「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宜野座村 「 漢那グスクからの眺望 」

2014-02-28 05:22:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



沖縄県宜野座村 「 漢那グスクからの眺望 」








福地川と漢那ビーチを望む







遥か向うに薄っすらと伊計島や宮城島が見える









今まで何度もこのグスクを訪れているが、
グスクの頂部に上がれるとは思わなかった。
頂部への取り付け道路が出来、頂部には展望所も造られていた。
グスク本来の姿を変えるが、ここから見る宜野座の海もいいものである。



沖縄県宜野座村 「 漢那グスク 」

2014-02-28 05:21:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



漢那グスクの全景







グスク下にある 「 漢那グスクの説明版 」






人工的に造った頂部展望台の石積み












S字になった頂部下の石垣






漢那グスクからの眺望 ( 漢那ビーチ )




漢那グスクは、宜野座村物産館 「 未来ぎのざ 」 の駐車場横にある山のグスクである。
拝所などの聖域でもなく、住居跡であったと思われるが、それ以上のことは分からない。

今まで整備されていなかった漢那グスクが変わっていた。
何気に見上げた漢那グスクの頂部に石垣が築かれていた。
こうして見るのは初めてだったので、すごく興奮したし、
「 今まで気づかなかったのか 」 という戸惑いもあった。
慌てて車を引き返し、漢那グスクの頂部へ通じる道を探した。
そこで目にしたのは、頂部を開拓して造られていた展望所だ。
1月に探訪した時は工事中だったので、
こうした石積みに気付かなかったのは当然である。
整備され頂部まで行けるようになったのは嬉しかったが、
整備せずに手付かずのグスクでいて欲しかったという思いもある。


漢那グスクへのアクセス
漢那グスクへは、国道329号線を北上し、宜野座村の入り口にある「未来ぎのざ」の
手前の福地川の横にある山が漢那グスクである。
駐車は、「未来ぎのざ」の駐車場(無料)が利用できる。


「 九州地方の色んなお菓子 」

2014-02-28 05:20:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子


八女茶が入った 「 茶 露 」







周りをチョコでコーティングしたカステラ「しょこらぁ~と」






















いろんな場所に行くと、そこでしか買えないお菓子や
目新しいモノがあると買って帰る。
特に高速のSAやPAなどでカゴに 「 ほいっ! 」 と入れるのである。

先日、長崎市の白水堂の 「 桃カステラ 」 は紹介したが、
他のお菓子は食べてすぐに掲載して感想を書けばよかったのだが、
しばらく経ってからの曖昧な感想ではお菓子に申し訳なくて、
そのままお蔵入りすることが多い。

それでも写真だけでも紹介して日の目を見てもらおうと、
遅ればせながら最近のモノを掲載したわけである。


写真は長崎に行った時に長崎や、その途中で買ったものである。


「 個人の尊厳と介護保険制度 」

2014-02-28 05:19:41 | 介護関係
高齢者の尊厳と介護保険制度


介護保険制度の目的は、要介護・要支援状態になっても、
高齢者が出来る限り自立した生活を送れるようにその自立を支援し、
高齢者の尊厳のある暮らしの実現を支援するものである。

1 高齢者の選択による利用者本位の制度
2 自立を支援する保健医療・福祉サービスの提供
3 介護支援専門員による支援
4 地域包括ケアの推進



介護保険法の目的


介護保険法 ( 目的 )
第1条

この法律は加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、
入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに
看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、
これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、
必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、
国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、
その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、
もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。


介護保険法
第76条第6項

指定居宅サービス事業者は、要介護者の人格を尊重するとともに、
この法律又はこの法律に基づく命令を遵守し、
要介護者のため忠実にその職務を遂行しなければならない。

要は、要介護者の人格を尊重し、高齢者の尊厳を損なわないようにすることである。


長崎市 ・ 唐人屋敷跡四堂めぐり 「 観音堂 」

2014-02-27 06:28:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



長崎市唐人屋敷跡 「 観音堂 」







堂内の向かって右側に飾られている 慈悲深い仏さまの 「 観音菩薩 」







堂内の向かって左側には商売繁盛の神様 「 関 帝 」 が飾られている













瓢箪池に架かる太鼓橋






瓢箪池の奥の石には文字が刻まれている






当時の面影を残すアーチ門










瓢箪池の奥の石の刻字で 「 元文2年(1737)… 」 に福建省出身の
唐船主によって建立されたと思われる。
天明4年(1784)に焼失し、1787年(天明7)に再建され、その後、数回の改修があった。
現存する建物は、大正6年(1917)に、華商の鄭永超が改築したもの。
基壇には 「 合端 ( あいば ) 積み 」 の石積技法が見られ、沖縄的な要素もうかがえる。
本堂には観世音菩薩と関帝が祀られており、
観世音菩薩は中国民衆に、慈悲深い神として慕われている菩薩である。
関帝は商売繁盛の神さまとして信仰の対象となっている。
入口のアーチ型石門は唐人屋敷時代のものと言われている。



鹿児島県奄美大島 「 皆津埼灯台 」

2014-02-27 06:27:41 | 奄美群島の灯台



山の頂部に立つ円筒の灯台







朝陽を受けて山も灯台も朱に染まる






平均水面から灯火までの高さは約103mある






左の山の継ぎ目から上に登る階段がある






皆津埼の下のは大きな岩山が点在する





灯台表番号 / 6955
ふりがな / かいつさきとうだい
標識名称 / 皆津埼灯台
所在地 / 鹿児島県大島郡瀬戸内町 ( 皆津埼 )
北緯 / 28-06-41
東経 / 129-22-40
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎6秒に1閃光
光度 / 実効光度 8,400カンデラ
光達距離 / 13.5海里
地上~頂部の高さ / 8.31m
平均水面上~灯火の高さ / 102.57m 
地上~灯火の高さ / 7.77m
業務開始年月日 / 昭和34年1月10日
現用灯器 / H型点灯制御装置 ( S型 )



皆津埼灯台は、奄美大島の南端の皆津崎の山の頂部に立つ灯台である。
場所的に陸地からの探訪は困難であり、一度海岸沿いからチャレンジしてみたが
とても灯台まで行ける状態でも距離でもなかった。
灯台自体の初点は昭和34年1月10日で、灯台の高さは8.3mとなっている。
灯質は単閃白光で毎6秒に1閃光の灯器を備えている。
瀬渡しは小型船外機で時化ていない満潮時に限られるので、灯台までの道程は厳しい。


皆津埼灯台へのアクセス
皆津埼灯台へは、古仁屋港から海上タクシーで瀬渡しをしてもらうしか手立ては無い。
ただ、海が荒れている時や、満潮時以外は瀬に近づけないので上陸は限られている。



北九州市若松区 「 セム1石炭車 」

2014-02-27 06:26:41 | 近代化産業遺産・土木遺産








































直方石炭資料館にある 「 C11131 」






直方石炭資料館にある 「 セム1208 」






田川石炭歴史博物館にある 「 9600型・59684号 」
















若松駅の改札口横に、セム1形 セム1000が置かれている。
同形式のセム1形が、直方の石炭記念館に残っているが、
これは炭箱が全鋼製で空気ブレーキ付である。
若松駅のセム1形は、炭箱上半が木板で空気ブレーキなし(貫通管のみ)である。

大牟田の三池鉄道でも溢れかえるほどいた石炭車は、今では解体され1輌も現存していない。
ここ若松や直方、そして田川市石炭・歴史博物館にあるセ1208などは、
往時の石炭産業華やかなりし頃を偲ぶことができる貴重な車輌達である。
 
写真の80周年の石碑にもあるように、
この若松駅のセム1形 セム1000の番号は、
「 昭和47年12月1日に日本最初の石炭車を復元した 」 という記録が残っている。
当時、創立80周年を迎えた若松工場は、その創業目的が石炭車の修繕にあったことから、
記念としてセム1形を構内に永久保存したのではないかと思われる。




「 ノーマライゼーション と( バリアフリーとユニバーサルデザイン )」

2014-02-27 06:25:41 | 介護関係
当たり前が当たり前に出来ることに感謝


ノーマライゼーションの思想は、人間の尊厳を基本としているのである。
現在では、ノーマライゼーションは障がい者に限らず、高齢者や病気など、
何らかのハンディキャップを負った人にまでその対象が拡大され、
これらの人々が普通の人と同じように生活できるようにして行くことを意味するものである。



バリアフリーとユニバーサルデザイン


ノーマライゼーションを実現するためには、
介護などの日常生活の支援だけではなく、
建物や鉄道・バスなどの交通機関のバリアフリー化、障がい者や高齢者を支援する施設を
町中に造るといった街づくり、さらには成年後見などによる意思表示の支援など、
ハンディキャップを負った人々の生活に関するあらゆる場面で、
ノーマライゼーションの考え方が活かされるようにしなければならない。

バリアフリーという言葉は、物理的障害だけではなく、
高齢者や障がい者が支援なく自立した日常生活や社会生活を送れるように、
心理的、社会的、制度的障害、さらには情報の障害など、
すべての障害を除去するという、より広い意味を持っている。

ユニバーサルデザインは、障害の有無、年齢、性別、人種などにかかわらず、
多様な人が快適に利用できるデザインのことを言うものである。

1 誰にでも公平に利用できる。
2 使用するうえで柔軟性に富んでいる。
3 使い方が簡単で解かりやすい。
4 必要な情報がすぐに理解できる。
5 単純なミスが危険につながらない。
6 身体的負担が少ない。
7 接近して使える寸法や空間になっている。

以上の7つの条件を原則として定められたものでなければならない。


北九州市若松区・戸畑区 「 北九州のシンボル ・ 若戸大橋 」

2014-02-26 06:29:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



「 北九州のシンボル ・ 若戸大橋 」




















































若松側の橋脚の近くにある建設中に犠牲になった人の 「 慰霊碑 」







戸畑側の橋脚の近くにある 「 日時計 」









写真と動画は、去年の12月に若戸大橋の下を若戸渡船で通った時のモノだが、
沖縄や熊本や長崎に行ったので、若戸大橋のことをスッカリ忘れていた。
他にもたくさん紹介したい写真や動画があるけれど、
今は工期に追われる現場の仕事と介護の勉強が忙しくて、
なかなか捌けないないでいる。

若戸大橋の詳細は貼り付けになるが、そこのところはご了承願いたい。


若戸大橋(わかとおおはし)は、福岡県北九州市の洞海湾にかかる戸畑区と若松区を結ぶ橋である。
また日本道路公団が建設し、北九州市道路公社が管理する有料道路の名称でもある。
現在は全線が国道199号に属する。

日本における長大橋の始まりであり、建設当時は東洋一の吊り橋であった。

2012年現在、ETCは北九州高速道路への乗り継ぎの場合のみ利用可能である。


若戸大橋は開通当初2車線で、戸畑橋台から若松橋台までの区間の車道外側には歩道が設置されており、
歩行者のほか自転車と原動機付自転車が利用できた。
橋台内部に設置された客用エレベータにより昇降し、車と反対の右側を一方通行した。

橋台上の歩道始点と終点には西鉄バスと北九州市営バスの
バス停(若松橋台バス停、戸畑橋台バス停)が設置され、若戸大橋を渡る路線バスが停車した。
また、橋台最上部に展望台が設けられ、歩道から階段で登ることができた。

開通当初はすべて有料(原動機付自転車は車道利用の料金と同額)であったが、
1971年2月1日から歩行者のみ無料となった
(このとき海門橋、銚子大橋、尾道大橋、音戸大橋、関門トンネル、天草五橋でも人が無料になった。)。

渋滞対策のため歩道を車道にして4車線化することになり、1987年5月に歩道は廃止され、
客用エレベータと展望台も撤去された。
なお、取り付け道路部分の拡張については、若松側、戸畑側とも現道の北側に平行して道路を建設し、
4車線化後は現道が下り車線、新道が上り車線となった。



熊本県美里町 「 阿芹場 ( あせりば ) 橋 」

2014-02-26 06:28:41 | 熊本の石橋
































所在地 / 熊本県美里町洞岳
架橋 / 天保3年 ( 1832年 )
石工 / 不明
長さ / 9.8m
幅  / 1.82m  高さ / 4.5m


阿芹場橋は、目丸往還沿いの小さな渓流に架かる橋で、昭和57年の水害で崩壊し、
昭和62年に復元された。周囲一帯は自然散策のスポットとして人気なだけに、
森の緑に映えて美しい姿を見せている。


阿芹場橋へのアクセス
阿芹場橋へは、松橋インターより国道218号線を山都町方面に進み、
途中から県道153号線へと入る。
緑川ダムの向こう側の洞岳(ほらおか)集落を出た山出橋の左下に架かっている。
駐車は、橋の近くの路上の広くなった場所に駐車した。



「 自立と共生、そしてエンパワメント 」

2014-02-26 06:27:41 | 介護関係
自立と共生



自立が個人として尊重することを基本とすると言っても、
それは、個人が社会から孤立して生きることを意味するものではない。
人間は社会の中で他者と共に生きて行く社会的存在である。
自立と言っても、それは他者との共生のなかでの自立を意味するものである。

要介護高齢者のように身体の機能が低下し、
自分の力だけでは自立した日常生活が送ることが困難な場合には、
社会が必要な援助を行い、日常生活の自立を支援することが必要になる。
これによって、その高齢者は人格的自立を獲得し、
自らの望みを実現しながら生きることが出来るようになる。



エンパワメント



ひと口に高齢者と言っても、実際の高齢者はさまざまな事情を抱え、
さまざまな考え方を持っている。
高齢者の自立と言っても、その前提となる高齢者像は多様である。
したがって、自立の在り方も多様なものになる。

このことを理解したうえで、出来る限り一人ひとりの高齢者が
その生活の在り方を自ら決定できるように支援することが 「 自立支援 」 なのである。

自立支援の考え方をさらに進め、利用者自身の力 ( パワー ) に着目した支援方法を
” エンパワメント ” という。
エンパワメントとは、利用者が個別援助計画に掲げられた生活目標を達成に向かう
課題解決過程で、自ら身体的・心理的・社会的な力を獲得していくことを言う。

自立支援にあたっては、常にエンパワメントの視点を持たなければならない。




長崎市 ・ 長崎ランタンフェスティバルの 「 双龍盤柱 」

2014-02-26 06:26:41 | 日記 ・ イベント













龍とは中国人が自ら造り出した理想的な動物の形である。
「 中国人の間で縁起の良い 」 とされるものの中で、
龍は最も代表的な最高のおめでたい神のようなものである。
昇天する2匹の龍のオブジェは高さ約8メートルある。

字が小さいですが、詳細は上の写真の説明版をご覧になって下さい。




「 老いることは、生きること 」  自立の考え方。

2014-02-25 21:48:41 | 介護関係
介護保険制度や成年後見制度


高齢になると、足腰が弱って自由に活動できなくなったり、
自分一人では十分な判断が出来なくなったりするため、
自分の望むような生活を送ることが困難になる。
その結果、高齢者の自立が損なわれ、
ひいては人間としての尊厳が脅かされることにもなりかねない。

このように高齢期になると心身の機能が低下するため、
高齢者が自立した生活を送るためには、
個人の努力だけでは限界があり、高齢社が望むような生活を送れるようにするための
社会的な支援が必要となる。
この自立支援のための社会制度として、介護保険制度や成年後見制度などがある。



自立を基本とすることは、個人の 「 尊 厳 」 を基本とすることだ。


自立には、人格的自立だけではなく、経済的自立、社会生活における自立、
日常生活における自立などがある。

そして、 「 自立 」 と言う考え方の基本には、個人を尊重する考え方がある。
社会における価値の根源は個人にあると考え、
何よりも個人を尊重する考え方を 「 個人主義 」 と言い、
これを基本として、他者との関係に着目して表現したのが 「 自立 」 である。

つまり、自立を基本とすると言うことは、個人の尊厳を基本とすることである。



長崎市 ・ 唐人屋敷跡四堂めぐり  「 土神堂( どじんどう ) 」

2014-02-25 06:37:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



屋根瓦が反り返った 「 土神堂 」








堂内に祭られている 「 土神さま 」














福の字が焼かれた軒丸瓦







方形屋根の中央に 「 火事除け 」 の水甕が乗っている











土神堂は、元禄4年(1691)土神を祀る石殿を建立したいという
唐船の船主らの願いが許され建立された。
天明4年(1784)の大火で焼失したが、興福寺などの唐三か寺や華僑たちによって復旧され、
その後も数度にわたり華僑たちによって改修されたが、
昭和25年(1950)老朽化および原爆の被害を受け石殿だけを残し解体される。
現在の建物は、昭和52年(1977)に長崎市が復元工事した土神堂である。

反り返った屋根の正門、堂、また、敷地内の石橋が独特の雰囲気を醸し出している。

「土神」とは「福徳正神」ともいわれ、土地や家を守り、
豊作の神様として中国では古くから広く民衆の間で信仰されてきた。
元禄2年(1689)唐人某が夢のなかで土公神を見て、
その像を唐土で刻ませ舶載したものを、
唐人屋敷内の石祠に祀ったのが始まりといわれている。

土神堂前の広場では、土神さまの誕生日である2月2日にお祭りが開かれ、
舞台を仮設し、唐人踊りや劇などが催されていた。
また、長崎のお墓には、墓の横に土神と書かれた小さな石碑が建っているのを見かける。
これは中国の土神信仰の慣わしが、長崎の風習に根付いたものだと考えられる。


※ 唐三か寺 ( 興福寺 ・ 福済寺 ・ 崇福寺 )


長崎市唐人屋敷跡 「 赤い蝋燭の四堂めぐり 」

2014-02-25 06:36:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



赤いロウソクは祈願のロウソク







七枚下がった札は、「 初七日 」 を意味する






堂の入り口でロウソクを買って巡る




赤い蝋燭を買って四堂をめぐると、願いが叶うとされ、
七枚下がったお札は、初七日を意味し、極楽浄土へお導きだと言われている。
この後の 「 土神堂 」 を皮切りに随時、四堂めぐりの堂を紹介して行きたいと思っている。