伊田駅駐車場から見える三井田川炭鉱の大煙突と伊田第一竪坑櫓
レトロ調の伊田駅舎
田川市に行くとあちこちで炭坑遺産を目にする。
それだけ近代日本の石炭産業を担っていた。
伊田駅駐車場から見える三井田川炭鉱の大煙突と伊田第一竪坑櫓
レトロ調の伊田駅舎
田川市に行くとあちこちで炭坑遺産を目にする。
それだけ近代日本の石炭産業を担っていた。
金田駅を出発する「黒銀KUROGINサイクルトレイン」
金田駅の駅舎前に停車するへいちく列車
臙脂色の「ことこと列車」
自転車と一緒に乗れる「黒銀KUROGINサイクルトレイン」が
NHK北九州放送局の「筑豊きらり」のなかで紹介された。
13両を保有する平成ちくほう鉄道の新たな列車であるが、
この黒銀が見れる確率が13分の1になる。
この日は「運よく観れればいいな」と思いながら高架橋を上ると
黒銀が丁度ホームから出て行くところだった。
停車中の姿はカメラに収められなかったが、
走行中が写せただけでも良しとせねばならないが、
この日に限ってレンズが200mmだったのが悔やまれる。
黒銀は平成筑豊鉄道で自転車ラックを搭載した初めての車両で、
501号車(へいちく浪漫号)を改造して誕生した。
座席はロングシートと折り畳み式座席が7席あり、定員は117人で、
折り畳み座席は未使用時に自転車ラックとなり、
5台の自転車を載せることができます。
デザインコンセプトは半世紀前までこの地域の発展の原動力だった”石炭”。
「黒銀(KU RO GI N)」はそんな石炭の中で
最も純度が高い表面がキラキラと輝く”無煙炭”をイメージしたものである。
石炭はかつて”黒いダイヤ”とも言われていたことから
ロゴマークをはじめ”菱形”をあしらったデザインと
エクステリア・インテリア共に黒色と銀色が主役の車両は
沿線の新たな発展の原動力として、
これから輝きながら人と地域をつないで行くことだろう。
人吉駅に停車する「SL人吉」
人吉駅
人吉駅前の汽車弁当
一勝地駅
一勝地駅のホームで停車するSL人吉
一勝地駅に停車するSL人吉
坂本駅舎
熊本駅旧駅舎
熊本駅に停車する肥後大津行きの普通列車とSL人吉
熊本駅に停車する「あそボーイ号」
以前、熊本駅から人吉駅まで「SL人吉」に乗って旅をしたことがある。
そんなことを思い出したSL人吉のラストランだった。
JR九州の観光列車「SL人吉」は23日が最後の営業運転となり、
駅や沿線にはラストランを見に多くの人が集まって引退を惜しんだ。
2009年に運行を始めた「SL人吉」はこれまでに延べ41万4000人が乗車し、
人気を集めてきたが、完成から100年を超えた機関車の老朽化が著しく、
23日が最後の営業運転となった。
ふだんは鹿児島本線の熊本駅と佐賀県の鳥栖駅の間で運行されているが、
23日は、熊本駅と博多駅の間で特別運行された。
午前中、熊本駅から博多駅に向かう列車が運行されたあと、
午後、博多駅を出発し、熊本駅に向かう列車が運行されラストランで終えた。
大分県中津市が生んだ偉人「福沢諭吉」。
その肖像画が一万円札になっていたが、7月で新札に入れ替わる。
名残惜しさも含めて中津駅の壁にタイルで描かれ、
今週その姿がお披露目された。
汽車倶楽部は、実物の鉄道車両や設備、
及び映像、写真、音源、書籍資料などの鉄道に係わる有形および無形物を
「鉄道文化財」として位置付け、
これらを次の世代へ引き継ぎ 伝えていくために
収集・整理・修復・保存する活動を行っている団体である。
現在は、敷地内に9600形59647号機、
C61形18号機(前頭部)を静態保存、
平成29年3月には行橋市よりD51形10号機を移設、
現在も修復作業を行っており、
更に、令和2年11月には熊本県高森町よりC12形241号機を移設している。
以前掲載した吹谷川橋梁は二月谷川橋梁だったので、
訂正して掲載し直した。
この場所もなかなか探し出せなかった。
それで諦めかけていたが、「もう一度!」と思って歩いた。
橋梁は二基あったが、
南側のもう一基は上部はコンクリートで補強されていた。
京都郡みやこ町犀川花熊
橋幅:4.22m
径間:1.84m
拱矢:0.92m
架設:明治28年(1895)頃
平成筑豊鉄道田川線
1968年製造の車掌車「ヨ9001」
高速貨物列車用の車掌車として、
100km/hr走行の目標に国鉄が開発、試作したもの。
高速用1軸台車を2つ持つ2軸車で、
軸の支持方式に1枚板バネ支持方式を採用し、
種々の試験が行われた。
全長6.18m×全幅2.67m×全高3.63m。自重9.9t。
この車掌車があるのは、
「源じいの森キャンプ場」の入り口に展示されている。
アルコ22号機関車
形式番号22、軸配列C
最大長8,623ミリメートル、最大幅2,432ミリメートル、最大高3,110ミリメートル
重さ (運転整備重量時)26.5トン (空車重量時)22.0トン
1919年ALCO製造、1919年6月使用開始、1976年7月まで使用。
アルコ22号は貝島炭砿の自社発注機で、
アルコ社のニュージャージー州パターソンにあったクック工場製です。
大正生まれの古典機です。
機器配置は無造作で3対の動輪間隔も不揃いなことが特徴的で、
当時、地元では四角いタンクの形から「弁当箱」と呼ばれ親しまれていました。
貝島炭鉱が閉山するまで活躍しました。
路線は、宮田駅から長井鶴(1926年8月24日開業)、
飯塚市庄司から生見(ぬくみ)分岐(1927年7月9日開業)、
庄司採砂場線、菅牟田竪坑支線、大之浦六坑側線などで、
総延長は12.2キロメートルに達していました。
当時のアメリカの作風や様式を伝える日本にごくわずかしか残されていない
工業発達史の貴重な遺構です。
ロト12号貨車1輌とともに宮若市石炭記念館駐車場に展示されています。
一段高いプラットフォーム
北里駅跡から木魂館と北里橋梁が見える
向こうに小国町立北里小学校が見える
北里駅は、かつて熊本県阿蘇郡小国町大字北里に存在した、
日本国有鉄道宮原線の駅である。
当駅付近一帯は、医学博士の北里柴三郎の出身地があり、
北里記念館がある。
現在、当駅の跡地は営業時を偲べる形で整備され、
公園及び農産物直販所となっている。
また、プラットホームが残る。
当時は地上より高い場所にホームがあり、そのまま残されている。
桜の樹の間を走る「なのはな号」
明治28年から開通している田川線。
その源じいの森温泉駅と崎山駅の間にある源じいの森キャンプ場。
そこから見える電車の写真が撮りたくて、
事前に時刻を調べて電車の通過を待った。
電車が近づく音が次第に大きくなってくるとドキドキした。
今年も待ちに待った「こころ旅」が始まった。
2023年 春の「こころ旅」は沖縄の残波岬から・・・
去年の秋のこころ旅で熊本県の便りで火野正平さんが訪れた「荒尾駅」は、
すごく印象に残っている。
その手紙の内容に涙が出た。
かつて炭鉱で栄えた町で育った優子さんは青森県八戸市に嫁ぎました。
年に一度の里帰りをして八戸に戻る時、
父親が高齢になるにつれ、
「来年も会えるだろうか・・・これが最後かも・・・」と思うと、
改札口から手を振る父親の姿を見て涙があふれたそうです。
そんな父親との辛い別れが沁み込んだ「荒尾駅」が目的地だった。
すごく天気がいい。
この陽気に桜も一気に開花を加速させて
今日、明日で満開から散り始めるだろう。
菜の花と桜に囲まれた無人駅のホーム。
小さな春を見つけた。
貝島の家紋を付けたコッペル32号機は、
ベルリンで造られた1925(大正14)年製造の1C1タンク機で、
貝島炭鉱最大にして、輸入コッペル製蒸機としても最大級の機関車です。
かつての「転車台」の面影を残す跨線橋
平成筑豊鉄道の「ちくまるくん」が走る
筑豊鉄道の電車が走る
直方駅から筑豊線と平成筑豊鉄道伊田線が出ている。
その線路を跨いで「直方市石炭記念館」へと行く橋は、
かつてこの近くにあった列車の向きを変える「転車台」を利用した物で、
横から見ると今もその面影を残している。