年末に取り寄せた「くらづくり本舗」のお菓子。
これを知ったのは何かの番組でオードリーの春日の紹介だったと記憶している。
そんな「くらづくり本舗」のサイトから購入した自宅用の詰め合わせは、
いろんなお菓子が楽しめるお得なセットだった。
年末に取り寄せた「くらづくり本舗」のお菓子。
これを知ったのは何かの番組でオードリーの春日の紹介だったと記憶している。
そんな「くらづくり本舗」のサイトから購入した自宅用の詰め合わせは、
いろんなお菓子が楽しめるお得なセットだった。
ダヴィンチによる施術で削孔する場所と体位
7月に職場の健康診断を受けた時、GFRの数値が低かったので、
再検査を受けるために近くの泌尿器科を受診した。
そのときの先生いわく、「そんなに神経質になるような数字じゃない」と言われ、
加齢から来る数値の低下がなだらかになるように薬を出してくれた。
それから2カ月ほどして「前立腺の検査をしたことがありますか?」と聞かれ、
「ない!」と答えると、それでは「血液を採って調べてみようかね」と
軽い気持ちで採血をして帰った翌日に先生から電話が掛かって来て、
「PSAの数値が高いから、慢性腎臓病よりも前立腺の方が心配」と告げられ、
仕事帰りに病院に行き、エコー検査と触診を受けると、
「これはかなり怪しいよ。」
「これを持って行って、ちゃんと調べてもらいなさい」と紹介状を渡してくれた。
この紹介状を持って行った病院では採血、レントゲン検査、心電図、エコー検査を行い、
次回のMRIと前立腺生検を予約して帰った。
そして前立腺生検では14か所から採取した。
一週間後にその結果を聞きに行くと、「5か所で癌の細胞がありました。」と言われた時、
一番心配だったのは「他に転移していないか」だった。
それでそれを調べるために骨シンチレーションとCT造影の予約を入れて帰った。
その結果、骨には転移していなかったので、
気持ちは年内に(去年の内に手術を)という思いが強かったが、
11月は息子の結婚式があり、12月は母の三十三回忌があったので、
1月4日に採血、心臓カテーテル検査、心エコー、レントゲン検査、心電図で心臓の検査をして
13日に入院して14日手術へと臨んだが、
1月5日の明け方に被せていた銀歯が取れた夢を見た。
その夢があまりにもリアルで胸騒ぎのするものだった。
昔、一度だけ歯がぞろりと抜けた夢を見た5日後に父が死んだ。
そのことが迷信に思えなくて、今度は自分の番かもしれない?と思っていただけに、
今回の入院はその前の伏線からも覚悟を持った入院となった。
そんなこんなで手術の前は不安だったが、手術室に入る時は何故か落ち着いていて、
「先生にすべてを委ねよう」という、そんな気持ちだったが、
手術台に横になって余計なことを考える暇もないうちに麻酔が効いた。
夢の中で遠くから名前を呼ばれているような感じで、
「無事手術が終りましたから起きて下さい」という言葉を聞いた。
11時30分から16時30分まで、5時間におよぶ大手術だった。
それからストレッチャーでHCU(高度医療室)へ移動するときには
身体が寒くて震えが止まらなかった。
そこで「寒い。寒い」と訴えると毛布を掛けてくれ、寒さは収まったが、
今度は両手の点滴と脇腹から出たドレーンという排液用チューブと
膀胱留置カテーテルの管に加え、胸に心電図ホルダーと
背中に痛み止めの管が入っていたので、
ベッドの上でじっとしていなければならないのが苦痛だった。
ただ、足首は動いたのでひたすら ” アクセル運動 ” を繰り返していた。
そんなHCUから翌日一般病棟に移った時は状況は変わらないにしても、
テレビがあるだけで随分と気が紛れた。
13日の午後から絶食、15日から飲水OKになり、
16日の夕方から飲水のみから五分粥へと移行したが、
15日から ” みぞおち ” あたりがキリキリと痛くなった。
それが2、3日続いたが、粥を食べる頃にはその痛みも和らいで行った。
かなりの小食だったが点滴をしているからか?不思議と腹が減らなかった。
少しずつ点滴棒を持って身体を動かし歩行などを行ったが、
病棟の中を歩いていると入院患者の多さに驚かされた。
入院しない限りこのような光景を見ることは無いが、
健康の有難さや普通に生活できることがいかに有難いかを強く感じた。
今は腹に開けられた6か所の削孔跡が完全に治るのを待つばかりである。
そうそう、この全摘除術に関係しているのかどうかは分からないが、
今までひどい腰痛や坐骨神経痛に悩まされてきたが、
術後はまったく気にならなくなった。
「ひょっとして癌が悪さしていたのかもしれない」と思っている。
以前テレビでよくCMしていた(せんちゅうくん)による線虫検査。
「尿で癌が早期発見できたなら」と思い
一昨年の11月に尿を検査機関に提出した結果、
上の写真のような低リスクと判定された。
それで「自分は癌にかかり難い」と、スッカリ安心しきっていた。
ところが昨年の11月にかかりつけの病院で癌が判明した。
その言葉に「嘘やろ~。これは何かの間違い」だと思った。
1年前の線虫検査では大丈夫だった自分が、
まさか癌になっているなんて思いもしなかっただけに
そのショックはかなり大きかった。
だが、癌になってしまった事を悔やむより
「これから一日も早くこの癌を治すことに全力で挑もう」
そして「身体に害がある物は全て取り除こう」と強く思い、
13日から癌の全摘除術の入院生活が始まった。
11日の鏡開きの後に「ぜんざい」を食べた。
日ごろ餅を食べることはほとんどないが、
毎年この日は「ぜんざい」を食べることにしている。
たまに食べる「ぜんざい」は旨かった。
10日の朝の道路状況
9日の降雪状況
10日の雪景色
北部九州で9日から10日にかけて雪が降った。
雪が少なく、雪に慣れない九州ではノロノロ運転で
いたるところで渋滞が起きていた。
それでも雪を見ると子どものようにワクワクするものである。
水車とウォーターパール
ウォーターパール
トンネルの突き当りの「切羽」部分
去年の11月の半ばに訪れた「高森湧水トンネル」
1カ月半くらい前のことが年が明けたので随分も前のことのように思える。
トンネルの中はクリスマスを意識してネオンがいっぱいあった。
そういえばその前は七夕飾りがあったような記憶が・・・
そんなわけで、題材があまり古くならないうちにアップした。
鳥居と鳥居の間に平成筑豊鉄道の線路が敷かれている八幡神社
左右が違う狛犬
逆さになった口を開けた狛犬
口を閉じた左の狛犬
平成筑豊鉄道の線路
鳥居のそばや拝殿の手前に、まるで番犬のように置かれている狛犬の像。
通常、左右一対を合わせて「狛犬」と称するらしいが、
向かって右側は「獅子」であると言われている。
多くは、まるで咆哮するかのように口を大きく開けた姿で造られる。
これは阿吽の「阿形」とされ、
口を閉じている左側(狛犬と呼ぶ)の像と合わせて「阿吽」を表現している。
初日の出が差し込んで明るく照らした中庭
水神様の飾り餅と御神酒が初日の出を受ける
今朝からブログが開けずにいたので今日のアップを諦めていたが、
先ほど「繋がらないだろう」と試しに開いたら繋がった。
新年早々閲覧を楽しみにしている人はガッカリしただろうな。
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
昨夜は遅くまで起きていたが、
今朝もいつもと変わらず4時前に起きてムサシの散歩に行って来た。
さすがに誰ひとり歩いている人も車もおらず、シーンとした静かな朝だった。
今日の昼は「年越しそば」にした。
あとは「お節料理」などを食べながらオートレースの「スーパースター王座決定戦」と
競艇の「クイーンズクライマックス」を観戦しよう。
個人的には毎年のことではあるが、今年もあまり良い年ではなかった。
そんななか一番思い出に残っているのは「こころ旅」の火野正平さんが亡くなったことだ。
去年は伊集院 静さんが亡くなり、今年は火野正平さんだ。
来年は去年や今年よりも悲しい年にならないことを願いながら年越しそばを食べた。
新年を迎える準備が整った玄関
来年の干支のヘビの置物
今朝早くから正月を迎える準備をした。
神棚や仏壇を掃除してお札を新しいものに替え、しめ縄を張り替えて、
床の間や玄関。そして水神さんなどに飾り餅を飾り、
玄関にしめ飾りを吊るして正月を迎える準備が整った。
あとは餅がつき上がったら取りに行き、
モーニングジャムで注文していた「お節料理」と、
ネットで注文していた鰤王が届くのを待つだけだ。
ホルモン焼きそば定食
平成筑豊鉄道の金田駅の近くにある「ゆうざき」
以前、NHKの「筑豊きらり」という番組で紹介されたホルモン焼きそば。
一度食べてみたいと思っていたが、土日が休みなのでなかなか行けなかった。
それで平日の27日に行って来た。
迷わず「ホルモン焼きそば定食」を注文すると、
想像以上に美味しくて感動ものだった。
仕事がカレンダー通りなので、なかなか食べに行くことはできないが、
「何度でも食べたい」と思わせた。
先ほどの天気予報で言っていたが
今朝の最低気温がマイナス1.6度だったそうだ。
どおりで寒いと思った。
暑いよりはこのくらい寒い方が好きだから苦にならない。
雪の白も良いが、びっしりと降りた一面の霜も良い。
平尾台方を背に虹が出ていた。
おそらく雨が降って来るだろうと予測できる空模様だった。
そんな今日は母の三十三回忌の法事をおこなった。
11月の半ばに南阿蘇から高森へと向かったとき、
高森駅にあるone-piece像「フランキー」のもとを再び訪れた。
あか牛丼の「やま康」に行く前の時間調整のためだったが、
久し振りに見るフランキーは相変わらず迫力があった。