今日は立秋。秋の始まりだが、
7月よりも暑さが増し、とてもじゃないが外仕事が出来る状態じゃない。
そんな外気温に負けず毎日外仕事をしているが、晩秋が恋しい。
廣池千九郎の生家に行ったついでに立ち寄った大貞郵便局。
ATMでお金を下して支払いをした。
その余ったお金で買い物をしたが、新しい郵便局は気持ちが良かった。
今日は立秋。秋の始まりだが、
7月よりも暑さが増し、とてもじゃないが外仕事が出来る状態じゃない。
そんな外気温に負けず毎日外仕事をしているが、晩秋が恋しい。
廣池千九郎の生家に行ったついでに立ち寄った大貞郵便局。
ATMでお金を下して支払いをした。
その余ったお金で買い物をしたが、新しい郵便局は気持ちが良かった。
なかつ情報プラザは、旧中津コンピューターカレッジの跡地を利用して、
中津市民の情報化支援のための施設である。
ファディの駐車場から見た教育福祉センター
今日、ファディ中津店に冷凍食品を買いに行った。
定期的に購入しているが、
来週息子が帰って来るので日持ちがする冷凍食品をたくさん持たせようと
買って来たわけである。
もちろん我が家のぶんも買った。
そうそう、中津市教育福祉センターは早めにファディ中津店に着いたので
開店までムサシを散歩させたわけである。
初めて来たが、モダンな建物と芝が張られた広場が感じよかった。
99年の歴史に幕を閉じた名護市立嘉陽小学校
嘉陽小学校の前の海
校門横にある「聖火宿泊碑」
嘉陽小学校の向かいにある「嘉陽上グスク」
やんばるにある「辺士名高校」
2008年から約7年間にわたって沖縄のグスクを巡っていた。
毎年4~5度、沖縄や奄美に足を運び、グスクや王や按司の墓を巡った。
その当時の嘉陽小学校である。
現在NHKで放送されている朝ドラ「ちむどんどん」。
主役の比嘉暢子と妹の比嘉歌子が通う山原高校。
その学校を見た時に、同じ「やんばる」にある嘉陽小学校だと思った。
この嘉陽小学校の道を挟んだ丘の上に「嘉陽上グスク」があるため、
そのグスクをめぐったついでに嘉陽小学校に立ち寄ったわけである。
テレビでは体育館が無いが、
校舎から見える海と後ろの山が嘉陽小学校じゃないかと思った。
この嘉陽小学校は99年の歴史に幕を閉じたときに、
沖縄出身のアーティストのJimamaさんが在校生と一緒に
閉校式の時に自身の「大丈夫」を唄った。
この校門の横には「東京オリンピックの聖火」が宿泊した記念碑がある。
福岡県の緊急事態宣言は解除されたが、
それなのに直方市のアーケード街は閑散としている。
緊急事態宣言中と同じ状況は、寂しい限りである。
春の陽は注いでも、海を渡って来る風は冷たい。
小さな島でもコロナコロナと、マスク姿で振り回される。
島を離れた人とのつながりは郵便が活躍する。
その便りをやり取りする島の郵便局。
いつになったらマスクを外して大きな声で話し合えるのだろうか。
今日は 「 昭和の日 」 である。
そんな昭和、昭和した匂いを漂わせる校舎が
嘉麻市と川崎町の境界近くにある。
いつまでも遺したい校舎と風景である。
風情を感じさせる唐戸商店街のアーチ門
関門海峡に面した唐戸市場は有名だが、
あまり知られていないが国道9号線を隔てた商店街は風情がある。
この時は未だコロナの感染が広まっていない時期だったのに・・・
人も車もスカスカだった。
旧畑小学校がある豊前市 ( ぶぜんし ) は、
福岡県の東部、京築地域の南部に位置し、行橋市と中津市のほぼ中間にあり、
市域南部には求菩提山や犬ヶ岳などの山々が属する筑紫山地が連なっている。
また、北部は周防灘 ( 瀬戸内海 ) に面しているため、漁業が盛んで、
大分県中津市中心部までは、わずか7kmと非常に近いことから、
中津市の経済圏・生活圏に属している。
国道10号を周防灘に沿って南下して行き、築上町を過ぎて豊前市に入り、
角田川に沿って県道232号を山間部へ5kmほど進むと、
沿道から、左下に平屋の木造校舎が見えてくる。
校庭はきれいに掃除がされており、現在も地域の行事などが行われている。
正面玄関の表札は、 「 岩岳川河川研究所 」 とある。
岩岳川は、大分県境の犬ケ岳を源流として中流で佐井川に放水されている河川であるが、
地域と連携して西日本工業大学が2003年に設置した研究施設である。
その破風の中央部にしっかりと畑の字が書かれた校章が残っている。
下関警察署海峡交番は、
下関警察署管内の交番の一つである。
元は山口県沿岸全域を管轄する独立した下関水上警察署であったが、
山口県警の再編計画に伴い統合となった。
湖東から東町に移転した 「 熊本市民病院 」
以前は江津湖の東側の湖東にあった熊本市民病院。
それが東町団地が取り壊されてその場所に移転した。
昔、熊本に住んでいたころは家が近くにあったことから、
よく湖東にある市民病院を利用していた。
当時、外科医で市民病院の医院長だった長尾先生にも良くしていただいた。
先生は主に東洋医学の針や漢方を用いた治療をしていた。
そんなことを思い出した。
熊本地震で最も被害が大きかった益城町。
その町の中心部に 「 ミナテラス 」 という交流情報センターがある。
まだ外構工事などが残っているが、完成に近づいている。
一足飛びには復興とは行かなくても、今日よりも明日。
明日よりも明後日というように、少しでも前に進んでもらいたい。