「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

 今宵の 「 月ぬ美しゃ / Blue Moon 」

2015-07-31 23:59:41 | 朝の風景とその他の風景

         南天を煌々と

         照らす

         その月を

         ウインドウスクリーンで

         眺めているのだろうか


         こんげつ 二度目の

         満月を・・・









「 オリオンビール ・・・ 」

2015-07-31 20:01:41 | 沖縄








      三線の音を聴きながら

      オリオンビールが

      飲みたくなるときがある


      そのたびに

      「 沖縄が呼んでいる 」 と

      思う


      拝所 ( ウガンジュ )

      亀甲墓 や グスクが

      呼んでいると ・・・







沖縄県那覇市首里大中町 「 仲田殿内跡 ( なかだどぅんちあと ) 」

2015-07-31 00:11:11 | 沖縄

















操業していた頃の 「 玉那覇味噌醤油 」





仲田殿内跡( なかだどぅんちあと ) 

現地の案内板より引用


琉球王国時代の士族、仲田家の屋敷跡。
18世紀頃に製作された「首里古地図」には、
「 仲田親雲上 ( ぺーちん ) 」 と記されている。

屋敷を囲む大きな石垣と庭園が往時の雰囲気を伺うことができる。
昔からの格調ある玄関の石門、踊り場の石畳も健在で、
庭にある井戸には二カ所に水を汲むスペースがあり、
男女別々の専用の水浴場になっていたようである。
 
「 玉那覇味噌醤油 」 は、琉球王国末期 ( 安政年間 ) に創業、
琉球王家御用達にもなった首里名産の味噌・醤油工場で、
数年前まで玉那覇味噌醤油の工場として使われていたようだが、
久し振りに訪れた時は操業を停止していた。




競馬点描 ・ 心象風景 「 その眼 」 オドゥールゲラン

2015-07-31 00:02:41 | 写真







     この眼が好きで

     オドゥールゲランのファンになった

     宝塚歌劇団の男役を思わせる

     その眼だ




オドゥールゲラン

父 ステイゴールド
母 ヒダカゲラン

生年月日  / 2003年3月15日
調教師  / 谷潔 (栗東)
馬主  / ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
生産者  / 白井牧場
産地  / 門別町
中央獲得賞金  / 1,985.0万円
通算成績  / 24戦2勝  [ 2-0-1-21 ]
主な勝鞍  / 08,3歳上500万下



沖縄県国頭村 ・ 琉球泡盛 「 まるた 」

2015-07-31 00:00:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒










田嘉里酒造所の看板選手 「 山原くいな 」 ・ 辺土名の ( しのちゃん ) にて・・・




      20度の泡盛は
       ロックで決めて
        ストレートに酔って
         気分よくなりたいものだ



沖縄県本島最北にある国頭村にある田嘉里酒造所は、
昭和24年に操業した酒造所で、 「 山原くいな 」 の銘柄が有名である。
水が自慢と言うだけあって、やんばるの湧き水は人気があり、
今でも遠く那覇中心地からポリタンクに水を入れに来る人がいるほどである。
交通の便が悪い昔からこの地で地元民のために酒を作り続け、
生産量の80%は本島北部で消費されほど。
ヤンバルの酒として地元の人に愛されてる田嘉里酒造所の泡盛である。



五島列島の海 ・ 「 奈良尾 ~ 桐 」

2015-07-30 15:37:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








          奈良尾港から

          桐教会に向かう途中で

          えも言えぬ景色に

          出くわした


          そして・・・

          そのパノラマは

          青いろと一緒に

          ボクの心を

          根こそぎ

          奪っていった







北九州市八幡東区 「 官営八幡製鐵所 ・ 旧本事務所 」

2015-07-30 01:11:41 | 世界遺産
































































今年世界遺産になった官営八幡製鐵所の旧本事務所は、
1899(明治32)年、八幡製鐵所の創業2年前に建設された建物で、
長官室、顧問技師室、技監室、主計室などがあり、
製鐵所の中枢の事務所である。

赤煉瓦組積造の2階建で、延床面積1,023m²、桁行(建物の長さ)33m、
スパン(建物の短手方向長さ)15m、軒高10.38mとなっている。
中央にドームを持つ左右対称の意匠で、和瓦葺、洋小屋組(クイーンポストトラス)、
イギリス式のレンガ積となっている。

設計建設は製鐵所が行っており、
1922(大正11)年まで本事務所として使用されていたが、
新しい本事務所の完成以後は、
研究所 ( 世界でも極めて早い時期に設立された鉄鋼の研究所 ) であった。

現在この建物は稼働中の製鐵所の敷地内にあることや
老朽化により立ち入りが制限されているため、
見学は特別に設置された展望スペースからの遠望となる。



北九州市門司区大里本町  「 海の散歩道 」

2015-07-30 00:11:41 | 写真

































     門司駅の裏側を降りると
     海岸まで道が伸びる

     その海岸は
     国道199号線と平行して
     潮風を運ぶ

     ここは
     行き交う船を見ているだけで
     楽しい気持ちにさせてくれる
     
     さらに・・・
     関門海峡を独り占めして
     贅沢なひとときが
     すごせる
     そんな 海の散歩道だ





大分県豊後高田市香々地 「 ひまわり 」

2015-07-30 00:00:41 | 花・鳥・虫・魚・猫









































      向日葵を観に
      国東半島へ・・・
      
      花のメッカ
      長崎鼻は未だらしい

      その入口にある
      コメリの横の
      ひまわりの看板を見て
      半ば疑いながら
      ハンドルを左に切った

      裏手に回ると
      目の前に一面に広がる
      黄色の花が笑って揺れた
      
      その光景に
      思わず 「 お~っ 」 と
      コトバが漏れる

      おひさまを受けて咲く花から
      元気がもらえる
      
      だから
      元気のない人に
      ぜひとも観てもらいたい
      元気が出る黄色い花
      
      向日葵を ・・・





長崎市西出津町 「 出津 ( しつ ) 教会堂 」

2015-07-29 00:02:41 | 教会





















































マルコ・ド・ロ神父と中村近蔵の胸像







「 道の駅・夕陽ケ丘・そとめ 」 から見た台風の中の「 出津教会堂 」

















所在地  /  長崎市西出津町
竣 工  /  1882年  ( 明治15年 )
設計者  /  マルコ・ド・ロ神父
教会の保護者 /  イエズスのみ心


この教会堂の創建から始まって二度の増改築の設計施工に携わった
ド・ロ神父は建築の専門学校を出ていないが、
父の住むフランス・ノルマンディーの広大な敷地内の建築や
土木工事の手伝いをしたことによって施工技術を身に付け、
神学校時代に建築学の基礎を学んだのではないかと言われている。

同神父が設計や施工に関わった建物で現存しているものは、
出津教会堂の外に大浦天主堂の敷地内にある旧羅典神学校、旧長崎大司教館
そして外海町内にある出津救助院、同鰯網工場、大野教会の6件ある。

旧浦上天主堂(大正4年竣工)などの建設にも、
なんらかの形で関わっていたといわれている。
ド・ロ神父の設計・施工した建物は、装飾は極度に避け、
使い勝手を主眼とした質実剛健なものとなっている。
設計にあたったっては、その土地の自然環境を考慮し、
資材もその土地のものを有効に利用している。

低い屋根、太い柱あるいは漆喰塗りの煉瓦造りなどは
台風の襲来に対するものであったし、
神父が独自に考案したド・ロ壁(大野教会や救助院跡の外壁)は、
地元の雲母岩と石灰、砂で固めたものであった。

同神父は自身が設計した大浦にある旧長崎司教館の建設現場で、
施工監督中に高所から転落し、これがもとで持病が悪化し、
大正3(1914)年永眠した。
行年74歳であった。同神父の墓は出津・野道の教会墓地内にある。


出津教会堂の平面は長方形で、平側37.6m、妻側11.6mあり、
その面積が436.16㎡となっている。
西側に半円アーチの開口部が3つある吹き放ちの前廊があり、
前廊中央奥に正面入口がある。
内部は幅5.2mの身廊とその両側に3.2mの側廊からなる3廊式会堂で、
身廊と側廊の境界部両側に4.2m間隔で7本の柱が並び、
6本目と7本目の列柱の中間から奥は床が一段高くなり、内陣及び後陣となる。
側廊部の突き当たりは湾曲した壁が立てられ脇祭壇が設けられている。
身廊部の突き当たりは側廊部より奥まって半円形の後陣があり、
中央祭壇が置かれている。
後陣の背後は祭具室で、東側中央に出入口がある。

列柱の2~3本目、5~6本目の両側廊部に脇出入口が設けられている。
正面入口を入ってすぐ右側に前廊との境界壁に沿って
楽廊に登る階段が付けられている。
楽廊は身廊の幅で、列柱2本分の奥行きがある。


「 心象風景 」  トンネル

2015-07-29 00:01:41 | 写真








           真っ暗な

           暗闇のなか


          「 もう、ダメか! 」 と思った時に

           一筋の光が見えた


           出口が見えたトンネル・・・


           それは

           助言であったり

           ヒントであったり

 
           カンダタの蜘蛛の糸に匹敵する

           間違っていることを教えてくれた

           修正の糸口だ






ユニーク馬名 「 フクラムサイフ 」

2015-07-29 00:00:41 | 競馬・ボート







常にフクラムサイフは願望である
札束で財布がパンパンに張るように
財布は 「 春 」 に買い換えろという

8月8日は立秋だから
間違っっても
それから先の 「 秋 」 に買い換えてはならない
何故なら 秋は 「 空き 」 になるから・・・

空財布はむなしいものである
だから立春の運勢の変わり目に
財布の運勢も変えてみよう

そのフクラムサイフの母の名前は
「 ウソツキ 」
そう、あの嘘つきである

常に嘘をつく人は
自分が嘘を付いているという
感覚がないのかもしれない
だから平然と嘘つき
嘘を悪びれることもなく正当化しようとする
そんなヒドイ名前がつけられた馬は
可哀想である

それがたとえ馬であっても・・・




フクラムサイフ

父 ジャングルポケット
母 ウソツキ

生年月日 / 2008年5月21日
調教師 /  谷潔 (栗東)
馬主  / 小田切有一
生産者 / 木村牧場
産地  / 浦河町
中央獲得賞金  / 3,170.4万円
通算成績  / 20戦2勝 [ 2-4-2-12 ]
主な勝鞍 / 12' 3歳上500万下



五島列島の海 ・ 「 桐の海 」

2015-07-28 16:41:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








       五島の青い海・・・

       
       そこには     

       なにも足さない

       なにも引かない

       自然の色が

       ひろがる





現役最後の競輪場 「 佐世保競輪場 」

2015-07-28 04:41:41 | 競輪・オートレース



1センター付近から見た佐世保競輪場








選手管理棟から見たホームスタンド







ホームスタンドから見たバックスタンドと選手管理棟・選手宿舎






選手の敢闘門から見た景色













初参加の佐世保競輪で優勝した時のもの 「 1号車 ( 白 ) 」





佐世保競輪場は九州地区の競輪場の中でも最も好きな競輪場であった。
そして、初参加で優勝した競輪場でもある。
佐世保の前の松山で優勝して連覇となったわけであるが、
次の小倉の光輪賞では江嶋に差されて2着だったが、
その次の別府も初参加で、3連勝と気を吐いた。

とにかく飯を食っている時と寝ているとき以外は自転車に乗っていたから、
練習の質も量も他の選手よりもズバ抜けていたので、
勝って当たり前といえば当たり前の成績だったと思う。

初参加で優勝したレースもだが、
同郷熊本の松村義輝とワンツーを決めたレースがすごく思い出に残っている。
とにかくその当時は気持ちも戦法も横着構えてツッパッていたから、
スタートで前を取って前受から体当たりの突っ張り先行で通していた。
後ろにつけた義輝も九州のプレスリーと呼ばれるくらい粋でツッパッていたし、
そのツッパリ二人が暴れまくってワンツーフィニッシュである。
ゴールしてコーナー審判の旗を見ると失格審議対象の赤旗である。

もちろんと言えばもちろんだが、やり切った感があったから、
「 義輝、失格かもしれんばってん、目いっぱい戦こうたけん良かろう 」 と言うと、
「 うん。よかよか 」 で検車場に引き上げてくると、
お互いセーフで1、2着が確定した。
あの時の優勝は嬉しかったけど、やり切ったという充実感がスゴク残るレースだった。

3年ほど前に熊本競輪場の近くの彼の店に行って飲んだ時に、
やはりこのレースの話しで盛り上がった。
そんな佐世保であるが、その佐世保でヘルメットを脱ぎ、
静かにレーサーシューズを置いて競輪人生の幕を閉じた。

いつお迎えが来てもいいと覚悟している人生だが、
もう一度生まれ変わっても 「 競輪選手になりたい 」 と思う。



北九州市八幡東区 「 WINS八幡JRA場外馬券売り場 」

2015-07-28 01:37:41 | 写真


































      WINS八幡は

      海の見える場外馬券売り場

      海をバックに

      駿馬が疾走する


      競馬好きでなくても
      
      至福の時間が過ごせる

      そんな場所だ