ホームストレッチにあるメインスタンド
バンクの内側は庭園式の池になっている
バックスタンドの下にある敢闘門
冬場の岐阜競輪場は寒くて、カラダの芯から冷えた。
1月だったか、2月だったか憶えていないが、
初日が終わってドカ雪が降った。
当時、岐阜羽島に参加選手の宿舎があったので、そこからズンズン降り積もる雪を見て、
「 こんだけ降ったら明日は中止やろう 」 と、九州の選手は口々に言い、遅くまで酒を飲んだ。
朝起きたら、案の定凄い雪だ。
この時点で誰もが 「 開催中止 」 を疑わなかった。
だが、開催中止を告げる館内放送がないまま、朝食を摂りに降りて行くと、
いつものように参加準備した選手が食事を摂っていた。
「 今日、開催するのか? 」 と訊くと、
「 はい!しますよ 」 と、さも当たり前のように返事が返って来た。
まさか、まさかの展開に 「 ウソやろ~ 」 って思ったが、
一度ゆるんだ気持ちを競輪場に入るまで切り替えねばならない。
競輪場行きのバスに乗り、競輪場に着いた時は気持ちはもう開催モードだ。
夕方の4時過ぎの最終レースは寒くてたまらない筈なのに、
敢闘門を出る時は、気合で上気したカラダの熱気でゴーグルが曇るほどだった。
退避路に山のように積まれた雪を横目に走った。
寒さと風の強さで重く引きずるような走路に雪解けの水しぶきが上がる。
3着まで入れば決勝戦に進出だけに、どの選手も必死だ。
この時、ブッ千切って1着になったのは地元の浜口高彰だった。
ボクは3着に入って決勝戦にコマを進め、何とかノルマを果たした感じだった。
岐阜は目立った成績を残していないが、同じ岐阜県でも大垣競輪場は成績も良くて好きなバンクだった。
ちなみに優勝したのは浜口高彰で、優勝戦もブッ千切りのワンマンショーだった。