳にします。「語り聞かせ」は…もはや少数。
 大僧正様には、子どもたちに、「蜘蛛の糸」を実演していただいていたのです。これが、「淡々とした語り口」。感情が入らない。それなのに感動を与える。どうして?
 「感情が入ると、聞き手の感性からむくむくとわき上がる想像を制約することになる。出来る限り単調に話すことが大切なのです」と…。

 おまえの目には、いったい何枚のウロコがあるんだ?!と、責められそうですが、大きなウロコが雪崩のように落ちました。幼少のころ、「ラジオ」で、「黄金孔雀城」を聴いていたことを思い出しました。実に淡々とした朗読…私の黄金孔雀城と、姉、妹の黄金孔雀城はんぜん違うモノでした。主人公の風体も全く別人。

 「感性」これこそ、内心の自由の発露。
 で、「紙芝居の読み手」なんですが…私は、淡々と感情を入れずに読むのがいいのかなと思って実践したのですが…うけない!悩みましたよ。自信があったモノですから。正直、日本で紙芝居を読ませたら上位10人には入ると自負していたのに…。それなのに、う、う、うけないっ!
 紙芝居は、「絵」を見ているモノですから、見せられるほうは想像をめぐらせなくても済む。…つまり、読み手も絵に合わせなければ感動を与えられない…。こういうことでしょうね。

 大僧正の蜘蛛の糸、よかったぁ!大僧正さんは75歳になられ、語りべを定年退職されました。蜘蛛の糸…切れてしまいました。

 それにしても…日本中、ニワトリを食ってケーキを食う…いいと思います…。