旧福岡県立豊津中学校講堂 「 思永館 」
福岡県立豊津高等学校で、旧制時中学代の面影を伝えるこの建物は、
明治35年 ( 1902年 ) の建築とされ、
現存する学校建築のうち福岡県内最古の木造洋風建築として貴重な存在である。
同校は、明治3年 ( 1870年 ) に豊津藩の開いた藩校育徳館に始まるが、
その源流は宝暦8年 ( 1758年 ) 、当時小倉藩主・小笠原忠総が開設した思永斎にさかのぼる。
講堂の建築年代を示す棟札 ( むねふだ ) はないが、
同校の記録に 「 明治三十五年八月二十日新築落成 」 とあり、
昭和38年 ( 1963年 ) まで講堂として使われ、その後は武道場となり、
昭和44年 ( 1969年 ) に現在地に移築された。
建物は正面22.8m、側面14.1mの主屋と車寄せからなり、
主屋の屋根は寄棟造り、浅瓦葺。
車寄せは切妻造の妻入りで、土台はコンクリート布基礎を主体に一部切石積み基礎となっている。
その上に角柱を立てて大壁造りとし、内部柱は優美にイオニア式を取り入れている。
また正面ステージの左右に二本ずつペデスタル ( 台座 ) 上にイオニア式円柱を立てている。
移築の際に車寄せを側面に付け替え、一部に朽損、破損はあるが、
本体はしっかりして保存状態もいい。また、同じ敷地内にある
黒門も有名である。
平成元年 ( 1989年 ) に県指定文化財となった。
同校は豊前・京築地方の文教の中心として、多くの俊才を輩出している。
社会主義の先駆者の
堺 利彦、夏目漱石の「三四郎」のモデルと言われる元学習院大学長の小宮豊隆、
プロレタリア作家の
葉山嘉樹、芥川賞作家の
鶴田知也などがいる。
シンガーソングライターの永井龍雲も卒業生で、現在も各地で活躍している。
最近まで現用の建物だったため、卒業生や生徒たちの愛着は深い。