「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

久留米市荒木町 「鷲塚古墳 (わしづかこふん)」

2022-05-07 05:05:55 | 古墳・ 遺跡

白い建物が「高良台コミュニティーセンター」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左側の瓦葺きが「鷲塚納骨堂」

 

 

 

 

 

墳丘上にレプリカの土器が置かれている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲塚古墳(わしづかこふん)は、

鷲塚公園の高良台コミニュティーセンターと

鷲塚納骨堂の間にある古墳で、

鷲塚古墳(前方後円墳)。
<立地>丘陵。
<保存状況>後円部大半破壊。
標高24m、周辺の水田からの比高10m、
方位ほぼ西、前方部は公園に、
後円部の大部分は納骨堂にて破壊されており、
墳墓-古墳前期か-箱式石棺だと思われる。 

福岡県飯塚市 「 鹿毛馬神籠石 / 列石 」

2021-07-11 16:21:29 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿毛馬神籠石は、鹿毛馬川に面した馬蹄型の丘陵地に形成された神籠石で、

築造年代や目的については諸説ありますが、

おおよそ7世紀頃(1400〜1300年前)に造られた古代の山城というのが一般的です。

通常は、神籠石は200メートルを越える高い場所に築かれる事が多いのですが、

鹿毛馬神籠石は、30〜80メートルの低い丘陵地に築かれている事が特徴的です。

列石は約1,800個もの切石が使われ、

全長約2キロメートルに渉って土塁の腰石が形成されており、

標高の低い場所に建てられており、

谷部には暗渠式(あんきょしき)の水門が2ヵ所あります。

水門跡の調査で、7世紀前半の須惠器甕破片(すえきかめはへん)が出土し、

築造年代に手掛かりを与えました。

鹿毛馬神籠石は、昭和20年2月に約3万4302㎡が国の指定史跡に指定され、

平成14年3月に追加指定を受け、総面積35万8238㎡となっています。

 


大分県日田市 「 法恩寺山古墳群 」

2021-06-28 11:11:41 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

法恩寺山古墳群への入り口にある看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法恩寺山古墳群の説明版

 

 

 

 

 

 

法恩寺山古墳群の配置図

 

 

 

 

 

第一号古墳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二号古墳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三号古墳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古墳の入り口に仕掛けた罠

 

 

 

 

 

第三号古墳の入り口にあるソーラー発電器

 

 

第3号墳は基底径約12メートル、

高さ約4メートルの墳丘をなし、

ほヾ西に面して横穴式石室が存する。

石室は羨道及び玄室よりなり、玄室は前室と後室とにわかたれている。

後室の奥壁及び側壁、

羨道より前室に通ずる部分等に赤色による同心円文、

馬像その他の文様が画かれている。

 

 

 

第四号古墳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第4号墳は、その東南約9メートル離れて存し、

ほヾ同じ大きさの封土を有する。

昭和32年発掘され西南に面して横穴式石室の存することが明かにされた。

石室の床面は割石によって中央を横に仕切り、

奥の区劃内に2体の遺骸があり、

勾玉、管玉、切子玉等の玉類・鏡・鉄製刀身・鹿角装刀子・須惠器等が発見され、

前方の区劃内には遺骸一体があり、須惠器のほか馬具類が検出された。

石室入口は一枚石でとざされている。

 

 

 

第五号古墳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この古墳群は法恩寺山と称せられる山丘上に相接近して存する円墳群で、

現在5基存する。

第3号墳は装飾ある古墳として

九州におけるこの種の古墳の分布上注意すべく、

第4号墳もまた、石室の内部構造等に見るべきものがあり、

いずれも学術上の価値が高い古墳である。

 


福岡県福智町金田 ・ 国指定史跡 「 城山(じょうやま)横穴古墳群 」

2021-06-06 14:08:49 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県内でも横穴墓の集中地帯として知られる遠賀川流域。

その中流域にある「 城山横穴群 」は、

6世紀前半〜7世紀前半にわたって造られた横穴群です。
 

平成20年から福智町教育委員会が5年にわたって調査し、

222の横穴墓と12の墳丘を確認。

その数と規模、密集度と貴重な出土品が高く評価され、

国の文化審議会が新たな史跡に指定するよう文科相へ答申し、

平成26年10月の官報で、

田川市郡では初となる「国指定史跡」の正式な指定が発表されました。

「 城山横穴群 」は標高21~39メートルの西金田の丘陵上に位置し、

南北約2万平方メートルにわたる九州最大級の横穴群です。

近世から金田手永(大庄屋)六角家の敷地の一角として

手付かずのまま残された貴重な史跡であり、

山頂一帯では「城山」の地名にも由来する中世の城郭跡も確認されています。

福智町の歴史的特性を理解するうえでも重要な遺跡であるとともに、

規模や密集度の点で全国にも比肩するほどの価値がある、わが国を代表する横穴群です。

 


福岡県飯塚市 ・ 国指定史跡 「 鹿毛馬神籠石 ( 水門 ) 」

2021-03-27 09:51:02 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿毛馬神籠石は鹿毛馬川に面した標高76mの丘陵地に築かれた古代山城です。

発掘調査の結果、谷部には排水のために暗渠式(あんきょしき)の水門が2か所設けられており、

1945年 ( 昭和20年 ) に国の史跡に指定されています。


福岡県久留米市 「 御塚 ( おんつか )古墳 」

2020-06-09 16:14:45 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大善寺にある 「 御塚(おんつか)・権現塚(ごんげんづか)古墳 」は、

いずれも 「 日本書紀 」 などに登場する 「 水沼君(みぬまのきみ)」一族

( 筑後国三潴郡一帯を支配していた古代の海人豪族 )の墳墓だと言われ、

5世紀後半に御塚古墳、

6世紀初頭に権現塚古墳が築造されたものと推定されています。

御塚古墳は墳丘が全長約65m、高さ約10.5mの帆立貝式の前方後円墳で、

三重の周濠が巡っています。

周濠まで含めると全長121mの大きさです。

内部は不明ですが、墳頂部が大きく破壊されていることから、

すでに盗掘を受けていると考えられます。

両古墳とも、江戸時代末期の久留米藩士・矢野一貞により

 『 筑後将士軍談 』 の中で絵図入りで紹介されています。

大正時代に当時の大川鉄道株式会社の社長が巨額を投じ、

地元の有志も参加した修復が行われ、

その後は住民の手によって保存されてきました。

現在は久留米市により 「 御塚・権現塚史跡の広場 」 として整備されています。 

 


福岡県久留米市 「 権現塚古墳 」

2020-06-05 15:55:35 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墳丘の中央部は縄が張られ立ち入り禁止になっている

 

 

 

 

 

久留米市大善寺にある 「 権現塚(ごんげんづか)古墳 」 は、

「 日本書紀 」 などに登場する 「 水沼君(みぬまのきみ) 」 一族

( 筑後国三潴郡一帯を支配していた古代の海人豪族 )の墳墓だと言われ、

5世紀後半に御塚古墳、

6世紀初頭に権現塚古墳が築造されたものと推定されています。

権現塚古墳は墳丘の直径は約50m、高さ約9mで周濠が二重に巡らされ、

周濠を含めると直径約150mにもなる大円墳です。

内部は未調査のため不明です。

江戸時代末期の久留米藩士・矢野一貞により

『 筑後将士軍談 』 の中で絵図入りで紹介されています。

大正時代に当時の大川鉄道株式会社の社長が巨額を投じ、

地元の有志も参加した修復が行われ、

その後は住民の手によって保存されてきました。

現在は久留米市により「 御塚・権現塚史跡の広場 」として整備されています。 

 


福岡県田主丸町  「 平原 ( ひらばる ) 古墳群 」

2020-05-27 17:04:38 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平原古墳群は、古墳時代後期の群集墳で、

現在約70基が確認されており、うち58基が県史跡に指定されている。

直径10m~20m程の円墳で、複室構造の横穴式石室をもつものが多く、

県指定史跡、1992( 平成4 ) 年指定されている。

古墳群は古墳公園内の駐車場付近から上に保存・整備されている。

 


福岡県うきは市  「 塚堂古墳 ( つかんどうこふん ) 」

2020-04-22 19:16:08 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前方の墳丘頂部は一般人の墓地になっている

 

 

 

 

土砂採取によって大きく削られた後円部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塚堂古墳は、古墳時代中期 ( 5世紀半ば ) に造られた

横穴式石室を持つ前方後円墳である。

墳丘の規模は、三段構築された後円部の径64m、高さ9mで、

前方部の最大幅は68m、高さ9mを測り、墳丘全長は91mとなっている。

基本的には土が盛られて造られたもので、

外周施設を含めた兆域の全長が140mになることが知られているが、

昭和28年の大水害時に復興のため後円部の土が採取されたため、

後円部の石室は痕跡を残す程度になっている。

 

近くには 「 うきは市吉井歴史民俗資料館 」 があり、

徒歩でいける所にあり出土品などを展示しています。

前方部石室調査が1956年に行われ、主体部は2つ確認されている。

後円部にある埋葬施設は第1主体とよばれ横穴式石室で組合式石棺が収められていた。

 


福岡県田主丸  「 田主丸大塚古墳 」

2020-04-17 17:37:29 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田主丸大塚古墳は福岡県南部、耳納山地北麓の筑後平野を一望する台地

( 標高70-80メートル ) 上に築造された大型前方後円墳である。

一帯では本古墳のほか装飾古墳の寺徳古墳・中原狐塚古墳・西館古墳などが分布し、

本古墳はそれら田主丸古墳群の中で最大規模になる。

墳丘は現在までに前方部の大半が開墾等により削平されている。

古くは江戸時代の 『 筑後将士軍談 』 に記述が見えるほか、

これまでに数次の発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形 ( 発掘調査以前は円形と認識 ) で、

前方部を南方の斜面上方部に向ける。

墳丘表面では埴輪は認められていないが、葺石が認められる。

この葺石は石垣状に構築されるという特徴を示す。

また墳丘後円部には造出が付される。

主体部の埋葬施設は横穴式石室であるが、内部は未調査のため詳細は明らかでない。 
この田主丸大塚古墳は、古墳時代後期の6世紀後半頃 ( または6世紀後半-末頃 ) の築造と推定される。

当時は磐井の乱 ( 6世紀前半 ) 後の統制で前方後円墳の築造が停止に至る時期であり、

全国的にも大型古墳の数は少ないが、

それでありながら当地に大型前方後円墳として築造された点で

築造背景が注目される古墳になる。

また久留米では大規模遺跡として高良山神籠石 ( 高良山城 ) が知られており、

その築城を巡る背景として、本古墳の石垣状葺石に古代山城の石積技術の下地を見る説や、

7世紀前半頃まで使用形跡がある本古墳と高良山神籠石との関連を推測する説がある。 

古墳域は1993年 ( 平成5年 ) に旧田主丸町指定史跡に指定され、

2002年 ( 平成14年 )に国の史跡に指定された。

現在は史跡整備のうえで大塚古墳歴史公園として公開されている。 

 


福岡県久留米市草野町  「 下馬場古墳 」

2020-04-02 17:39:44 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下馬場古墳は耳納山地北麓の扇状地に立地する

直径約30m・高さ約5mの円墳で、

墳丘から円筒埴輪や顔に入れ墨をした男性の埴輪などが出土している。

埋葬施設は南西に開口する横穴式石室で全長約12m、

玄室・前室・羨道からなる複室構造で、

玄室と前室の壁面には赤や青の顔料で描かれた同心円文や三角文が認められる。

6世紀後半の築造。

国指定史跡、1944 ( 昭和19 ) 年指定。

 


福岡県田主丸町  「 寺徳古墳 ( じとくこふん ) 」

2020-03-03 16:51:27 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

指定 /  国史跡

所在地 /  久留米市田主丸町益生田1305-2の県道沿いにある。

墳丘・外表施設  /  径18mの円墳。

内部施設  /  主体部は複室構造の横穴式石室が完存している。

全長10.4m、後室長3.3m、幅2.4m、高さ3m、前室長2.2m、

幅1.9m、高さ2.2m、羨道幅1.5mの規模で、後室はやや胴張り、側壁は持ち送りがある。

後室奥壁の鏡石は2.15m×1.8mの巨石を使用している。

装飾の内容  /  後室奥壁に同心円紋、円紋、三角紋、船、盾、

両側壁に同心円紋、円紋など、袖石に同心円紋、三角紋など、

前室両側壁に同心円紋、三角紋などが赤・緑色で描かれている。

とくに奥壁、前室右側壁の同心円紋は大型で迫力のある表現がされている。

 

見学情報 /  石室は普段、閉鎖されていて、

最近は筑後川流域の装飾古墳一斉公開時に公開されている。

 


福岡県築上町  「 石堂古墳 」

2020-02-28 17:59:03 | 古墳・ 遺跡

 

個人宅にある墳丘は築山の庭として整備されている

 

 

 

 

 

古墳の下にある看板

 

 

 

 

公園化された古墳とその周辺

 

 

 

 

古墳の入り口

 

 

 

 

入り口から見た前室の左壁

 

 

 

 

入り口から見た前室の右壁

 

 

 

 

墳丘の頂部に開いた穴

 

 

 

 

天井石がむき出しになっている

 

 

 

 

開いた天井穴から覗き込んだ玄室

 

 

 

 

 

築上町東部には山添古墳群、頭無古墳群、福間菜切古墳群、

石堂古墳群など100基以上の古墳があったが、

その大半が日豊線建設時に石材を抜き取られ、現存する古墳はわずかである。

この石堂古墳は個人の敷地にあったため取り壊されずに済んだが、

墳丘頂部の天井石が崩落し開口部があらわになっている。

その反面、塞がれた入り口は小さく覗くくらいしかできない状態である。

庭として整備されているので、形体が解りやすいが、

あくまでも個人の敷地内であるため、許可を得て見学をするように。

 


福岡県うきは市  「 屋次郎丸古墳 」

2020-02-24 18:01:41 | 古墳・ 遺跡

 

こんもりとした丘に竹や木々が林立している屋次郎丸古墳の遠望

 

 

 

 

 

 墳丘の頂部にある石塔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墳丘の頂部に続く道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏側からみた墳丘

 

 

 

 

 

屋次郎丸古墳は6世紀前半の築造されたと考えられる前方後円墳で、

全長約60mの前方後円墳と考えられているが、

前方部の大部分を市道により削られている。

現状の規模は全長約40m、後円部径約18m、高さ約3.5m、

くびれ部幅約13mとなっている。

現在、頂部には供養塔があり、

前方部から盾持埴輪の人物の顔の一部が出土している。

 


福岡県田主丸町  「 隅3号墳 」

2020-02-10 18:02:44 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

墳丘の裏側

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墓地から見た墳丘

 

 

 

 

久留米市田主丸町中尾にある五柱神社の左後ろの墓地の上にあるが、

場所がわかりにくい。

墳丘はかなり失われており、径12mくらいの円墳で、

横穴式石室が開口している。

複室構造であるが、前室はすでに消失していて、

後室奥壁の鏡石とその上の石材、

および左側壁の中段の石に赤色で同心円紋、靫、船、人物が描かれているそうですが、

現状ではほとんど確認できないし、入室も困難である。