テニスにしてもサッカーにしても、
いい指導者とそうでない人の差って何だろう?
情熱?経験?理論?カリスマ性?
うーんわからない。
試合中にぼろくそに貶す指導者。
もし負けでもすれば、
特定の選手を名指しで「お前のせいで負けた」とか、
「何度教えても出来ないならもうやめちまえ!」とか、
「頭の悪いやつはスポーツをやる資格がない」とか、
そこまで言うか?という話はいくらでも聞く。
あるいは、勝負は勝たなければ意味がない、と、
「勝ちさえすれば」とか、
「勝つためには何をしてもいい」と言うようなことを、
小中学生にまで教える指導者。
こういう指導者の下でスポーツをしなければいけない、
子供たちの不幸は計り知れない。
さらにこういう指導者の教えを素直に守り?
平気で仲間を貶す子供もいる。
そしてそういう子供をしからない親。
あるいは自分の子供は一番!と言って憚らない親。
なぜ自分の子供を使わないとか試合に出さないとか、
負けたのは指導者のせいとか、
文句しか言わない親もいる。
昔、のどかな時代は、
お山の大将もいたけれど、
強者は弱者の保護は当たり前だった。
言い方を変えれば、そういう親分肌の人間しか、
お山の大将にはなれなかった。(本当?)
最近の自分さえ良ければ、
そういう考え方の蔓延が本当に腹立たしい。
前のブログに書いた、スケートの山田コーチの言葉、
(2007・10・08)
「1位をとっても嫌われる選手より、
3位や4位でもみんなに好かれる選手を育てたい」
こういう考えのコーチがいったいどれくらいいるのだろうか?
テニスにしてもサッカーにしても、
それを職業に出来る選手はほんの一握り。
それならスポーツを通して何を学ぶのか?
それの方が技術の向上よりよっぽど大事とは思う。
努力すること。精神力を高めること。
苦しい時に頑張れること。
仲間を大事にすること。
思いやりの心?
ひとつのことに集中すること。
学べることは限りなくあると思う。
そういうことを置き去りにして、
勝つことだけに執着すること。
自分のことを棚にあげて批判だけすること。
チームワークのかけらもない世界。
やっぱりそう言うことに毒されているとすれば、
本当に不幸だと思う。
いい指導者とそうでない人の差って何だろう?
情熱?経験?理論?カリスマ性?
うーんわからない。
試合中にぼろくそに貶す指導者。
もし負けでもすれば、
特定の選手を名指しで「お前のせいで負けた」とか、
「何度教えても出来ないならもうやめちまえ!」とか、
「頭の悪いやつはスポーツをやる資格がない」とか、
そこまで言うか?という話はいくらでも聞く。
あるいは、勝負は勝たなければ意味がない、と、
「勝ちさえすれば」とか、
「勝つためには何をしてもいい」と言うようなことを、
小中学生にまで教える指導者。
こういう指導者の下でスポーツをしなければいけない、
子供たちの不幸は計り知れない。
さらにこういう指導者の教えを素直に守り?
平気で仲間を貶す子供もいる。
そしてそういう子供をしからない親。
あるいは自分の子供は一番!と言って憚らない親。
なぜ自分の子供を使わないとか試合に出さないとか、
負けたのは指導者のせいとか、
文句しか言わない親もいる。
昔、のどかな時代は、
お山の大将もいたけれど、
強者は弱者の保護は当たり前だった。
言い方を変えれば、そういう親分肌の人間しか、
お山の大将にはなれなかった。(本当?)
最近の自分さえ良ければ、
そういう考え方の蔓延が本当に腹立たしい。
前のブログに書いた、スケートの山田コーチの言葉、
(2007・10・08)
「1位をとっても嫌われる選手より、
3位や4位でもみんなに好かれる選手を育てたい」
こういう考えのコーチがいったいどれくらいいるのだろうか?
テニスにしてもサッカーにしても、
それを職業に出来る選手はほんの一握り。
それならスポーツを通して何を学ぶのか?
それの方が技術の向上よりよっぽど大事とは思う。
努力すること。精神力を高めること。
苦しい時に頑張れること。
仲間を大事にすること。
思いやりの心?
ひとつのことに集中すること。
学べることは限りなくあると思う。
そういうことを置き去りにして、
勝つことだけに執着すること。
自分のことを棚にあげて批判だけすること。
チームワークのかけらもない世界。
やっぱりそう言うことに毒されているとすれば、
本当に不幸だと思う。