この 「 天願ジョウ跡 」 は、琉球競馬跡の探訪で、
探し出すのにもっとも苦労した馬場跡である。
うるま市役所の建設課や教育委員会など、色んな所に行って情報を聞き、
いろいろ調べたが誰も知らなくて、ガッカリして市役所から出ると
うるま市役所の受付の女性の方が、後ろから追いかけて来て
わざわざ住所まで調べてくれて、小さな紙に書いたメモを渡してくれた。
そのお陰で天願ジョウにたどり着くことが出来たわけである。
女性いわく、なんでも自分の通っている美容院が馬場跡の写真に写っていたという。
前置きが長くなったが、 「 天願ジョウ 」 は、大正になって姿を消した馬場である。
その天願ジョウは、直線の長さ500mを誇った ” 琉球王府公認馬場 ” でもあったが、
闘牛に押され、だんだん下火になって大正元年に姿を消した馬場である。
戦後、天願ジョウは平坦な地形に目をつけた米陸軍によって物資集積所とされ、
昭和36年には通信兵が配備され天願通信基地へと姿を変えた。
楚辺スピガニク馬場跡に建設された読谷トリイ通信基地と連携して、
ベトナムやアメリカ本国との長距離通信を担ったが、
沖縄が日本に復帰後、段階的に変換されると、
土地区画整理事業を経て平成3年に 「 みどり町 」 として生まれ変わった。
馬場は住宅地に、地名も具志川村天願から 「 うるま市みどり町 」 へと変わった・・・
ちなみにジョウとは、 ( 門 ) のことで、
琉球王府の公認基準に合致した馬場だけが名乗ることの出来た名称である。