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安芸の宮島 「 厳島神社 」
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社殿入り口
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入った左側にある 「 鏡の池 」
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「 鏡の池 」
厳島八景の一
絶えず清水が湧いていて、ご創建時一夜にしてこの池ができたのは、
「 この造営がご神慮にかなったためである。 」 と、人々がたいそう喜んだといわれています。
社殿東廻廊の海中にあります。(その他2カ所)潮が引くと丸い池が現れます。
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廻廊
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まっすぐに伸びた廻廊
東側廻廊は47間[ま](柱と柱の間で、1間は約2.4m)、入口は切妻造りで、
屋根は檜皮葺[ひわだぶき]で、棟には棟瓦が載せてあります。
西廻廊は、61間あり、西の端(出口)は、唐破風造り[からはふづくり]になっています。
昔は、西側が入口であったことがうかがえます。
東西併せて108間約262mあり、1間・1間に釣灯籠が下げられています
床板は、1間に8枚敷いてあり、釘は使っていません。
板と板の間は少し開いており、
潮が高い時や台風時に波のエネルギ-を減免・消波する構造になっていて
建物を守る工夫が行われています。(スリット構造)
この床板には釘が使われていません。
また、床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、
上に敷いてあるのは養生板(ようじょういた)といい、
参拝者が土足で歩いても良いようになっています。
これは近年になって施工されたもので、昔は履物を脱いで昇殿していました。
廻廊の釣灯籠は、毛利氏が鋳鉄製[ちゅうてつせい]のものを寄進したのが始まりといわれています。
現在のものは、大正時代に奉納されたもので青銅製です。
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「 反 橋 」
別称:勅使橋[ちょくしばし]・たいこばし
長さ21m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り鎌倉期に既にあったが、
現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものです。
別名、勅使橋ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができました。
中央に階段を設けて渡ったものと思われます。
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能舞台
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能舞台
永禄11年(1568)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納しました。
現在の建物は、延宝8年(1680)広島藩主浅野綱長により造営されたもので、
天神社と同じく、建造時期が下がりますので、丹塗りはしていません。
特徴は、日本で唯一海中に建てられている。切り妻造りであり、笛柱が独立している。
海中にあるため、通常床下に共鳴のために置かれている甕が無いことです。
代わりに、床下の根太が三角形で、その上に床板を張り、大きく響くように工夫されています。
毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われ、
初日と2日目には、初めに翁が舞われ、3日間とも五番立で、間に狂言が入り、
江戸時代からの本式な演能を観ることができます。
平成3年の台風19号で倒壊いたしましたが、古材をできるだけ使用し、平成6年に再建されました。
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本社火焼前(ひたさき)より88間の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、
奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量は約60t。
主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られており、
8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したといいます。
また根元は海底に埋められているわけではなく、松材の杭を打って地盤を強化し、
箱型の島木の中に石を詰めて加重するなど、先人の知恵と工夫によって鳥居の重みだけで立っています。
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笠木の下に月がある
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厳島神社の造りは、寝殿造桧皮葺[しんでんづくりひわだぶき] で、
御祭神は、 天照大神[あまてらすのおおかみ]の娘である宗像[むなかた]三女神
市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]、田心姫命[たごりひめのみこと]、
湍津姫命[たきつひめのみこと] を御祭りしている。
推古天皇元年(593)、佐伯鞍職[さえきくらもと]によりご創建と伝えられています。
説は、色々ありますが、「いつき島にまつれる神」という意味から、
「伊都伎島[いつきしま]大明神」、「厳嶋神社」等呼称され、
現在は、「嚴島神社」となっています。
原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていましたので、
陸地では畏れ多いと海中に社が建てられました。
平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の氏神として尊崇し、
平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営しました。
都から後白河上皇、建春門院、中宮徳子、高倉上皇、建礼門院を始めとする皇族や貴族が訪れたので、
都の文化や建築が宮島に入ってきました。
現在も嚴島神社に伝承されている舞楽は、清盛公によって大阪四天王寺から移されたものです。
社殿は、災害により何度か立て替えられていますが、
清盛公が造営した当時の姿を伝えられているといわれています。
国宝・重要文化財の建造物は20基・美術工芸54点等261点。
東廻廊45間、西廻廊62間。本社の他に客神社・朝座屋・祓殿・高舞台・平舞台・左右門客神社、
火焼前・大国神社・天神社・能舞台・反橋・長橋・揚水橋・内侍橋の建物構造群からなっています。
東廻廊入口は切り妻造り、西廻廊入口は唐破風[からはふ]造りで、
廻廊幅は約4m・長さ262m(108間)・柱間約2.4m(8尺)・一間に8枚の床板が敷かれています。
床板の隙間は、高潮時に床下から押し上げてくる海水の圧力を弱め、
また廻廊に上がった海水を流す役目をします。
床板は、現在養生板が敷いてあり、
本来国宝の一部である床板の上に敷いてあるところから土足で歩くことができます。