










油谷に残る 「 楊貴妃伝説 」 油谷の向津具 ( むかつく ) の
二尊院というお寺に2冊の古文書が残されている。
これは今から約250年前 ( 1766年 ) 当時の二尊院福林坊55世住職恵学和尚が、
この地に伝わる話を古老から聞き取り書きとめたものである。
日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年 ( 756年 ) 7月のこと。
向津具半島の岬の西側に唐渡口 ( とうどぐち ) ちゅう所があって、
そこへ空艫舟 ( うつろぶね ) が流れ着いた。
舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、
それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。
お側の侍女が申すに 「 このお方は唐の天子、
玄宗皇帝 ( げんそうこうてい ) の愛妃楊貴妃と申される。
安禄山 ( あんろくざん ) の反乱により処刑されるところを、
皇帝のお嘆きを見るに忍びないで近衛隊長が密かにお命を助け、
この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。 」 と涙ながらに云うたそうな。
息も絶え絶えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたがの、
そのかいものう間もなく息を引き取られた。
そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬ったそうな。
それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔で、
いつとなく 「 楊貴妃の墓に参ると願い事が成就する 」 というのでの、
多くの人が参詣するようになった。