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野崎島に建つ野首教会は、野崎島のちょうど中心にあたる、
小高い丘の上に残るレンガ建築の小さな教会です。
教会が建つ「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだと言われる集落で、
野崎島にかつてあった3つの集落のうち、
舟森集落と共に信仰が深かった地域とされています。
野首教会は、集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、
力を合わせて費用を捻出し、
数年をかけて建てた本格的なレンガづくりの教会です。
信仰の自由を手に入れた信者たちは、
1882(明治15年)年に木造の教会堂を建てました。
その後、集落に住む17世帯で本格的なレンガづくりの教会を建築することを計画します。
当初は、小値賀島で資金借用をしようと願い出ますが、
教会建設の為と聞くと即座に断られます。
しかし信者たちは諦めませんでした。
建設費を捻出するために共同生活を始め、大人は1日2食と生活を切り詰め、
キビナゴ漁などで資金を蓄えました。
また、建設の際には建築資材を運ぶなど、教会の完成のため一丸となりました。
そしてついに1908年(明治41年)10月、
教会建築の名工・鉄川与助の設計施工による野首教会が完成します。
総額はおよそ3,000円。
現在のお金に換算すると2億円ほどの価値があるといわれています。
「たった17戸の集落で、これほどの資金を払う事が出来るのか?」
工事に関わった人々の中には不安を感じる人もいたそうですが、
信者たちは落成の日、1円の不足もなく現金で支払いをしたといわれています。
禁教の時代に厳しい弾圧を受けながらも信仰を守り抜き、
長年の苦難を耐え抜き信仰の自由を手に入れた人々の、
抑圧からの解放と喜びという崇高な精神性の象徴といえるでしょう。