国指定史跡「青海島鯨墓」
「 青海島鯨墓 」 は 「 未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 」 にも選ばれています。
鯨墓は元禄五年(1692)、向岸寺五世讃誉上人の隠居所である清月庵(観音堂)に建立されました。
鯨墓は花崗岩で作られ、高さ2.4メートル、幅0.46メートルで、
正面に「南無阿弥陀仏」と刻まれその下に「業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果」と刻まれています。
また側面には願主として設楽(しだら)孫兵衛、 池永藤右衛門、早川源右衛門の三人の鯨組み網頭の名が刻まれています。
「業尽有情・・・・」の文言は又とない名言でありますが、
実はこの文言は「諏訪明神の四句の偈」として日本全土に普及しているものです。
大意はほぼつぎのように解することができると思います。
最初の 「 業尽有情 」 ( ごうつきしうじょう ) は、
前世の因縁で宿業の尽きたために捕らえられた野生の鳥獣ということです。
「 雖放不生 」 ( はなつといえどもしょうせず ) とは、
そのような野生動物は放して天然のままにおいても、
どうせ長くは生きられず野たれ死にする運命にあるということです。
「 故宿人天同証仏果 」 ( ゆえににんてんやどしぶっかをしょうせしめん ) は、
それだから人間すなわち成仏できる肉体の中に取り入れられ、
それによって人と同化して成仏するのがよいということです。
この諏訪明神 「 四句の偈 」 の解説は、
千葉徳爾作の 「 狩猟伝承 」 ( 法政大学出版局 ) によるものですが、
長門市ではクジラの胎児の墓所にふさわしく、 次のように解説されています。
鯨としての生命は母鯨と共に終わったが、
われわれの目的はおまえたち胎児をとることではなかった。
むしろ、海へ放してやりたいのだが、広い海へ放たれても、 独りではとても生きてはいけまい。
それ故に、われわれ人間と同様に念仏回向の功徳を受け、
諸行無常の悟りを得てくれるようにお願いする。
(照誉得定師解説)
通の鯨墓について、胎児だけを埋葬した墓である。
いや、くじら全体を祭る墓だという二つの意見がありますが、
その理由の一つとして、この諏訪神社の四句の偈の文言が引用されています。
また「墓」の定義として、何か一つでも生前に身につけたものを埋葬することから、
胎児の墓だという主張もあります。
しかし向岸寺第五世・讃誉上人が13年の歳月をかけて、鯨の供養の必要性を説いたこと、
また諏訪明神の四句の偈の意味あいからも
鯨全体の供養のためと判断しても良いのではないかと思える。
父母や子供には人間と同じく戒名が付けられています。
また埋葬した胎児の数について、
72~78といろいろな人がそれぞれの説を述べておられますが、
向岸寺の由来書には鯨墓に埋葬した胎児の数は書かれていませんでした。
鯨墓の説明版にも書かれているように、70数体で良いと思われます。
鯨墓は昭和10年12月24日国の史跡に指定されております。
全国には、鯨墓、鯨の碑は90近くありますが、 具体的に鯨の胎児を埋葬したのはここ通浦だけです。