田主丸大塚古墳は福岡県南部、耳納山地北麓の筑後平野を一望する台地
( 標高70-80メートル ) 上に築造された大型前方後円墳である。
一帯では本古墳のほか装飾古墳の寺徳古墳・中原狐塚古墳・西館古墳などが分布し、
本古墳はそれら田主丸古墳群の中で最大規模になる。
墳丘は現在までに前方部の大半が開墾等により削平されている。
古くは江戸時代の 『 筑後将士軍談 』 に記述が見えるほか、
これまでに数次の発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形 ( 発掘調査以前は円形と認識 ) で、
前方部を南方の斜面上方部に向ける。
墳丘表面では埴輪は認められていないが、葺石が認められる。
この葺石は石垣状に構築されるという特徴を示す。
また墳丘後円部には造出が付される。
主体部の埋葬施設は横穴式石室であるが、内部は未調査のため詳細は明らかでない。
この田主丸大塚古墳は、古墳時代後期の6世紀後半頃 ( または6世紀後半-末頃 ) の築造と推定される。
当時は磐井の乱 ( 6世紀前半 ) 後の統制で前方後円墳の築造が停止に至る時期であり、
全国的にも大型古墳の数は少ないが、
それでありながら当地に大型前方後円墳として築造された点で
築造背景が注目される古墳になる。
また久留米では大規模遺跡として高良山神籠石 ( 高良山城 ) が知られており、
その築城を巡る背景として、本古墳の石垣状葺石に古代山城の石積技術の下地を見る説や、
7世紀前半頃まで使用形跡がある本古墳と高良山神籠石との関連を推測する説がある。
古墳域は1993年 ( 平成5年 ) に旧田主丸町指定史跡に指定され、
2002年 ( 平成14年 )に国の史跡に指定された。
現在は史跡整備のうえで大塚古墳歴史公園として公開されている。